「ひろきさんって、普段何をしてるんですか?」
不意をつかれたこの質問。
思わず言葉を失いました。
僕は普段、何をしてるんだろう?
みんなから「忙しそうですね」とか「あちこち飛び回ってますね」とか言われるけど、実際はすごく働いていません。
月の労働時間とか測ったことないけど、多分50時間くらいなんじゃないかと思います。
じゃあ一体それ以外は何をしてるのでしょう。
その質問にふさわしい「ルーティン」が僕にはなかったのです。
でも大体は、クリーニング屋さん行ったり、スーパー行ったり、子どもたちの習い事に付き添ったりと生活に関わることをしています。
金魚の水を替えたり、芝生を刈ったり、洗車したりするのも好きです。
あとはとにかく会いたい人に会うこと。
行きたいところに行くこと。
マッサージ行ったり、ヨガしたり、自分を大切にすること。
大切にしたいことを大切にすること。
2年前、会社を起こしたときは、もっと肩肘張ってました。
色々しようとしてはできずもがいていました。
今は、今を生きています。
明日のことは本当にわからなくなりました。
今の出来事も、創ってるのか創られているのか、わからなくなるときがあります。
もちろんこの投稿も指は動いてるので、創ってるようですが、内容はほとんど考えず打ってるので創られてるとも言えるわけです。
創られる出来事に善悪はないことが最近はわかってきました。
どこまでいっても善悪はなかったのです。
こういうつぶやきをしたとき、2種類の反応を受けることがあります。
「ホッとした」「癒された」というような好意的なもの。
「なんか嫌だ」「大丈夫?」という否定的なもの。
それはひょっとしたら、いいね!の数に現れるのもかもしれません。
前の自分なら、いいね!がたくさんつけば喜び、
少なければ悲しむ、さみしくなる、罪悪感を感じるなどと反応をしていました。
今も反応する自分はいます。かわいい、愛しい怖がりな自分です。
でも知っている自分も備わってきました。
すべてがだいじょうぶだと知っている自分です。
それはとてもパワフルな存在です。
いつもワクワクして、力強く生きる存在です。
きっとこの投稿はそっちの存在が出たがったのだと思います。
これからは、この世界が広がるようにおもいます。いや、もう広がってるのかな。
すべてがだいじょうぶだとしたら、今何をしますか?
僕はすべてがだいじょうぶだとしたらこの投稿を届けます。
最後まで読んでくれてありがとうございます。