スピリチュアルな世界ではいろんな節目の日らしいですね。
そんな日にぼくは誕生日を迎えました。
そしてこういう節目というのはいろんなことが起きてくるものです。
最近本当に強く実感していること。
「みんな、見たいように世界を見ている」
ということです。
言い方を変えれば
「みんな、見たいようにその人を見ている」
とも言えるでしょう。
一体僕たちは見ているその世界、その人の何%を知ってるのでしょうか。
数%しか知らないのに、わかったつもりになって、いいとか悪いとかジャッジするわけです。
自分のことは自分が一番わかっているはずなのに。
そういう風にジャッジされると人の心というのは、プラスやマイナスに振れるのです。
誰かから、否定や攻撃のメッセージを受け取ったとき。
「その人はそう見たんだな」
と思って見てみると、そこに波は立たないのです。
それが以前に書いた記事、「赤い帽子はかぶっていません」というものにつながるのです。
否定と攻撃では微妙に対応のニュアンスが変わってきます。
否定されただけなら、「そう見たんだな」で終わります。
攻撃されたときは、「やめてください」と伝える必要があります。
でもこの、「やめてください」は結構リスクがあって、さらなる攻撃を呼んだりするのです。
そこで出てくるのがこれも以前書いた記事「不快にさせて申し訳ありません」なのです。
自分を中立に保つこと。
中立にはなりえないけど、プラスやマイナスに触れてる自分に気づくこと。
こうして人生のプロセスは続いていくのです。
ひとつだけ確実なこと。
誰も間違ってないし、誰も悪くないということ。
そして
自分や他人が動揺しているときは、「そこにない何か」を見ているときだということ。
新月の1日が終わろうとしています。