つわりに苦しむ奥さんの姿を見て思い出した体験があります。
それは3年前、母が脳の末期癌と闘病していたとき。
明らかに弱っていく母が最後は痰(タン)を飲み込めなくなり、数時間に一度看護婦さんが吸いに来ることがありました。
意識が朦朧としている母。
痰を吸われると本当に苦しそうに、この世の終わりのように涙ながらに咳き込むのです。
「できることなら代わってあげたい」
人生で最も強くそう思ったときでした。
でもそれを何度も見ているうちに感覚が変化しました。
「それをちゃんと見よう」
母が苦しむその姿をちゃんと見ようと思いました。
なぜかはわかりません。
そしてちゃんと見るようにしたら、涙が止まりませんでした。
でも母の人生の苦しみを象徴するかのようなその咳き込む姿をしっかりと目に焼き付けたのです。
ずっと見ているうちに僕の心は母の咳き込む姿を見ても反応しなくなりました。
穏やかに見守り、咳き込みが終わったらただ静かに「がんばったね」と声をかけました。
その翌日、母は意識を失い亡くなりました。
今ではしっかりと目に焼き付けて良かったと思っています。
奥さんのつわりの苦しみも、プラスでもマイナスでもなく目に焼き付けようと思います。
そしてただ「がんばったね」と声をかけ続けようと思います。
この苦しみと同じだけの喜びや愛に満ちた体験が待っていることを、もう今の僕はわかっているからです。
「代わってあげたい」
から
「ちゃんと目に焼き付けたい」
へ。
これが僕なりの捉え方の成長です。同じような体験をしている全ての方に、メッセージでした。