ここ一連の出来事で結構自分に対する認識が変わってきました。
僕はアーティストでした。
僕のやっている活動はアートであり、創作活動でした。
それは事実でも真実でもなく、僕の「認識」であり「仮説」です。
でもその仮説によって、すごく辻褄があったのです。
なぜ人々が僕に会いたいと言ってくれるのか。
なぜ人々が僕に会うと癒されるのか。
人は自分認識が「ビジネスマン」ならば、「ビジネス価値」を提供しようとします。
自分認識が「アーティスト」ならば、「創作の結果」(またはプロセスそのもの)を提供しようとするでしょう。
お金儲けのために創作がなされることは、ほとんどないでしょうし、あったとしてもその創作は「ビジネス」の波動になるのでしょう。
僕は不思議なことに鹿児島に移住してからの2年半、誰にもいわゆる「営業」をしてきませんでした。
「サービスの案内」はするけれど、「買ってください」と頼んだことはなかったのです。
それはちょうど芸術家が、展示会の案内はするけど、展示物を売り込まないのと似ています。
起業するときになぜか決心してました。
「売り込むの、辞めよう」
それはでも商売下手になりかねなくて、資金繰りが大変なこともありました。今でもあります。
それでも「売り込まない」ことに関してだけは揺らぎませんでした。
アーティストとしてのこだわりなのかもしれません。
やっている行為がセミナー講師だったり、コーチングだったり、ヨガの先生だったり、タイ古式マッサージだったり、割と現実的な「職業」に当てはめやすいこともあって。
僕は、それらをしてるとき、「その職業の人」になりきっていました。
昨日からその認識は変わりました。
僕はアーティストです。
この文章も創作活動の一つだったのです。
セミナーも、コーチングも、ヨガクラスも、タイ古式マッサージもアートだったのです。
クライアントさんとともに織りなす共同創造です。
ヒューマンアートなのです。
「かめちゃんは、お花をもらえる仕事をする人なんだよ」
すでに世界で活動しているアーティストの友人に言われた言葉でした。
はい。
そうなります。
お花をもらえる仕事、します。
いろんな体験や出来事はここにつながっていました。
この気づきが起きた今、外側は何一つ変わりません。
でも僕の内側は、大きく変容しています。
これからも創造し続けます。
愛を目撃し続けます。
写真はそんな気づきが起きた今日、なぜかセッション場所として指定された上野の街並み。
セッション場所は美術館のすぐそばでした。