結局、とらわれているときというのは、「世界(他人も含む)が灰色に見えるメガネ」をかけて世界(他人)を見ているのに過ぎないのだと気づきました。
世界(他人)が灰色に見えるメガネをかけておきながら、「この灰色の世界(他人)が気に入らない」と不満を持つのです。
ここでいう「世界」とは文字通り世界や社会ということでもありますし、気に入らない環境や他人などすべてのことに当てはまります。
かといって、不満を持っちゃいけないわけじゃないし、灰色のメガネをかけちゃいけないわけじゃない。
むしろ無数の膜がかかっているこの灰色のメガネを、ひとつずつクリアな色にしていくのが人生の面白いところなのかもしれません。
生まれたときは誰しも完全にクリアな色だった、「世界を見るメガネ」。
それが、親や社会や環境によって、だんだんと「灰色」に曇っていくのでしょう。
「灰色」とは、制限や否定や怖れのことです。
「クリアな色」とは、自由や肯定や喜びのことです。
灰色のメガネは知らず知らずのうちに掛け方を覚えさせてくれるようですが
どうやったらクリアな色を取り戻せるか、ということに関してはなかなか教えてくれる存在とは巡り会いません。
でもだからこそ、クリアな色のメガネをかけたメンター(人生の師)を見つけたとき、「やっと見つけた」というような達成感を味わうのです。
灰色なメガネから、クリアなメガネへ。
メガネをかけ替えれば、世界を変える必要はないのです。
メガネをかけ替えれば、他人を変える必要はないのです。