車の運転って、ドライバーの生き方というか考え方が現れやすいなと思いました。
毎日行くクリーニング屋さんから出るところで、どうしても合流しなければならないのですが、
そこでやってくる車、パターンがわかれます。
1、合流したい僕の車に気づかない人
2、合流したい僕の車に気づいて、決して入れまいとスピードアップする人
3、合流したい僕の車に気づいて、スピードを緩めて、入れてくれる人
今朝は、2、の人でした。僕が出かかったところでスピードアップ。
思わず急ブレーキを踏みました。
以前の僕なら反応した出来事。
今日はプラスマイナス0でした。
「ああ、スピードアップされたな。」
と出来事を眺めていました。
僕は、今は3、の運転というか生き方をしています。
でもちょっと前まで1、もしくは2、でした。
昔誰かが合流したかったとき、僕がスピードアップして入れなかった、という体験のエネルギーが残っていて、今朝、反対側を体験したのかもしれません。
どっちにしても今日気づいたこと。
正しい運転とか間違ってる運転があるわけではない。
そして、その運転に行き着いた必然性がそのドライバーの体験の中にあるということ。
すべてのドライバーが3、になった社会になったら、ドライブはさらに楽しいものになるかもしれませんね。