奥さんの陣痛は収まり、さっき一時退院しました。
2日の入院中お風呂に入れなかったってことで、僕の大好きなシルクインというホテルの通り湯に来ました。まだ奥さんは温泉中です。
鹿児島の温泉が僕は大好きです。
鹿児島をこよなく愛してるから、ってのを別にしても、明らかに癒されるのです。
今日もそうでした。
昨日の育児のストレスや、意外に高くつく入院代、待たされまくる市立病院、たまる一方の仕事、赤ちゃんが生きて生まれてくるのかどうかという不安、これからかかるお金のこと、などなど。
結構強烈なストレスを抱えていた僕は、病院でちょっとした感情の波に巻き込まれました。
それが、さっき温泉に入った瞬間、「パチン!」と音を立てて、崩れました。
新しい世界の再創造です。
さっき書いたすべてのストレスは、「過去」のものになりました。
「今」は、何もないのです。
温泉とは、かみさまの愛そのものだとわかりました。(ここでいうかみさまは宗教的な意味ではなく、大いなる存在、創造主、ブラフマンという感覚です)
温泉は、美しき比喩の一つだったのです。
温泉という名のかみさまの愛に浸かりながら悩むことはできませんでした。
そして温泉から上がったときもうひとつ思い出しました。
この地球も、かみさまの愛そのものだったのです。
地球というかみさまの愛の中で、温泉というかみさまの愛に浸っていたのです。
そんな浸る主体としての僕もかみさまの愛そのものでした。
全部かみさまの愛でした。
市立病院も、待たされるその時も、減っていく通帳の残高も、すべてかみさまの愛でした。
危ないものは何もなかったのです。
それでもときどき忘れてしまいます。
危ないような錯覚が起きてきます。
そんなときは、温泉に来よう。
鹿児島の温泉、最高(^^)!