最初で最後の母への手紙 | ライフコーチかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

2016年1月20日発行のメルマガより
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こんにちは。
亀井弘喜です。



今朝の鹿児島も冷え込みが厳しく、

わが家周辺は雪が少し積もっています。



最近、本当によく働いています。

年賀状すらいまだに書けて

いません(笑)。



それでもライザップに行ったり

マッサージに行ったり

自分を保つためのことはしています。



きっとサラリーマン当時の自分だったら

身体を壊すか、うつ病にでもかかって

いたことでしょう。



僕は犬飼ターボさんという方が

主催する「センターピース」という

セミナーに2010年4月~9月に

通いました。



そこで変わりました。



「自分を認める」

「自分を大切にする」



ということを32歳にして

初めて学んだのです。



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「自分の本当の望みを知り、
 それが実現する」

奇跡のライフコーチングとは
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僕が見た

「世界で一番美しいパートナーシップ」

のストーリーをシェアします。



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前回の投稿より)



父から最初に

母の様子が変だということを

告げられました。



弘喜、お母さんが

 おかしくなっちゃったんだ。




困り果てた父の声を

電話で聞きました。



何か嫌な予感がしました。



父のあんなに

弱った声を聞くのは

人生で初めてでした。



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僕は電話で母に変わりました。



母も困ったような声で

「弘喜、パパはあんな風に言ってるけど

 だいじょうぶだからね。」

と言っていました。



その電話から1か月後の2010年5月9日に

脳の末期ガンだと診断が告げられました。



緊急入院する母。



毎日病院にかけつける父。



僕は東京で毎日日常を生きながら

仙台の母のことが気がかりで

仕方ありませんでした。



当時の僕は

父親に対して心をちゃんと

開いていませんでした。



それどころか

母のことを「被害者」とみなし

父のことを「加害者」とみなしていました。



脳のガンは

肺から転移していることが

わかりました。



肺のガンはおそらく

10年以上も前にできているものだ、

とお医者さんに告げられました。



タバコ = ガンの原因。

ガンの原因 = 我慢のエネルギー。

我慢 = 父が原因。



そんな乱暴な方程式を

頭の中で作っては消していました。



でも僕のエゴはこういうのです。



「母がガンになったのは

 父のせいだ。」






母と父がケンカしている場面や

母がお酒を飲んでいる場面

ばかりが思い出されました。



そして

「母と父は好き同士では

 なかったのではないか?」



という疑念に行き着いたのです。



そんな誤解が解けたのは

ある晴れた日の午後のことでした。



母は放射線治療を10日間にわたって

受けて



髪の毛はすべてなくなり

全身骨と皮だけのような痩せ細った身体になり



自分でトイレに行けなくなりました。



「明日いらっしゃるときに

 お母さんのおむつを買ってきてください。」




看護師さんに言われた言葉が

とても衝撃的でした。



母親のおむつを買いに行ったのは

あとにも先にもそれっきりでした。



弱っていく母に

何かできることはないのか。



自問自答した僕は



仙台から東京への

帰り道



物心ついてから

初めて母に手紙を書きました。



便箋2枚に

へたくそな字でこう書いたのです。



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お母さん



 病気になって大変な中、

 本当に頑張って治療を受けていて

 尊敬します。



 対面だと照れくさいので

 手紙で伝えます。



 俺を産んでくれて

 ありがとうございました。



 俺をここまで育ててくれて

 ありがとうございました。



 でもお別れという

 意味ではありません。



 一日でも長く

 生きて欲しいと思っています。



 しかもただ長生きするだけじゃなく

 大好きな踊りを続けてください。



 踊りの舞台に

 また立ってください。



 数年前、踊りの舞台の招待を

 もらったのに行けなくて

 ごめんなさい。



 今度は行くから



 踊りの舞台に

 また立ってください。



 早く元気になって

 お母さんが楽しそうに

 踊っている姿を見たいです。



 また来週来るね。



 治療大変だと思うけど

 頑張ってください。



 弘喜より




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この手紙が届いたのは

6月24日のことでした。



そこから母の病状に

奇跡が起きたのです。



(次号に続く)



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自分が書いた手紙を

今思い出して書いていたら

泣けてきました。



母の愛が

急に僕の意識に入ってきたようです。



あのとき手紙を

書いて本当に良かった。



人生で最初で最後の

手紙だったけど



そこに流れた愛のエネルギーは

母と僕のスピリットの間で

今もなお流れ続けているのです。





そろそろ子どもたちを

保育園に送っていく

時間になりました。



今日も素晴らしい1日を

お過ごしください。



HIROKI