来年も誕生日を祝おう | 心理カウンセラーかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

赤ちゃんが生まれてから、何だかフワフワした毎日を過ごしています。

赤ちゃんの存在を目の当たりしたときから、現実の感覚がまた一段階変わった感じです。

その体験のプロセスは、言葉になる部分とならない部分があるのですが、言葉になる部分は忘れないうちに残しておこうと思いました。

奥さんの緊急帝王切開が決まったのが金曜日の15:00頃。

帝王切開だと、「全身麻酔で意識をなくしているうちに出産し赤ちゃんが亡くなる」というリスクがあったため、奥さんは帝王切開をとても嫌がっていたのです。

ショックで泣いて電話してくる奥さん。
病院に駆けつけた僕。

ドラマのような分娩室で、泣いている奥さんと、帝王切開の説明や同意書のサインを淡々と求める若い男性主治医。

救いを求めるように、僕を見る奥さん。

「たしなめてください」と言わんばかりの主治医。

僕は黙って、出来事を受け入れていました。

諦めて、同意書にサインする奥さん。

主治医は部屋から出ていきました。

僕はかける言葉がなくて、何となく、家の固定電話に電話しました。

わが家では、固定電話はもはや長女の優花ちゃん(6歳)のケータイと化していて(笑)、いつも優花が出るのです。

以下、そのときのやりとりです。

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優花:「もしもし」

僕:「ゆうか、パパだよ。」

優花:「(嬉しそうに)どうしたの?」

僕:「赤ちゃん、今から生まれるんだよ。」

優花:「(嬉しそうに)えええええ!!!!」

僕:「でもね、ママのお腹を切って生まれてくるんだって。だからママを応援してあげて。」

優花:「そうなんだね。(そこにはあまり触れずに)じゃあ、今日は赤ちゃんの誕生日ってこと??」
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そのとき、僕は初めて気づきました。

今日が赤ちゃんの誕生日なんだと。

そして瞬間、恐怖に襲われました。

誕生日だけど、そもそも誕生しないリスクもたくさんある。
(事前の説明では無事に生まれるかどうかも半々、と言われていました)

誕生したとしても、すぐに死んでしまうリスクもたくさんある。
(事前の説明では、生まれたとしても呼吸できるかはわからない、と言われていました)

誕生日でもあるけど、命日にもなるかもしれない。

そう思ったら、一瞬のうちに恐怖にとらわれたのです。

そこから抜けられたのは、ゆうかの一言でした。

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優花:「じゃあ、今日は赤ちゃんの誕生日ってこと??」

僕:「(恐怖にとらわれつつ)うん、そういうことになるかな。(と元気をなくす)」

優花:「じゃあ、来年の今日は家族みんなで赤ちゃんの誕生日をお祝いしなきゃね!」

僕:「!!!」
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僕が見ていた世界。
それは、赤ちゃんの誕生日が命日になる恐怖の世界。

優花が見ていた世界。
それは、赤ちゃんの誕生日が誕生日であり続ける健全な世界。

優花の全く心配のエネルギー0の電話越しの声で、僕は恐怖の世界を抜けられたのです。

そこからは、だいじょうぶでした。

だいじょうぶなことがわかったのでした。

誕生日を来年も祝おう。

そう思ったのでした。

そして30分後、すやすやと自力で呼吸している赤ちゃんと対面したのです。(写真はその初対面時のものです)

今日は生まれて3日目の朝です。

赤ちゃんは今日も元気に呼吸をしています。

骨の障がいについて、詳しい検査の結果はまだ出ません。

赤ちゃんの折れ曲がった短い足を見る度に、「歩くことはできないかな」って思う自分がいます。

赤ちゃんの短い腕を見る度に、「手も自由に使えないのかな」って思う自分がいます。

でももうわからないことを心配するのはやめました。

そして、どんな状態であっても、赤ちゃんを全力で愛そうって思いました。

手足が使える側から見たら、手足が使えないことは障がいと呼ぶのでしょう。

でも僕にとっては、健全な命そのものです。

美しい命そのものです。

彼女のことを思う度に涙が止まらないのです。

生きているってことがどれだけ素晴らしいことなのか。

そのことを教えてくれたのが、今回の体験なのです。

ありがとう。

愛しています。

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