家族全員が家にいること | ライフコーチかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

4人目を出産した奥さんが今日、1週間ぶりに退院し、久しぶりに家族全員が家にいました。
家族全員が家にいる。

たったこれだけのことで、人間は幸せになれるステキな才能をもらっているようです。

家族全員が家にいる。

僕は、小さい頃、これがなかなか叶わない家庭で育ちました。

1~2歳の記憶なき時代には、父がドイツに2年間単身赴任。

3~12歳の幼少期~思春期は、父が神奈川県の平塚市というところから川崎にある職場まで通い、連日始発出発、終電帰りの日々。唯一の土日もエリートサラリーマンだった父は、接待やらゴルフやらであまりいた記憶がありません。

12~15歳の中学生時代(神奈川県)は、父が祖父の会社を継ぎ、仙台へ単身赴任。僕が「友だちがいない」ということを痛切に感じ始めたのもこの頃でした。高校生だった兄がぐれ始めたのもこの頃でした。

16~22歳までの高校・大学時代(宮城県)は、宮城県の仙台市へ僕が引っ越し。でもそこに大好きな兄の姿はありませんでした。

23~32歳までのサラリーマン時代(東京)、ほとんど実家に帰りませんでした。自分ひとりで
生きてる気になっていました。

32歳の5月、母は急に脳のガンが発覚し、余命半年と宣告されました。ここでも家族は揃いませんでした。

32歳の6月、母が脳梗塞で倒れ、今日中にも亡くなるかもしれないから、家族全員集まってくださいと医者に言われました。

慌てて仙台に向かいました。

ものすごく久しぶりに父と母(意識はあるものの半身不随)と兄と僕が揃いました。

言葉は出てこなかったけど、4人揃って、すごく嬉しくて、すごく懐かしくなったのを覚えています。

3日後、母は亡くなりました。

4人揃って、家族みんなでいることは、肉体の次元では出来なくなりました。

思えば最後に4人でどこかへ行ったのはいつだろう。

最後に4人で旅行したのはいつだろう。

思い出せないほど、遠い記憶です。

僕自身、いろいろ頑張って、いろいろ達成してきた気になっていたけど、結局のところ求めていたのは

「家族全員が家にいること」

だったのかもしれません。

今、僕は自分の家族でそれが手に入りました。

と思ったら4人目の赤ちゃんは、生まれてずっと病院にいます。
集中治療室というところにいます。

いつ退院なのか、そもそも退院できるのかもわかりません。

でももう少しでまた一つ叶います。

「家族全員が家にいること」

たくさんの家族が、全員で家にいられますように。