名建築を歩く「旧第四銀行住吉町支店」(新潟市) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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名建築シリーズ68

旧第四銀行住吉町支店

℡)025‐225-6111(新潟市歴史博物館)

 

往訪日:2024年3月15日

所在地:新潟市中央区柳島町2‐10

開館:(冬期)9時30分~17時30分(月曜休館)

参観料:無料

アクセス:磐越道・新潟中央ICから20分

駐車場:10台(無料)

■設計:長谷川龍雄

■施工:武田組

■竣工:1927年

■国指定重要文化財(2005年)

※内部撮影OKです

 

《イオニア式のオーダーが印象的》

 

ひつぞうです。続いて鑑賞したのは旧第四銀行住吉町支店。ナンバー銀行として一番長くその名を維持した名門銀行の遺構です(2021年に北越銀行と合併)。

 

★ ★ ★

 

ネオバロック風の新潟市歴史博物館(残念ながら近年の建築)。

 

 

その敷地内に昭和初期の名建築が移築されていた。第四銀行住吉町支店だ。

 

 

第四銀行(旧第四国立銀行)の設立は1873(明治6)年。国立銀行条例発布の翌年にあたる。設立順に番号が与えられた。なので歴史は古い。百五銀行なんてあるものね。

 

「国立の銀行なのち?」サル それは日銀では

 

紛らわしいんだ。明治新政府はアメリカのNational Bank Actに倣って、国の法律に従わせる形で民間銀行の設立を促した。この時“国立銀行”と直訳(むしろ誤訳)してしまい、そのまま定着した。現在の経済史では「国法銀行」と訳する場合が多いそうだけど。

 

 

この煙突が全体的な構造美のアクセントになっている。

 

 

「入り口にポーチがあるね」サル

 

一時期カフェとして二次利用されていた名残り?

 

 

外壁は白御影石で統一。イオニア式のオーダーを配した新古典主義。昭和初期に流行った様式だね。設計は新潟市公会堂旧制松本高校講堂にも携わった長谷川龍雄(1895-1966)。名古屋高等工業学校卒業後は文部技官として学校建築に携わり、1927年の退職後、自ら設計事務所を開設している。

 

 

黒雲母の少ない白御影。

 

(出典:第四北越銀行社史)

 

他方の第四銀行本店(1872年)は一階平屋建て。

 

(出典:第四北越銀行社史)

 

10年後に建替えられた二代目は白堊の二階建てのコロニアル式

 

そして立派な新古典主義の三代目が1928(昭和3)年に竣功している(残念ながら解体済。時代の趨勢だな)。多数建設された支店も含めて、これだけの装飾性を保つ建物で残存するのはここ住吉町支店の他わずかにすぎない。

 

「とても貴重なんだにゃ」サル

 

そうなんです。

 

「でもおサルが見つけなかったらスルーしてたよにゃ」サル

 

恥ずかしながら初めて知った…。

 

 

「立派だにゃー!」サル

 

住吉町は米問屋などが並ぶ経済の中心地。東京支店、新発田支店と並ぶ三大支店と呼ばれた。

 

 

まだまだ現役として利用できたんだけど道路拡幅計画で移転を余儀なくされた。最近も東京のあちこちで聞くよ。この手の話。

 

 

平成15年12月に移築完了。薄くて貴重な化粧石材を使用していて取剥がしは困難を極めたそうだ。

 

「かつての賑わいが眼に見えるようだにゃ」サル

 

もちろんテーブルと椅子は後からのつけたしよ。こんなんじゃ銀行業務できんし。

 

「判っとるわい!」サル

 

 

吹き抜けになっていて二階をギャラリー(廊)が取り囲む。西洋貴族邸宅の部屋を繋ぐ小廊を展示スペースとして利用したことが画廊の由来。銀行業務そのものにはあまり意味をなさない意匠だが、広く空間を取るということは不正防止や犯罪防止のための工夫だったのかも知れない。

 

 

移築工事によってリノリウムの下から創建当初のモザイクが発見された。

 

 

石材、木材、鋳物。すべてにこだわりがある。

 

 

フズリナの立派な化石が入っているね。岐阜県産大理石らしい。閉山しているので貴重な資料。

 

 

旧応接室

 

 

移築前の資材。

 

 

解体工事の際のコア抜き。

 

 

では二階へ。

 

 

天井の漆喰の再現が本当に見事なんだよね。

 

 

最高級木材のラワンを惜しげもなく。

 

 

天井が高い。

 

 

採光窓も。

 

 

セセッション式のステンドグラス。

 

 

金庫室。

 

 

会議室。天井の漆喰細工をそのまま残すためにフレーム状に繰り抜いたそうだ。

 

「信じられん、そんな繊細な作業」サル

 

おサルなんか気が変になりそうだよね。

 

「人から言われると頭にくるにゃ」サル

 

 

二階旧応接室。その奥に珍しい部屋がある。

 

 

和室の饗応室があるんだよ。

 

 

畳みの詰め方が変わっている。

 

 

部屋同士は廊下で繋がっていた。

 

 

再建にあたってはできるだけ元の資材の再利用を心掛けた。その数4000個!耐震性の確保も要求されるため、柱などの主構造部には高強度コンクリートを採用するなど工夫を凝らした。最初の建築もすごいが、再建技術も見所のひとつだ。

 

 

ということで新潟近代建築の鑑賞は終わり。このあとこの日の宿に向かうことにした。

 

「おんせん!おんせん!」サル むきゃー

 

(つづく)

 

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