「知りたい」「わかりたい」「なぜ?」
人間のこの知りたい欲求。
健全な範囲を超えて、「知りたい」にとらわれると、何ていうか頭でっかちな感じになってしまうようです。
・引力があるのはなぜ?
・男女に分かれているのはなぜ?
・生きてるのはなぜ?
・私の使命はなに?
・私のソウルメイトは誰?
・なぜいつもお金が足りないん?
そのマインドから生み出される疑問・質問・欲求はとどまるところを知りません。
それら質問に答えることは僕の楽しい仕事の一つです。
でもその質問自体は本人たちがゲームを楽しむのには役に立ちません。
トランプをしている最中に、「ハートマークはなぜハートマークなんだろ?」などと考えていたら、トランプを楽しめないでしょう。
人生やこの宇宙や自分自身に関する、「知りたい」も同じだと最近は思います。
「知りたい」自分に気づいて、手放す。
知ることよりも大切なこと。
それは楽しむこと。
さらにその奥には、楽しむことですらない「ただ在る」世界、沈黙の世界、静寂の世界、愛の世界が潜んでいるようです。
最近、僕のクライアントさんで、この「知りたい」欲求にとらわれて頭がパンパンになっている人が連続で現れたので、書いてみました。