趣味という趣味のない僕の唯一の趣味?の庭の芝刈り。
きっかけは、4年前、母が亡くなり、葬儀を終えた翌日のことでした。
暑い7月、実家の庭は、芝が生え放題、雑草だらけで鬱蒼としていました。
母を亡くした悲しみが癒えず、でも翌日からの東京での会社員としての現実がやってくることに折り合いがつかなった僕。
芝いじりが大好きだった亡きおじいちゃん愛用の芝刈りバサミを持って、暑い中、4ー5時間かけて芝刈りをしたのです。
芝刈りなど全く興味なかった父親は最初バカにするかのようにこう言いました。
「ひろき、暑いから辞めておけ。倒れるぞ。」
"やれるまでやってみるよ"、と笑顔で答える僕。しばらく経つと父はこう言いました。
「ひろき、ご苦労さん。あとは業者に頼むからだいじょうぶだぞ。家へ上がったらどうだ?」
"やれるまでやってみるよ"、笑顔で答える僕。しばらく経つと父は黙って芝刈り機を手にしていました。
そしてこう言いました。
「こっちは俺がやっておくから。」
親子二人、愛する妻と母を亡くした人間が黙々と芝を刈ったのでした。
芝刈りを終えたら、不思議なことに悲しみが癒えた気がしました。
そして何よりも無言で行った父との協力作業が嬉しかった。
父との仲が深まるのはそれからすぐのことでした。
今では実家の父は最新鋭の芝刈り機を購入し(笑)、なんと家庭菜園まで始めています。
こうしておじいちゃんの代から親子三代の芝刈り好きが生まれたのです。
芝は、家主の心の中を反映しているような気がします。
・すぐに荒れる。
・整えるのは大変。
・手入れをすると喜ぶ。
・大切にすると喜ぶ。
芝刈りは、経営に似ているような気がします。
芝刈りは、人生にも似ているような気がします。
芝は永遠に生え続けます。
そして僕は芝を永遠に刈り続け、死にます。
庭の芝はかわいい子どもや孫たちが刈り続けてくれることでしょう。
美しき循環に気づいて、嬉しくなって投稿しました。