アインシュタインさんが見つけた相対性理論っていうのは、僕たちの実生活においても完全に当てはまっているのだと感じました。
大小あれども小さな意見の食い違い、いざこざ、喧嘩が起きているとき
両者にとって、それぞれの方向から見ると、完全に正しいのです。
悪者がいるように見えて、自分は正しい善人に見えるのです。
例えば「サッカーチームの監督」と「起用されない選手」がいたとして。
監督の立場に立てば、その選手を起用しない理由は100%正しい、というより、「そのように見える」。
選手の立場に立てば、自分を使わない監督が間違っているという主張は100%正しい、というより、「そのように見える」。
離れたところから第三者的に見ていれば、こうして冷静に見れることも
自分自身が当事者となり、「あなたは間違っている」とか「あなたとはやっていられない」というようなことを言われたとき
人間っていうのは、動揺するものです。
いや、正確には僕はそういう趣旨のメッセージを受けるたびに動揺してはまた自分自身に戻ってきました。
とくに夫婦間や、親子間、経営者ースタッフ間ではこの「相対差」が生じやすいのです。
ではどう対処したらいいのか?
バシャールの本にこんな一節があったことを思い出し、シェアしたくなりました。
いろんな場面に応用の効く、フレーズ、考え方だと思います。
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(経営者(相談者)が、自社の社員から「社長は冷たい」と言われたとの話で)
バシャール:「あなたが冷たいというのは真実だと思っていますか?」
相談者:「いいえ、今は。」
バシャール:「では、忘れてください。それは話した人の観念であって、あなたにとっての真実ではありません。
まずそれをわかってください。
しかしながら、本当に良いボスになりたければ、相手の人にこのように言うことができます。
"もしあなたが、トップにいる人間というのはみんな悪い人に違いないと信じているのなら、あなたの人生の中で次の2つのうちどちらかしか起こりえない。
ボスが変わっても、どんな人であれ、常に悪い人のために働くことになります。
そしてあなた自身が悪い人になりたくないだろうから、自分自身が上司になること、つまり会社などを経営するということは一生ないでしょう。"
そして次のように言ってください。
"私はあなたに不幸になってほしくないから、選択肢を提供します。
ひとつは自分の観念を変える方法を見つけること。
もうひとつはここから去るということ。
なぜなら私は、自分自身がいい人間であると知っているし、あなたが信じている私の姿、つまり悪い人間になるつもりはないから。
私はいいボスなので、この組織全体を管理する私のやり方を信じています。
この職場にいる人みんなにとって、すべてのことが楽しく、クリエイティブで素晴らしく機能していると信じています。
私はあなたのことを愛しているから、いいボスとして、あなたにこれらの選択肢を提供します。
私はあなたに幸せになってほしい。
それだけが大切なこと。
だから、他へ行ってあなたが幸せになれる場所を見つけるか、もしくは、ここにとどまるなら、幸せでいる方法を見つけてほしい"
こんなことを言うと言われた方はあなたのことを今までよりももっと意地悪なボスだと思うかもしれません。
でもそう思うのは、彼らの怖れ、彼らの問題、彼らの観念、彼らの定義です。
あなたの問題ではありません。
あなたは、選択する自由と、あるがままの自分になる自由をその人に提供しました。
彼ら自身が自分の中にどんな観念があるのかを理解し、それらを変える機会を与えてください。
でももし、彼らがそれらを変えないことを選択するなら、行かせてあげてください。
(バシャールペーパーバック⑦より)
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