「時間がない。」
やることが多いと、相対的にそんな感覚になります。
「お金が減った。」
まとまった金額の請求書の支払いを終えると、相対的にそんな感覚になります。
「このままでだいじょうぶか。」
時間が足りないと感じたり、お金が足りないと感じると、そんな不安と一体化しそうになるときがあります。
時間がなかったとして。
最悪どんなことが起こるのでしょう。
お金が減ったとして。
最悪どんなことが起こるのでしょう。
だいじょうぶじゃなかったとして。
最悪どんなことが起こるのでしょう。
そうして一旦最悪を認識してみると、スーッと心が静まっていきます。
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「わからないことにリラックスしてください。
わからない、ということが、やさしい場所である可能性にオープンでいてください。」
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そみさんのフレーズが蘇ってきます。
僕はいつから「わからない」ということを怖がるようになったのだろう。
それも「わからない」わけですが(笑)、この「わからない」を「やさしい場所」と捉える練習。
ずっと続けていると、本当にそう思えてくるから不思議です。
思えば4年前。
全くアテもなく、何するかも決めず、貯金も使い果たして「0」の状態で僕は鹿児島に来ました。
「鹿児島に行って何するの?どうするの?だいじょうぶなの?」
いろんな人に聞かれました。
一貫して答え続けました。
「わからない。でも行ってみる。」
そうしたら今の僕の世界まで連れて来られました。
わかったような気になったとき、何かが停滞したことも多々ありました。
わからないままリラックスして生きる。
わからなさと、"ともに在る"こと。
どんなときでも思い出したいヒーラーのための祈り。
「私は、何を言うべきか何をすべきか、心配する必要がありません。
私がどこへ行こうとも、僕を守ってくれる存在が共にいてくれるので満たされています。
私は自分の癒し方を教わったので、癒されます。」
意思を持って、ビジョンを持って、小さな行動を地道に取り続けます。
※写真は、大切な僕のスタジオ。というかみんなのスタジオ。今は業者さんが一生懸命洗面台を磨いてくれています。これからスタジオをピカピカにしていきます。