ものごころついた頃からずっとつけていた左右の銀歯を、セレックっていう白い素材に変えました。
取れた銀歯は、銀だったとは思えないほど真っ黒になっていました。
10月に親知らずを抜いたときも思ったけど、一緒に生きてきた存在を切り離すというのは、感慨深い体験です。
そして生まれ変わって続いていくのが、「僕の」セレックであり、それを装着している「亀井弘喜」という人間、というか肉体。
「亀井弘喜」という人間、というか肉体もいつかはこの「全体である世界」から切り離され、死んでいくのです。
それでも「全体である世界」の方は健全に続いていくのでしょう。
それはあたかも、銀歯がなくなってもセレックになって、「亀井弘喜」が続いていくように。
そうか。
抜けた親知らずや銀歯に哀愁を感じてたのは、亀井弘喜という名付け・概念を投影していたからだと気づきました。
そんな僕は今、i-phone5をi-phone6プラスに機種交換中です。
歯もケータイも肉体も。
機種交換しながら、永遠なる生命だけが続いていくんですね。そう考えるとすべては「借り物」なんだと知りました。
僕の所有物なんてなかったのですね。
お金も仕事も「僕の」なんてひとつもないのです。
「みんなの」であり、「誰のもの」でもないのです。
機種交換は時間がかかるみたいです。