名建築を歩く「旧新潟税関庁舎」(新潟県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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名建築シリーズ67

旧新潟税関庁舎

℡)025‐225-6111(新潟市歴史博物館)

 

往訪日:2024年3月15日

所在地:新潟市中央区柳島町2‐10

開館:9時30分~16時(月曜休館)

参観料:無料

アクセス:磐越道・新潟中央ICから20分

駐車場:10台(無料)

■設計:不明

■施工:新潟職人衆

■竣工:1869年

■国指定重要文化財(1969年)

※内部撮影OKです

 

《職人の試行錯誤のあと》

 

ひつぞうです。新潟市美術館を退出したのち旧新潟税関庁舎を訪ねました。1966(昭和41)年に役割を果たしたのち歴史博物館として利用され、手狭になると2004年に新たな博物館が完成。再び静かな歴史遺産として訪れる客を迎えています。

 

★ ★ ★

 

ということでやってきた。建物の南側に小さな無料駐車場がある。そこから徒歩20㍍。

 

 

日米修好通商条約に基づいて江戸幕府が米・英・蘭・露・仏の五ヵ国に対して開港。国内に五つの港ができたことはご存じのとおり。

 

「函館、横浜、長崎、神戸…そして新潟ですにゃ」サル

 

新潟税関は1869(明治2)年に完成した。全国の庁舎の殆どが地震や火災、老朽化で建替えられていったけれど、1966(昭和41)年まで現役だった。だから当初からの遺構はここだけ。大変貴重なんだよ。

 

 

当初は新潟運上所と呼ばれた。新潟税関に改称されたのは1872(明治6)年。最初は艀下川河口に土盛りして建てられた。

 

(建設当時の写真)

 

その後、横浜税関の新潟支署に組織変更し、1966(昭和41)年に竜が島に移転。旧庁舎は重要文化財指定されたのち、1971(昭和46)年に解体。この場所に移築された。

 

 

望楼から出入する船を監視。荷揚げ品は馬車に積まれて、このアーチを潜って運び出されたそうだ。棟瓦の下に青海波が描かれているのが判るだろうか。海鼠壁しかり。一見洋風でも装飾や構造は和風桟瓦葺きの平屋建てだった。

 

「誰が造ったのち?」サル

 

新潟の職人衆としか判らない(笑)。設計とか建方とかに固有名詞が残る時代じゃなかった。

 

 

中央通路を挟んで左右に事務室が配置。

 

 

今は資料室になっている。

 

「テーブルがあるけど」サル

 

デコレーションだよ。何もないと淋しいでしょ。

 

『原色日本の美術㉘近代の彫刻・建築・工芸』(小学館/1972年刊)を読むと「現在下見板が張られている外壁は、もとは海鼠壁で、中央アーチもいまは木材で石造りの様式をまねたものになっているが、もとはカーブも緩く、漆喰で塗り込められた姿だった」(神代雄一郎)とある。

 

 

内部は当初の遺物が陳列されている。

 

 

外側に廊下が付いている。事務員はここを通行したらしい。

 

 

二階への階段。かなり急勾配。昔の建築は急なのが普通だった。

 

 

反対側は上役の部屋だったのだろう。

 

 

背面から見る。左右に水平展開するのは西洋建築の模倣。開智學校(松本市)や済生館本館(山形市)など疑洋風建築は意外に遺っている。

 

「残してほしいっていう地元の要望も強いんじゃね?」サル

 

目立つしね。

 

 

巾着型の欄間に注目しよう。和に偏った折衷様式が初期の疑洋風建築の特徴。

 

 

復元された荷揚げ場。

 

残念ながら新潟港での貿易は当初不振だった。理由は信濃川の水深が浅くて大型船舶が入港できなかったたため。近代港湾として整備されたのは1926(大正15)年3月のことだったそうだ。

 

「なかなか旨くいかんのう」サル💦

 

 

保存状態もよく明治黎明期の折衷建築を満喫した。このあともう一箇所観てまわった。

 

(つづく)

 

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