ほんとうの自分が誰なのか、思い出しながら生きたい、とずっと探求してきました。
思い出せるようになってきたら、今度は忘れたいって感じるから、この世界はよくできているなって思います。
そして、ほんとうも何も、自分という認識そのものすら幻想なのかもしれないという体験が昨日のヨガ中に起きてきました。
それは虚無感などではなく、愛そのものでした。映画のラストのようにスクリーンに映し出される僕の人生に関わってくれた大切な人の顔、顔、顔。
最後は誰かなと思ってたら、なんと自分自身(亀井弘喜)だったのです。
思わず自分自身をハグしたくなりました。(意識の中で、です)
そしてハッと気づいたのです。
「この、亀井弘喜をハグしたくなってるのは誰なのか?」って。
その瞬間、すべてがひとつになったように感じられました。その意識こそが自分だったのです。いや、自分という概念ですらない、存在そのものです。
きっとこれもまた人間としての僕にとっては、ターニングポイントなのでしょう。
もう人からどう思われるかとかいいかなって降参して、ありのまま感じることを表現していこうと思っています。
ちゃんと書こうかな。表現します。
怪しいとか怪しくないとか、二元的なとらわれを少しの間だけ忘れて、表現します。
まずは、6/10(火)鹿児島で。
そして、6/28(土)名古屋で。
そのあとは、出来事任せで。
「この世界は何もしなくても安全だった」という前提で生きたらどうなるのか。
表現します。
目覚めて眠る、の繰り返しは、人生の本質そのものなんですね。
おやすみなさい。