4人目を出産した奥さんが今日、1週間ぶりに退院し、久しぶりに家族全員が家にいました。
家族全員が家にいる。
たったこれだけのことで、人間は幸せになれるステキな才能をもらっているようです。
家族全員が家にいる。
僕は、小さい頃、これがなかなか叶わない家庭で育ちました。
1~2歳の記憶なき時代には、父がドイツに2年間単身赴任。
3~12歳の幼少期~思春期は、父が神奈川県の平塚市というところから川崎にある職場まで通い、連日始発出発、終電帰りの日々。唯一の土日もエリートサラリーマンだった父は、接待やらゴルフやらであまりいた記憶がありません。
12~15歳の中学生時代(神奈川県)は、父が祖父の会社を継ぎ、仙台へ単身赴任。僕が「友だちがいない」ということを痛切に感じ始めたのもこの頃でした。高校生だった兄がぐれ始めたのもこの頃でした。
16~22歳までの高校・大学時代(宮城県)は、宮城県の仙台市へ僕が引っ越し。でもそこに大好きな兄の姿はありませんでした。
23~32歳までのサラリーマン時代(東京)、ほとんど実家に帰りませんでした。自分ひとりで
生きてる気になっていました。
32歳の5月、母は急に脳のガンが発覚し、余命半年と宣告されました。ここでも家族は揃いませんでした。
32歳の6月、母が脳梗塞で倒れ、今日中にも亡くなるかもしれないから、家族全員集まってくださいと医者に言われました。
慌てて仙台に向かいました。
ものすごく久しぶりに父と母(意識はあるものの半身不随)と兄と僕が揃いました。
言葉は出てこなかったけど、4人揃って、すごく嬉しくて、すごく懐かしくなったのを覚えています。
3日後、母は亡くなりました。
4人揃って、家族みんなでいることは、肉体の次元では出来なくなりました。
思えば最後に4人でどこかへ行ったのはいつだろう。
最後に4人で旅行したのはいつだろう。
思い出せないほど、遠い記憶です。
僕自身、いろいろ頑張って、いろいろ達成してきた気になっていたけど、結局のところ求めていたのは
「家族全員が家にいること」
だったのかもしれません。
今、僕は自分の家族でそれが手に入りました。
と思ったら4人目の赤ちゃんは、生まれてずっと病院にいます。
集中治療室というところにいます。
いつ退院なのか、そもそも退院できるのかもわかりません。
でももう少しでまた一つ叶います。
「家族全員が家にいること」
たくさんの家族が、全員で家にいられますように。