人がパートナーシップに望んでることって突き詰めていくとこの2つなんじゃないかという気がします。
自分の最もダメなところ、自分が最も嫌いな自分の部分を、大好きな人に伝えたとして。
それでも愛している、と言われたら、心の底から救われたような気持ちになるでしょう。
相手が、最も相手自身が嫌っている相手の部分のシェアしてくれたとして。
それでも愛している、と言えたら、自分の愛に心から自信が持てるでしょう。
愛されるのに条件はいらないし、愛するのに条件はいらない。
これを最も実践しているのは僕の子どもたちです。
どんなパパであっても変わらず愛してくれているし、どんな子どもたちであっても僕は変わらず彼女たちを愛しています。
自分が愛されるかどうかは、相手次第。
それをコントロールすることはできないし、それを気に病み始めるととっても苦しくなります。
自分が愛するかどうかは、自分次第。
仮に愛したい人を愛せない状況があるならば、その人を愛するストーリーではなくなったか、自分自身を変容させる大きな機会なのでしょう。
私は無条件に愛されたいし、無条件に愛したい。
そのことを世界に向かって宣言したとき、実現のためのあらゆることが動き始めます。
昨日名古屋の地下鉄で、飲みすぎて駅のホームで吐いている若い男性を見かけました。
物理的には、駅員さんが助けに入っていたので、僕はその男性の魂を見て健康を祈ろうと思いました。
すると突然、大きなリュックを背負ったその男性の彼女と思しき女性が現れて彼を介抱し始めました。
リュックから2リットルの大きなペットボトルのお水を出して彼に飲ませてあげていました。
僕には、その2リットルの水は、彼女の愛の大きさそのものに見えました。
彼女は、完全に無条件に、彼を愛していました。
彼も、彼女から完全に無条件に愛されることを受け取っていました。
美しい愛を見ることができて、幸せなまま1日を終えました。
私は愛します。
私は愛します。
私は愛します。
3回つぶやいて、深呼吸。
「私は愛ある意識です。」
「私は愛ある気づきです。」
ラムダスから教わったマントラです。
今から大好きな八ヶ岳へ。
大好きなコーチングの生徒さんたちと最後の講座をしてきます。
人生は続きます。
HIROKI