3歳のグレーな娘・律と、0歳の息子・樹を育てています。
【律(りつ)】
1歳半健診様子見→2歳の心理士さんとの相談で更に様子見→2歳半の保健師さんからの電話で様子見終了。
その一方で、発達支援センターでの相談や言葉の教室参加、保育園での加配等、支援は増加する一方のグレーオブグレーな娘です。
【樹(いつき)】
2023年10月誕生。今の所は定型発達?
詳しくはこちらをお読みください。
※1ヶ月程過去の話です。
律は発達ゆっくりさんですが、ある意味非常に子どもらしい子どもです。
お店で買い物をすれば「何を買おうかなー!」「りっちゃんが持つのー!」と大声で話して注目を浴び、
公園で遊べば「滑り台楽しー!」「次はあっちに行くの!ママも来て!!」と大興奮。
室内でオモチャで遊んでいる時に友達が来たら、すぐに引き寄せて「ダメ!りっちゃんの!!」
(↑ちょっと被害妄想強いですが…。)
いつでも自分が中心で、喜怒哀楽が激しく表情がコロコロ変わる。
まさに子どもの世界を生きている人だなと感じています。
私はいわゆる「極大人しい」子どもだったので、娘とは対極な人間でした。
そして。
保育参加の時、そんな自分に似た子を見つけてハッとしました。
その子の事は以前から気になっていました。
保育園行事や送迎のタイミングが被った際に何度か見かけた事があるのですが、他の子どもとは違った雰囲気を感じていました。
娘より明らかに理解度が高く落ち着いているのに、ほとんど言葉を発しない。
表情があまり変わらず、何かあっても常に冷静で大人っぽい。
自分のペースで黙々と遊びに取り組んでいるけれど、友達や先生に話しかけられたら小さな声でささやく様に答える事はできる。
何となく私の子ども時代に似ているなと思っていたのですが、保育参加の時に深く共感する出来事がありました。
その子を「れいちゃん(仮名)」と呼びたいと思います。
保育参加はリトミックだったのですが、れいちゃんは先生の指示を聞いて、一生懸命色んな動物の動きをして頑張っていました。
おうまさんと言われれば四つ這いで歩いたり、うさぎさんと言われればその場でピョンピョンしたり。
何の問題もなく活動に取り組んでいました。
(一方の娘は段々飽きて私の膝で見学していました。)
が、リトミックの最後に行われたふれあい遊びで、れいちゃんが固まってしまう場面がありました。
それは、先生がみんなに言ったこの言葉です。
「最後に○○をして遊びます!
みんな、好きな先生のお膝に座ってくださいね!」
2歳児クラスの子ども達はみんな、好きな先生の所に急いで駆け出しました。
0〜1歳クラスの子ども達も、自分で先生の所に行ったり、ヨタヨタ歩いている所を先生に捕まったり、様々です。
人気のある先生のお膝は子ども達が何人も乗っかって見ていて面白かったのですが、ふとれいちゃんを見ると、無表情のまま立ちすくんでいました。
みんなお膝が決まりれいちゃんだけになりました。
先生に「れいちゃん、どこにする?」と言われて、ハッとした様にキョロキョロするれいちゃん。
まだ誰もいない先生に呼ばれて、その先生のお膝に座りに行きました。
この一連の光景を見て、子どもの頃の私の記憶がよみがえって来ました。
「なるみちゃんはどの先生が好きなの?」
「なるみちゃんは誰と遊びたい?」
「なるみちゃんは劇でどの役がしたい?」
私の頭の中の答えはいつも「分からない。」でした。
そもそも人と関わるのが苦手だったので、好きな先生もお友達もはっきりしませんでした。
自分が何をしたいのか?誰と遊びたいのか?
そんな事を聞かれても分かりません。
明確な自分の意思が無いからです。
結局、空気を読んで「○○がしたい。」と適当に答えたり、何も答えられなくて先生に「じゃあ○○にしようか。」と連れて行かれたり。
きっと、「何を考えているのか分からない子」と思われていたんじゃないかと思います。
「好きな先生」と言われて固まってしまうれいちゃんが子ども時代の自分が重なって、目が離せなくなりました。
(↑そんな私でしたが、段々人と関わる楽しみが分かるようになり、小学校に入ってからは好きな先生や友達がはっきりするようになりました。)
もちろん、そんな些細なエピソードだけで、れいちゃんと私が似ていると言い切る事はできません。
れいちゃんは全く別の理由で固まってしまったのかもしれないし、保育園では緊張してしまうけれど、家の中では明るくて活発な性格なのかもしれません。
ただ、明らかに言えるのは、うちの娘とれいちゃんは全然違うタイプだなと言う事。
普段、律の口から出て来る友達の名前の頻度からも、れいちゃんとは少し距離がある事が分かります。
自分の感情を撒き散らし相手に激しくエネルギーをぶつける娘。
自分の感情を自分の中に留めて周りの様子を伺っているれいちゃん。
距離があって当然だと思います。
ここからは少しスピリチュアル的な話になりますが…。
もしも魂という物が存在して、私と娘の誕生した時期が同じだったとしたら。
親子ではなく、同じ保育園や習い事の友達として接する機会があったとしたら。
きっと性格が違いすぎて、あまり仲良くなれなかったのではないかなと思います。
数十年の時を隔てて産まれた今、親子としては上手くいってると言えるのではないでしょうか?
娘は「ママ大好き。」と言って懐いてくれるし、私も自分とは全く違うタイプの娘の事を可愛いと思うし尊敬しています。
そして、
そんな自分とは全く違うタイプの娘を愛せるようになった事で、幼少期「人が怖い」と思いながらも必死に生きていた自分の努力が報われるような気がするのです。
娘と親子として出会えて良かった。
れいちゃんと出会って、自分の親子関係を改めて考える機会になりました。
れいちゃんとは4月からは別々の保育園になってしまいますが、またどこかで成長したれいちゃんを見る事ができたら、すごく嬉しいです。