「嫌われたくない」
僕は、幼少期からこの想いをすごく強く抱えて生きてきたような気がします。
いじめられっ子になるのだけは避けたい。
そう思って、よく友だちたちを観察しているような子どもでした。
子どもなりにわかったのは、
「いじめる側は何かのきっかけで、いじめられる側に転じやすい」
「いじめる側は、裏で悪口を言われることが多い」
ということ。
それがわかった僕は、いじめ側に加わってしまうことも怖れていました。
結果、いじめ側にもいじめられる側にも加わることはありませんでした。
その代わり、代償として心を許せる友だちは一人もできない思春期でした。
大人になり、人とのつながり方を教えてくれるメンターたちと出会いました。
みんな嫌われることを怖れず自分軸でキラキラ生きているように見えました。
メンターたちの教えを実践していたら、僕の「嫌われたくない」という気持ちはどんどん引っ込んでいきました。
代わりに出てきた想い。
それは「仲良くなりたい」というものでした。
言葉を変えれば、「友だちになりたい」というものでした。
ここ数年の僕は仲良くなりたいなぁと初対面の人に、「友だちになってくれませんか?」と声をかけることがあります。
多くの人は、少しびっくりしながらも、笑顔で「はい!」と言ってくれます。
「"友だちになってください"と言われて友だちになったの、かめちゃんが初めてだよ。」
とフィードバックをくれる友人もいました。確かにそうかもしれません。
でも僕は本当にそう思ったとき、それを言うのです。
「仲良くしてくれませんか?」「友だちになってくれませんか?」
結果、仲良くしてくれなくてもいい。友だちになってくれなくてもいい。
それよりも、
「仲良くなりたい」「友だちになりたい」
という自分の愛を表現できたことが嬉しいのです。(要するに自己満足です。笑)
「嫌われたくない」から「仲良くなりたい」へ。
そうシフトした人生だったことに、今夜のクライアントさんとのセッションで気づかされました。