東北大震災の被害に合われた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
当ブログにお越しいただきありがとうございます。
かめいひろき@自宅です。
読書マラソン、2冊目に選んだのは、こちら。
死ぬときに人はどうなる10の質問―あなたは考えたことがありますか?/大津 秀一
¥1,575
Amazon.co.jp
エチカの鏡で取り上げられてから、一躍有名になった著者、大津さん。
私は、処女作?の「死ぬまでにしたい25のこと」、に続いて、
読むのは2冊目でした。
昨年、母を亡くしたときに感じたことの整理、
今回、震災で多くの方の命が亡くなったことへのショックと向き合うこと、
などが購入の動機でした。
震災直後という状況が状況だけに、前作以上に、考えさせられることが多かったです。
行動を変える部分のみ記述と言った前エントリの前提を
早くも覆し(笑)、気づきを得た部分全てをアップします。
■ 歩けなくなること と 人生の根源的な問い
-----------------------------------------------------
私が見ていて、この時期一番患者さんにとって辛いのが、
「歩けなくなること」である。
考えてみればわかるが、歩けなくなること、自分で移動できなくなることの
苦痛は大きい。そしてさらに辛いことに、この歩けなくなること、
これを改善する有効な医療はない。
辛いことだが、歩けなくなったら、もう一度歩けるようになる可能性は低いのだ。
そして移動が困難になると、「自律存在の揺らぎ」を患者は自覚し、
つまり自分のことが自分で出来なくなってしまったことを自覚し、
スピリチュアルペインにつながることもしばしばである。
スピリチュアルペインとは、迫る死によって自らの存在が
脅かされるときに出て来る根源的な問い、
例えば
「私の人生はいったい何だったのか」
「なぜ私は死ななければならないのか」
などに答えられないことに伴う苦痛である。
衰弱が進行し、今までできたことができなくなったとき、
人は無価値観にさいなまれる。
こんな状態で生きている意味はあるのかと
問わずにはいられない。
そうすると苦しくなる。
(以下、省略)
------------------------------------------------------
今回の災害では、多くの被害者そして、被害者の家族が、
このスピリチュアルペインを感じた(もしくは感じている)
のではないでしょうか。
私自身の体験で言うと、どんなに衰弱していっても、
ふらふらと歩いている母を見ると、
どこか安心したものでした。
でも脳梗塞で倒れ、仙台に駆けつけた時は、
もう既に私のこともかろうじて認識できるかどうか、
という状態で、言葉はしゃべれず、且つ半身不随でした。
このとき、いろんなことがショックで号泣したのですが、
言語化できなかった悲しみのひとつが、
まさに、
「ああ、母は、もう自分で歩くことはないんだ」
というものだったことに気づきました。
そのとき、
「母の人生はいったい何だったのか」
「なぜ母がこんな目に合わなければならないのか」
という家族に対してのスピリチュアルペインを感じたのを覚えています。
今回、津波などで不慮の事故に遭った家族の方などは、
本当に辛いスピリチュアルペインを感じていることと思います。
今朝の日経新聞に、宮古市の職員で、自分の実の母と、
次男が行方不明(しかも津波被害の合った地区の保育園で不明)
になっているにも関わらず、
「苦しいのは自分だけではない」
と言って、市民の救助にあたっているという記事がありました。
同じ、2人の子の父として、涙なしでは見れませんでした。
この、自分や他人が今までできたことができなくなったとき、
人が感じる無価値感、というのも今回の災害で多くの方が感じていることでしょう。
被災地の方を思うと、
笑えない
食べれない
楽しめない
など。
私自身も、先週以来、心の底から笑顔で笑うことができていません。
でも、これも向き合い方がある。
大切な人の喪失後の心理プロセスに
照らし合わせることで、ヒントが見つかるのではないか、
とこの本を読み進めるうちに気づきました。
このブログのテーマである、「就活」に照らし合わせても
同じ方法で、例えば第一志望の企業の不合格や、
そもそもの今回の出来事で就活が滞ってしまうことによるストレス
から立ち直ることができるのではないかと感じています。
どんな風に向き合えばいいかというと、、、
次のエントリに続きます(笑)。