生まれ...ず。
陣痛というのは起きたり収まったりするようです。
寝不足でフラフラしたまま、お義母さんとともに3人の子どもたちと一緒に過ごした日曜日。
毎回感じることですが、男性というのはお産に関してはとことん「無力」だということです。
もちろんそばにいたり、励ましたりとかはできますが、それでも奥さんの宇宙に生じたお産という壮大な出来事にはどこまでいっても届かない。
この絶望的なまでの無力感にさいなまれた僕は苦しそうにする奥さんにかける言葉が見つからなかったのです。
(元気になってからは、だいじょうぶでしたが)
今回の陣痛で改めて感じたのは、すべては「起きてくる」ということです。
陣痛を起こすことはできず、それは起きてくるのです。
考えてみれば、眠りもそうです。
眠ろうとして眠れる人はいなくて、人間にできることは、眠る準備をして眠りが起きてくるのを待つだけです。
悟りもそうなのかもしれません。
悟ろうとして悟れる人はいなくて、人間にできることは、悟る準備をして悟りが起きてくるのを待つだけです。
そして陣痛も眠りも悟りも、「そろそろかな」なんて期待を持った瞬間、それは起きてこないのです。
人間としての僕は、人生でいろいろ成し遂げたと思っていました。今でも思っている自分はいます。
成し遂げる、ということは、一種「起こす」ということです。
「そう思えばそうなる」、というこの美しきパラレルワールド的三次元世界の中で、起こしたことなんて何もなかったし、これからもないのだ、と深く深く腑に落ちたのでした。
この投稿も、「起こした」と思いたい人間としての僕と、「起きてきた」ことを知っている存在としてのそれが一緒にいるのです。
それらは共存可能なのです。
赤ちゃんの誕生が起きてくるのは、どんな風なのか。
今からワクワクして、でも何も変わらず愛しき日常を過ごしています。
応援や祈りや光や癒しを送ってくれたすべてのみなさん、心からありがとうございます。
すべて受け取りました。
僕からも内側の愛で、送り返します。
ありがとう。愛しています。