私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。


NHK『日曜討論』は、

首相が自らの言葉で国民に説明する、極めて重要な公共の場です。
その場を、直前まで出演が告知されていたにもかかわらず急遽欠席したこと、
しかも同時期に、旧統一教会との関係をめぐる重大な報道が続いていることについて、
国民が疑問を抱くのは自然なことだと思います。

高市首相はこれまで、
旧統一教会との間に、選挙協力や関連行事への参加、
金銭のやり取りはいずれも存在しないと説明してきました。
しかし「週刊文春」により、
2019年の政治資金パーティーにおいて、
教団と関係の深い世界平和連合奈良県連合会が
パーティー券を購入していた事実が、内部資料から報じられています。

それに対し、事務所は「適切に処理した」と説明するにとどまり、
具体的な経緯や判断の過程については踏み込んでいません。
また、総裁選前に韓鶴子氏を「知らない」と説明していた一方で、
教団の内部文書には高市首相の名前が30回以上記されていると報じられており、
単なる偶然として受け止めることは難しい状況です。

問題は、金額の多寡ではありません。
国民に対して、これまで正確で十分な説明がなされてきたのか、
そして疑念が生じた今、
それに真正面から向き合う姿勢が示されているのか、という点です。

こうした中での討論番組欠席という対応は、
追及を避けているのではないかという疑念を、
かえって強める結果になっているように感じます。

安全保障や対中姿勢などを評価し、
高市首相を支持してきた層が沈黙していることにも、
私は違和感を覚えます。
支持するからこそ、説明を求める。
それが民主主義における健全な姿勢ではないでしょうか。

同じ公人として、
疑惑の有無以上に重要なのは、
曖昧さを残さず、国民に向き合い、
関係の全容と明確な決別を自らの言葉で示すことです。
それこそが、政治家の資質であり、
国民の信頼に応える最低限の責任だと考えます。



私のブログをご覧いただき、ありがとうございます。

ブルース・スプリングスティーンが、
国家による暴力と移民への弾圧に抗議する新曲
「Streets Of Minneapolis」を緊急発表しました。

注目すべきは、曲の是非そのもの以上に、
「なぜ彼が迷わず政治的表現を選べたのか」
という点だと思います。

アメリカでは、
国家権力による暴力に対して、
国民的ミュージシャンが歌で抗議します。

それを特別な「勇気」だとは、
彼自身は言っていません。
「今、歌わずにいられなかった」
ただ、それだけなのです。

ブルース・スプリングスティーンの新曲が問いかけているのは、
アメリカ社会だけではありません。

日本ではどうでしょうか。
芸能人や表現者が政治について語ると、
「黙っていろ」「仕事に影響する」と、
沈黙を求められることが少なくありません。

そして地方では、
市民が声を上げると、
「空気を乱すな」「面倒な人だ」と、
距離を置かれてしまう場面もあります。

しかし、地方政治の現場に身を置いていると、
よく分かることがあります。

声を上げなければ、
決まっていくのは、いつも“誰かの都合”です。
声を上げなかった結果は、
必ず、私たちの生活や、
子どもたちの未来に返ってきます。

民主主義は、
選挙の日だけ存在するものではありません。
日常の中で、
「おかしい」と言っても排除されないこと。
それが守られて、はじめて成り立つものだと思います。

国家の暴力に、歌で抗議するロックがある国。
政治を語るだけで「黙れ」と言われる国。

それは、
公共の言葉が行き交う空間がある社会と、
それが痩せ細ってしまった社会との違い
なのかもしれません。

政治を語ることは、
特別な人の仕事ではありません。
東京だけの話でもありません。

地方で生きる私たち一人ひとりが、
暮らしの中で、
声を持ち続けられるかどうか。

ブルース・スプリングスティーンの歌は、
その問いを、
遠い国の出来事としてではなく、
私たち自身の社会の問題として
静かに、しかし確かに突きつけています。

私のブログをご覧いただきまして、有難うございます。


今回2026年2月8日投開票の衆議院議員選挙は、
解散から投票日までが非常に短い、いわば超短期決戦です。
こうした選挙では、どうしても政策をじっくり考える時間が足りず、
名前の知名度や組織力が結果を左右しがちになります。

その中で、「中道」がなかなか浸透しない、
一方で強い言葉や分かりやすい主張が支持を集める、
そうした構図が見えてきました。

ただ、ここで忘れてはいけないのは、
政治の言葉が最終的に影響を与えるのは、
私たちの暮らしの現場だということです。

北杜市では、
物価高への対応、人口減少、人手不足、
そして国の制度変更への対応など、
日々、自治体職員が限られた体制の中で業務に向き合っています。

国政の対立や分断が激しくなるほど、
そのしわ寄せは、地方自治体の現場に降りてきます。
外国人労働者の問題ひとつ取っても、
イデオロギーではなく、
地域の産業や暮らしをどう支えるかという現実の問題です。

私は、
不安を煽って誰かを悪者にする政治ではなく、
不安を共有し、現場で答えをつくる政治が必要だと思っています。

北杜市の政治は、
国の対立のコピーではなく、
この地域の暮らしをどう守り、どうつないでいくか。
その一点に、これからも責任を持って向き合っていきたいと思います。
私のブログをご覧いただき、有難うございます。

福井県知事選で初当選した石田新知事の
「日本は単一民族国家です」という発言が、大きな批判を呼びました。
ご本人はその後、「完全な単一民族ではない」と訂正されています。
この問題について、
私は「一人の政治家の失言」として終わらせるべきではないと感じています。
なぜなら、この発言は、日本社会の中で長く温存されてきた
「排除を当たり前とする認識」が、表に出てきたものではないかと思うからです。
ここで、ぜひ共有したい研究があります。
教育学研究(第89巻4号・2022年)に掲載された、
相澤真一氏・池田大輝氏による
PISA2018データを用いた国際比較研究です。
この研究では、日本・韓国・英国・オーストラリアを比較し、
「いじめに反対する意識」を分析しています。
結果は衝撃的でした。
日本の男子校男子、そして共学校男子は、
他の3ヶ国と比べて、有意にいじめ反対意識が低い。
さらに日本の男子校男子では、
・家庭の社会経済的地位が高いほど
・数学的リテラシー(学力)が高いほど
いじめに反対しない傾向が強まることが示されたのです。
これは、「勉強ができない子の問題」ではありません。
むしろその逆です。
私はここに、
「強者である自分たち」と「そうでない他者」を無意識に線引きし、
共感の対象から外してしまう感覚が育ってきた可能性を見るのです。
「いじめられる側になるような要素をもつ人は、自分たちとは違う」
「配慮や斟酌の対象ではない」
そうした価値観が、
特定の教育環境や学校文化の中で、
意図せず再生産されてきたのではないでしょうか。
もし、そのような認識を内面化した人々が、
そのまま日本社会の「成功者」「エリート層」を形成してきたとしたら――
「日本は単一民族国家」という発言が、
自然な前提として口をついて出てしまうことも、
不思議ではないのかもしれません。
これは移民政策の是非の話ではありません。
差別をしているかどうか、という個人の善悪の問題でもありません。
排除の感覚が、どこで、どのように育ってきたのか。
その構造を、私たち自身が問われているのだと思います。
現在の日本には、400万人近い外国籍住民が暮らしています。
日本国籍をもつ人の中にも、多様なルーツをもつ人が確実に増えています。
若い世代では、「移民的背景」をもつ人が1割を超え、
今後さらに増えると推計されています。
こうした社会の現実の中で、
学校教育は何を最優先に育てるべきなのでしょうか。
私は、
「知的に優秀な人を育てること」以上に、
自他の尊厳を尊重できる人を育てることを
教育の最上位目標に据える必要があると感じています。
なお、日本では、このような重要な研究成果が、
学術誌に掲載されたまま、現場の改善につながらない状況が少なくありません。
本来、研究は
共有され、問い直され、議論され、
誰かに引き継がれ、実践に落とし込まれてこそ意味をもちます。
この投稿が、
「誰かを叩くため」ではなく、
「私たち自身の社会や教育を考え直すきっかけ」として
受け取っていただけたら幸いです。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyoiku/89/4/89_670/_pdf/-char/jahttps://note.com/nobukot/n/n1e59c9b99fb5?fbclid=IwdGRzaAPk7aBjbGNrA-Ts1GV4dG4DYWVtAjExAHNydGMGYXBwX2lkDDM1MDY4NTUzMTcyOAABHsCUsIJ1C6ADygXjC0YqzV-0cw-1z92fy2IJVrMXpJC7P59B_rTDheTMv75c_aem_DYKjYHCrIbY53b7i7Mzwtg&sfnsn=mo



【選挙を回しているのは、自治体です】
超短期間の解散・総選挙が、自治体運営と職員の現場に深刻な影響を与えています。

【要約】
1/19、高市早苗首相は、1/23召集の通常国会冒頭で衆議院を解散すると表明しました。
総選挙は1/27公示、2/8投開票という、極めて短い日程です。

この解散を受け、岸本さとこ 杉並区長を含む5人の自治体首長が
「衆議院解散に伴う自治体首長の緊急声明」を公表しました。

自治体はいま、新年度当初予算の編成、国の物価高対策への対応という
一年で最も業務が集中する時期にあります。
その最中での突然の解散・総選挙は、
自治体職員に過度な負担を強いるものです。

さらに、国の来年度予算が年度内に成立しなければ、
自治体運営そのものにも大きな影響が及びます。

国の政治判断が、地方の現場にどのような影響を与えているのか。
ぜひ、多くの方に知っていただきたいと思います。

北杜市でも、当初予算編成や国制度への対応が重なる中で、
限られた体制のもと、職員の皆さんが懸命に行政を支えています。

★衆議院解散に伴う自治体首長の緊急声明
https://lin-net.wraptas.site/2edc46d2e05a803b8dfccf01a44120ed?fbclid=IwdGRjcAPiS-hjbGNrA-JL5WV4dG4DYWVtAjExAHNydGMGYXBwX2lkDDM1MDY4NTUzMTcyOAABHrgeLnFCUNr6rHaJRcVLRes0n1QhBH18VhrdBdvXPNUU_4d_qZ9KMCXFKe4N_aem_Ry3QJBLE03G0qOmk3oFKeQ


【緊急声明全文】

1 月 19 日、「衆議院解散」を明言する高市早苗首相の記者会見が行われました。

しかし、読売新聞が 1 月 9 日に「高市首相、衆議院解散を検討」と報じて以降、10 日あまりにわたり正式な表明がないまま、自治体は選挙準備を進めざるを得ない状況に置かれてきました。
1 月 10 日付で総務省からは、「本日の朝刊等において、1 月 23 日召集予定の通常国会冒頭に衆議院解散の案が浮上しているとの報道があったため、選挙管理委員会において準備を進めるように」との、極めて異例の通知が発出され、自治体は突然、総選挙に向けた実務に着手することとなりました。

選挙を実務として支えているのは、自治体職員です。
自治体はいま、新年度当初予算の編成作業の真っただ中にあり、予算議会を目前に控え、年間でも最も業務が集中する時期にあります。加えて、昨年夏以来の懸案である「物価高対策」について、国の補正予算が12 月 16 日に成立し、「重点支援地方交付金」として年度内執行を求められたことから、年末年始をまたいで臨時議会を開き、執行体制を構築してきました。その最中での、突然の解散・総選挙対応です。

この時期に解散・総選挙が行われれば、国の来年度予算が年度内に成立せず、暫定予算となる可能性が高まります。暫定予算となれば、行政運営に必要な経常経費以外の予算執行に制約が生じ、自治体運営にも大きな影響が及びます。

1 月 19 日の解散表明、23 日の解散、27 日の公示という「超特急」の日程のもとで、自治体の選挙実務は翻弄されています。期日前投票が定着した今日において、投票所入場整理券をいつまでに住民へ届けられるのか、極めて綱渡りの調整を続けています。1 月 9 日の解散報道以降、正式な表明がないまま、自治体職員は事実上の緊急体制を強いられてきました。

投票日が 2 月 8 日なのか、2 月 15 日なのかさえ、首相の解散表明があるまで不明な中、最短日程に間に合わせるために、現場には過度な負荷がかかっています。

日常業務に加え、国の経済対策への対応、さらに選挙事務が短期間に集中することは、今後の行政運営や職員の働き方に深刻な影響を及ぼしかねません。私たちは、自治体の責任者として、強い問題意識を抱かざるを得ません。

本来、「物価高対策」を最優先とするのであれば、国会において十分な予算審議を行い、予算成立を経た上で、解散・総選挙に向かうのがあるべき姿です。
万一、「今、解散すれば有利だから」「各党の準備が整わないうちに」といった政治的判断が背景にあるのだとすれば、それは国民生活や自治体実務を犠牲にするものであり、深く省みられるべきです。
豪雪地帯を含む真冬の解散・総選挙は、選挙運動や投票そのものにもリスクを伴います。私たちは、今回の事態を契機として、政権による解散権の行使の在り方、乱用を防ぐための制度や議論を、社会全体で改めて行うことを強く求めます。

2026 年 1 月 19 日

【呼びかけ人(50 音順)】
 東京都多摩市長    阿部裕行
 神奈川県小田原市長  加藤憲一
 東京都杉並区長    岸本聡子
 東京都中野区長    酒井直人
 東京都世田谷区長   保坂展人

【賛同首長】 2026.1.22 現在
 三重県伊賀市長  稲森稔尚 
 大阪府交野市長  山本景 
 埼玉県和光市長  柴崎光子 
 兵庫県宝塚市長  森臨太郎 
 静岡県伊東市長  杉本憲也
 神奈川県真鶴町長 小林伸行
 長野県山ノ内町長 平澤岳
 福岡県大野城市長 堤かなめ
 神奈川県座間市長 佐藤弥斗
 神奈川県三浦市長 出口嘉一

いつも私のブログをご覧いただき、ありがとうございます。

 

昨日、松本市本郷公民館にて開催された「議会議長のあり方研究会」に参加してきました。

 

この研究会は、議会改革のパイオニアの一人である元飯綱町議会議長・寺島渉さんが呼びかけ、議員の権利が保障され、民主的な議会運営がなされるために、問題意識を共有する地方議員が集まって開催されたものです。



会場では、北川正恭元三重県知事の
「議会改革の第一歩は、二元代表制の一元を担う議会の代表である議長の、覚悟をもったリーダーシップである」
という言葉を手がかりに、各地の地方議員が、自身の議会の実情を率直に報告し合いました。

 

出された問題点を整理すると、主に次のような内容でした。


各地議会で指摘された課題

① 不透明な議長選出方法や、水面下での多数派工作
② 特定会派による継続的な議長職の独占
③ 名誉職にとどまり、議事次第の朗読が中心となる議長
④ 首長に忖度し、議会や議員の役割発揮に消極的な議長。その結果、議会が追認機関化
⑤ 慣例や申し合わせを理由に、議員の発言権、とりわけ質問権を抑制する議長
⑥ 議員に対するパワハラ・セクハラ問題への対応に消極的な議長の存在

 

一方で、希望の持てる報告もありました。


前向きな変化

① 議長選挙における「所信表明」の機会が広がりつつあること
② 議会改革に積極的に取り組む議長も生まれつつあること

 


皆さんの報告を聞きながら、議会運営の実態は本当に千差万別であること、そして特に、問題意識をもって行動する議員に対するパワハラの実態が、いかに切実で深刻かということを強く感じました。

 

研究会の最後には、議長に求められるリーダーシップについて、次のように整理されました。

 


議長に求められる役割

① 議員一人ひとりの発言権・議決権を尊重し、民主的で活発な議会運営に努める
② 自ら学びの先頭に立ち、「学び合い」と「自由討議」により議員の成長を支える
③ 市町村の行財政全般に精通し、問題意識を広げ続ける
④ 多様な価値観を基礎に、議会の政策形成能力を高める努力を貫く
⑤ 多様な住民参加型議会を実現するため、住民と議会の距離を縮める



総じて、参加者の皆さんは、議員個人の問題としてではなく、「議会全体のあり方の問題」として取り組まなければ、当面する難局は乗り越えられないという共通認識に立って議論されていました。

 

研究会終了後には、安曇野市議会の増田望三郎議長からお声がけいただき、お茶をしながら意見交換をしました。

 

このように、問題意識を共有できる他議会の議員と率直に語り合える機会は、本当に貴重です。

 

寒波襲来の中でしたが、心はとても熱くなる時間でした。






昨日、北杜消防署で普通救命講習を受けてきました。

私たちは、いつ・どこで、突然のけがや病気に遭遇するか分かりません。そんなとき、家庭や職場で行う初期対応を「応急手当」といいます。なかでも、心臓や呼吸が止まってしまった場合への対応は、特に重要な「救命処置」です。

講習では、心肺蘇生法とAEDの使用方法について、実技を交えながら学びました。地域から参加された皆さんが、消防署員の方の丁寧な指導に真剣に耳を傾け、熱心に取り組まれている姿がとても印象的でした。

病院に到着するまでの間に、住民による救命処置が行われた場合の方が、生存率や社会復帰率が高いことも、改めて確認しました。

尊い命を守り、誰もが安心して暮らせる地域をつくることは、制度だけでなく、こうした助け合いの積み重ねによって支えられているのだと実感しました。

今回の学びを、今後の議会活動にも生かしていきたいと思います。 貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
私のブログをご覧いただき、有難うございます。

最近の物価高を見て、「まだ日本はデフレだ」と感じている人は、そう多くないのではないでしょうか。 
今、実家に帰省していますが、同級生からも弟たちからも、「物価が高くなって生活が苦しい」という声を聞きました。 
実際、同級生と入った寿司屋でも、メニューの価格は軒並み上がっていました。
スーパーでも、ガソリンスタンドでも、電気代の請求書でも、値上がりは誰の目にも明らかです。 
今の日本は、物が安い時代ではありません。
むしろ、値上がりが続く時代に入っています。 
そんな中で、政府が大きなお金を使って景気を刺激すれば、需要が膨らみ、物価はさらに押し上げられてしまいます。 
問題は、それでも政府が、かつてと同じ発想の政策を続けていることです。 
物価が上がっているにもかかわらず、引き締めるどころか、ゆるい政策を維持し続けています。その結果、円の価値は下がり、輸入品の値段が次々と上がっています。 
なぜ円安が止まらないのか。
理由はシンプルです。日本だけが金利を低く抑え続けているからです。
 お金は、より増えやすい通貨へ移動します。その結果、円が売られ、物価高が長引いています。
もう一つ、見逃せない問題があります。
銀行に預けているお金が、実質的に減っているという現実です。 
利息はほとんどつかないのに、物の値段だけが上がる。 
気づかないうちに、私たちの暮らしは少しずつ削られています。 
このままでは、国民は貧しくなるばかりです。
物価は上がる。
しかし、給料も資産も追いつかない。 
この状況を、「仕方がない」「時代の流れだ」で済ませてはいけません。 
これは「やむを得ない結果」ではありません。
明確に、政策の問題です。
 私は地方議員として、日々、市民の暮らしの現場に向き合っています。
家計のやりくり、光熱費の負担、食料品の値上げ―― 
それらは統計や数字ではなく、生活の実感として、確実に人々を追い込んでいます。 
だからこそ、インフレの時代に必要なのは、
現金や商品券を一律に配る「その場しのぎ」の対策ではありません。
 生活に欠かせない公共料金の減免や、消費税の減税といった、 物価そのものを下げる政策こそが、より有効な物価高騰対策だと、私は考えています。
 地方からでも、声を上げ続けなければなりません。 
市民の生活感覚と、政治の判断とが、乖離したままであってはならないからです。 

北杜市議会議員
 飛矢﨑 雅也

高市総理の巨額補正予算では「物価高」はさらに悪化する…見過ごせない3つの理由(デイリー新潮)#Yahooニュースhttps://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/12330f5cd65ac813325bac223fb9b5d7479c2296&preview=auto

私のブログをご覧いただき、有難うございます。

 

昨日、北杜市議会は、物価高騰対策に係る提言書を市長に提出しました。
この提言の背景には、現在の支援策だけでは十分に届いていない課題があるという、議会としての共通認識があります。

 



まず事実として、私は12月定例会において、
子育て世帯への応援手当や商品券配布などを盛り込んだ補正予算に対し、反対討論を行いました。

これは、物価高騰対策に消極的であったからではありません。
むしろ、

  • 支援が一過性に終わってしまわないか

  • 事業者支援や賃上げ環境整備が十分に位置付けられているか

  • 使える財源を最大限活用しているか

といった点に、強い疑問を持ったからです。

国際情勢の不安定化を背景に、エネルギーや食料品等の物価高騰は長期化し、市民や市内事業者は将来への不安を抱えています。
こうした中、北杜市には物価高騰対策重点支援地方交付金として約5億9千万円の内示がある一方、そのうち約2億7千万円が未だ予算化されていないという現状があります。

議会として今回提言を行った最大の理由は、

「支援の必要性が明らかな中で、使える財源を十分に活かし切れていないのではないか」
という問題意識です。

提言では、

  • 中小企業・小規模事業者の賃上げ環境整備

  • 医療・介護・保育・学校・公衆浴場等への支援

  • 農林水産業、公共交通、観光業への支援

など、国の推奨事業メニューを北杜市の実情に即して活用し、より総合的で持続可能な物価高騰対策を早期に実行することを求めています。

私は、補正予算に反対したからこそ、
今回の提言が「その代替となり得るのか」「次の一手として十分か」を厳しく見ています。

反対も、提言も、目的は同じです。
市民の暮らしと地域経済を守ること。
そのために、議会として、そして一人の市議として、引き続き検証と提案を続けてまいります。

私のブログをご覧いただき、ありがとうございます。 


先週閉会した北杜市議会第4回定例会では、市長所信において中学校統合2校の設置場所が示されました。また、7名の議員が中学校統合について質問したこともあり、会期中は多くの市民の皆さんが傍聴に訪れました。

その中のお一人が、傍聴後にSNSへ感想を投稿されていました。 ご本人の了解をいただくことができましたので、ここで共有します。 


(以下、原文) 

今日は一日、北杜市議会の傍聴に行ってきました。 

八ヶ岳山麓の北杜市。8校ある中学校を2校に統合する計画が進められています。
6,322筆にのぼる「立ち止まって住民合意を求めてほしい」という署名に対しても、「充実した学習環境を目指す思いは同じ」として、実質的には十分に受け止められていないように感じました。 

東京23区とほぼ同じ面積に中学校が2校だけ。
スクールバスで本当に1時間以内に通えるのでしょうか。 

中学校がなくなる地域社会への影響をどう考えるのか、という問いに対し、「学区が変われば地域社会のあり方も変わるので、考える必要はない」との答弁があったことには、正直、強い違和感を覚えました。 

地域とは何か、地域に根ざすとはどういうことなのか。 

かつて、歴史教育の現場で熱く議論されてきた「地域とは、人々が働き、学び、育み、憩う場である」という考え方を思い出しながら、今回の統合案は、そうした地域の積み重ねそのものを否定してしまうのではないか、という怒りと悲しみを感じました。 


この数年、全国的には少子化が進む中で、北杜市は若い世代の流入もあり、合計特殊出生率が1.38まで回復しています。 

市の総合計画案でも、この水準を今後の最低値として想定しています。 

しかし、武川や白州から、日野春を越えた場所まで中学生が毎日バスで通うことになれば、子育て世代の流入は減ってしまうのではないでしょうか。

この水準の人口流入を維持しようとする施策が、今回の統合案の中に十分見えてこないことも気になります。 


また、北杜市は不登校や長期欠席の児童生徒の割合が高い地域でもあります。 

小学校では県内平均の約2倍近く、中学校でも約8%、長期欠席全体では14%にのぼります。 

小規模校であれば、子ども同士や教員との相互理解が進み、変化にも気づきやすい。
一方で、4クラス規模になれば、教員間での情報共有や、養護教諭が全体の状況を把握する負担は格段に増します。 

議会では「校内に居場所をつくったので問題はない」との答弁もありましたが、学校現場の経験からすれば、そんなに単純な話ではありません。
通えなくなった子どもたちが、結果として切り捨てられてしまうことにならないか、強い不安を感じます。 



この感想は、統合に賛成か反対かという以前に、
「地域とは何か」
「学校は誰のためにあるのか」
という問いを、私たちに真正面から投げかけているように思います。 


皆さんは、どのように受け止められたでしょうか。