【お勧め本】死ぬときに人はどうなる 10の質問 (大津秀一)その2 | ライフコーチかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

東北大震災で被害に合われた方のご冥福を心からお祈り申し上げます。


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かめいひろき@自宅です。


先のエントリに続き、この名著の読後感想&気づきのまとめです。


死ぬときに人はどうなる10の質問―あなたは考えたことがありますか?/大津 秀一

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終末期医療に従事している著者の、

いわゆる死に対する「実際」の記述も、

母の死を体験した私にとっては腑に落ちるものでした。



ただし、死についてかなり具体的な症状に関する描写が多いため、

その部分に関する気づきは割愛させていただきます。



それよりも、スピリチュアルペインとの向き合い方について。



直接的に、「こう向き合え」と書いてあるわけではないですが、

私なりの解釈です。


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20世紀の三大聖女とも言うべき、三人の偉大な女性医療者がいた。

一人は有名なマザー・テレサ(1910~1997)。

一人が近代ホスピスの創始者シシリー・ソンダース(1918~2005)。

そしてもう一人がエリザベス・キューブラー・ロス(1926~2004)である。


(中略)


マザー・テレサの名言は多いが、

「世界平和のために何ができるでしょうか?」

という問いに対する彼女の答えは非常に示唆に富んでいる。

曰く

「家族を大切にしてください」

であった。

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今、被災地のためにできることは、

前から述べている通り、節電、物資の節約、寄付、祈り、

だと思います。



もう一つ、被災地のためにできること。

「身近な人を大切にすること」



少なくとも私はこれが出来ていませんでした。

父の安否を気遣うあまり、奥さんの不安や、

子供たちの不安をわかろうとすることが出来ていませんでした。



慌てて仙台に駆けつけようとしたとき、

自分の家族を大切にする、という発想がなくなっていました。



こんな状態の私が仙台に行っても、

誰の役にも立たなかったと思います。



そして、これほど大切なことに、

家族全員が鹿児島に移動した後に気づく、というのも

また意味があると感じています。



被災した方も、していない方も、

親族がいる方も、いない方も、

今出来る最大最善の復興につながる行為、

それは

「身近な人、目の前の人を、大切にすること」

なんだと思います。



そして一番、自分に身近な人、というのは実は自分です。

だから自分もメンタル的に被害者になることを選択するのではなく、

毎日の人生を、日々の一瞬一瞬を本気で生きることを選択します。



自分があったかい場所で、おいしいご飯を食べられることについて、

父や被災者に、申し訳なく思うのではなく、

感謝をして、そのご飯を味わい、暖かい場所でその瞬間を過ごすことを選択します。



私と同じような、罪悪感にかられてしまう、全ての被災者の家族の方が、

どうか自分のことを大切にするようになった欲しいと思います。





もうひとつ、私自身がとても勇気づけられた言葉をご紹介します。


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先述したV・E・フランクルも語っている。


「どれだけ長生きするかということは、

本質的にはまったくどうでもいいことだということがはっきりするでしょう。

長生きをしたからといって、人生はそれだけではかならずしも

意味のあるものにはならないのです。


また、短い生涯に終わっても、ずっと意味のある人生だったかもしれません。

あるひとりの人の自伝を判断する基準は、

その自伝を叙述した書物のページ数ではなく、

もっぱらその書物が秘めている内容の濃さだけなのです。」


(中略)


「病気の人が健康になりたいと願っていることは言うまでもない。

その人にとって人生の最高の目標は、健康がつくりあげてくれるように思えるだろう。


しかし、具体例を取り上げて健康の本当の意味を検討してみても、

実際には、健康はある目的実現のための一つの手段あるいは前提条件でしかないのである。」


(中略)


「もし患者に、自分の人生の意味は何なのだ、と聞かれたら

何と答えるべきだろうか。

医者が一般的な言葉でこれに答えられるとは思えない。

人生の意味は人によってさまざまであり、時々刻々変化するものだからだ。


大切なのは一般的な人生の意味ではなく、

いま現在その人にとっての人生の意味なのだ」




「人生において遭遇するそれぞれの状況は、

人に与えられた試練であり、解決すべき問題を提起しているのだ。


そう考えると、人生の意味は何かという問いかけは、

じつは逆なのではないだろうか。


結局のところ、人生の意味など問うべきではなく、

自分自身がそれを問われているのだということに気がつくべきだ。


つまり一人一人が、人生からその意味を問われているのであり、

自分自身の人生のすべてを引き受ける、

つまり責任ある生き方をすることによってのみ、それに答えることができるのだ」


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「XXの人生とは何だったのか」

「XXは何故こんな目に合わなければいけないのか」



スピリチュアルペイン(根源的な問い)に答えるには、

人生の意味を問うのではなく、

人生から問われていることの意味に気づくこと。



著者が言うように、人生の意味なんて、考えても考えてもわからないのである。

意味を求める限り、それは出会わないのである。




人生で遭遇する出来事や出会う人には全て意味がある。




その一つ一つの小さな出来事と真剣に向きあい、行動することでしか、

人生の方から問われている意味に気づけないのが、

人生の法則なのではないか、

そんなことを感じました。





このタイミングでこの本に出会えたことも

とても大きな意味があることに気づきました。




そしてこのブログを通じて、フランクルの言葉と出会った、

当ブログの読者の皆様にも、人生から問われている意味を

考えるきっかけにしていただければ嬉しい限りです(^^)