「僕は求められてもいないのにアドバイスするのもされるのも嫌いです。だからアドバイスするのではなくて、"自分はこう思う"と伝えるだけです。また、誰かから勝手なアドバイスを受けても自分の方針がぶれることはありません。」
去年の12月に行った九州大学での就活セミナーで、ある学生団体の代表を務める学生が発した言葉でした。彼は本当に素晴らしい、偉大な経営者のような発言をする若き人格者でした。
僕はこの言葉を聴いたとき、すごく感動しました。なぜなら、僕も全く同じだということに最近気づいていたからです。
僕は、昔からアドバイスされるのを極端に嫌っていました。
※ここでいうアドバイスとは、こちらが求めてもいないのに勝手にしてくる「勝手にアドバイス」のことを指します。
最近では受け入れられる度合いが上がりましたが、それでも今でも正直求めてもいない局面でアドバイスされるのはあまり好きではありません。
それはわがままとか自己中とか素直じゃないということとは違っていて、「そっとしておいて欲しい」という感覚です。
そっとしておいて欲しい。自由にさせて欲しい。
思えば僕は小さい頃から他人のコントロール下に置かれる状況が極端に嫌いでした。
幼い頃、高圧的だった(ように見えた)父親との関係が影響しているのかもしれません。原因はともかく、他人の指図を受けたくなかったのです。
どうすれば他人の指図を受けずに済むのか。小さな僕が考え抜いた先に出てきたのが、
「他人の顔色を伺い、他人の意向に沿って生きる。」
という生き方でした。一度従って、その相手の望む結果を出せば、それ以上は指図されなくなると考えたのです。
心の中では他人のアドバイスに沿ったり、他人の意見を受け入れることを極力嫌いながら、笑顔で何でもないかのように受け入れた"フリ"をする。
そうして結果を出し、喜ぶ相手の姿を見て内心ホッとする。そんな生き方を繰り返した思春期~20代でした。
結果的に、その生き方は自分の鬱病という出来事をもたらし、鬱じゃなくでも会社で働いてるときは基本的に苦しい自分がいたように感じます。
幼い頃の、コントロールしてくる父親の幻影を、どうしても上司や社長に重ねてしまうのです。
起業して、移住したとき、そこに待っていたのは完全な自由でした。
でもそれは孤独や不安と引き換えでした。
皮肉にも「誰かのアドバイスが欲しい」「誰か指示をしてくれ!」と思う自分がいたのです。
さらにコーチとして駆け出しの頃は、クライアントや友人や奥さんに気づいたら「勝手にアドバイス」をしまくってる自分に気づいて愕然としたのです。
そんな体験を経て、今の僕は
「勝手にアドバイスすることも、されることも好まない。」
という考え方になりました。
みんな結局その人にとって100%正しい考え方をしているし、100%正しい生き方・選択をしていると感じるからです。
誰かの考え方が、僕が取り入れている考え方と違ったからと言って、間違っているわけじゃないし、変えなきゃいけないわけじゃない。ただ、違うだけなんだと腑に落ちたのです。
例え本人が困っているように見えたとしても、本当にその状況を解決したいとは限らないんだとコーチングの実践を重ねるごとに気づくようになりました。
世の中には、「勝手にアドバイザー」がたくさんいるように思います。コーチングやカウンセリングが広まれば広まるほど、その輪も広がっているのかもしれません。
もちろんそれは、その人の優しさから来ている部分もあると思うし、役に立つケースもたくさんあるでしょう。
でも往々にして、受けた側が不快に感じる「勝手にアドバイス」の場合、アドバイザー側の投影だったり、単にアドバイザー側が問題を抱えていたりするケースもあるのだと自分自身も勝手にアドバイザー側を散々やってみて気づきました。
勝手にアドバイスしたり、されたりするよりも、もっとみんなが安心して生きられる世界。
それを創るには、「そっとしておく強さ」を備えることが必要なんだと思います。その強さを備える方法を社会に広めたい。
それが今回、鹿児島で行うライフコーチ養成講座で参加者に最も伝えたいことだったのだと、とある参加者との電話で気づいたのでシェアしました。
読んで下さった方の人生の何かにお役に立てたら、とても嬉しいです。