旅の思い出「新潟市美術館」常設コレクション展(新潟県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

新潟市美術館

℡)025‐223-1622

 

往訪日:2024年3月15日

所在地:新潟市中央区西大畑町5191-9

開館:9時30分~18時(月曜休館)

常設:一般200円 高大生150円 小中生100円

アクセス:磐越道・新潟中央ICから25分

駐車場:25台(無料)

※内部撮影OKです

 

《なぜレジェか…よく見ると判る》

フェルナン・レジェ《読書》(1984)原画1924年制作

 

続いて新潟市美術館のアートの備忘録。コレクション展を中心に鑑賞しました。

 

★ ★ ★

 

常設展示室に向かう。フロアにレジェのモザイク画があった。

 

 

(良し悪しではなく)ちっとも好みではないレジェだけど、前川との関係性に面白さを感じた。

 

「どういうこと?」サル

 

レジェもまた極端な原色構成でしょ。前川と同じなんだよ。事実、前川の師コルビュジエレジェは大の仲よし。コルビュジエ建築の壁画も担当している。そうした繋がりも考慮して、このモザイク画を購入したんじゃないかな。ウラはとってないけど。

 

ここから展示室だ。今月のテーマは《これまでの買いもの》

 

コレクションにはその美術館独自の方針がある。方法には購入・寄贈・管理替えがあるが、いずれの場合も外部有識者による選定委員会の厳格な審議を経て決定するのは全国一律。学芸員の好みだけで決まるものではない。しかもスペースの関係で購入しても展示の機会がない場合もある。今回は購入時期ごとに“これは”という作品が公開されていた。

 

山本豊市《スペインの娘》(1926)

 

フランス近代彫刻の第二世代、ブールデルマイヨール保田龍門、木内克、金子九平次、清水多嘉示。綺羅星のごとき彫刻家がブールデルの門を叩いた。ただ一人、山本豊市だけが弟子嫌いなマイヨールに学んだというのも不思議。細部を簡略化し滑らかに纏めつつも、ダイナミックかつボリュームを感じさせる造形は師匠譲りなのだろうか。

 

三上誠《無題》(1957)顔料・蝋・インク、紙

 

福井出身の三上誠(1919-1972)は京都市立絵画専門学校で日本画を専攻。卒業後にパンリアル美術協会を結成。前衛日本画を発表する。後半生は肺結核に苦しみ、その体験を作品に昇華した。8年前におサルが当てた招待券で観た特別展《日本画の革新者たちで知った。

 

「よく覚えてるにゃー」サル

 

ブログに書いたからよ。備忘録の意味はあるね。

 

阿部展也《作品》(1949)コンテ、紙

 

当館往訪の第二の目的。それは五泉市出身の阿部展也(あべ のぶや)(1913-1971)だ。開館以来一貫した収集方針が《新潟の昨日・今日・明日》。国内随一のコレクションにはそういう背景がある。ただ、近年は予算縮小で難しくなったそうだ。

 

阿部展也《モニュメント》(1959)エンコースティック、板

 

蝋で描いた古画法。しかし照明がどうもね(笑)。ただ他館で許されない阿部作品の撮影ができるのも映り込みが激しくて商用に廻せないせいかも。

 

「全部ヒツの大きな頭が映ってるにゃ」サル

 

ほっといて。

 

阿部展也《素描》(制昨年不詳)鉛筆、紙

 

アワビかな。ただの素描なのになんだかセンチメンタル。

 

阿部展也《桜》(1947)水彩・鉛筆、紙

 

そして旨い。本質的にデッサン力のある画家なんだね。

 

阿部展也《人物デッサン 女性像》(1948)油彩、カンバス

 

こんな作品もあるんだ。

 

阿部展也《文字の主題によるバリエーション》(不詳)ボールペン・インク、紙

 

でもアールブリュット風な作品のほうが好き。

 

阿部展也《色紙》(1967)

 

人生の後半生をイタリアで暮らした阿部。どことなく色彩感がイタリア的。瀧口修造との共同作業では見られなかった阿部の多様な世界を鑑賞できた。学芸員さま。是非また回顧展をお願いします。

 

エーリヒ・ブラウアー《かぐわしき夜》(1960)油彩・テンペラ、板

 

開館当初の1985年購入。ピカノ、ルドン、クレーといった“大家”で箱を埋めつつマイナーポエットも忘れない視座は素晴らしい。阿部同様アカデミックな教育と無縁に、己を信じるがままに我流を貫いたウィーン生まれのユダヤ人画家ブラウアー(1929-2021)。画家だけでなくサイケ調の音楽家として後に成功した。細密でありながら写実ではないウィーン幻想派。観る者の想像力を掻き立てる作品だ。

 

阿部展也《ABSTRACT》(1963)ミクストメディア

 

1999年購入。阿部の立体作品。1992年から2011年まで新潟市美術館は旧来の《新潟の昨日・今日・明日》に加えて《現代美術の動向》を収集のテーマに掲げた。ボール紙の卵ケースだろうか。既存の風景に囚われる僕は凡人だ。

 

高橋秀《日本の記憶(青)》(1964)ミクストメディア

 

高橋秀(1930‐)。福山出身の画家・版画家・造形家。武蔵野美大中退後、独立美術家協会に入会。90歳を過ぎた今も現役の大御所。エロスの画家と言われるゆえんのVaginaをモチーフとした品位ある耽美的シルクスクリーンとまた違った作風。僕には高橋の故郷である福山、鞆の浦周辺の海を表したのではないかと思われた。

 

「野暮な鑑賞だのー」サル ヤボヒツジだにゃ

 

ヤン・スホーンホーフェン《T76‐M‐7》(1976)

 

2001年購入。オランダの版画家・立体造形家のリトグラフ。全然情報がないので素性は知らない。でも惹かれる。これ、日本の簾がモチーフじゃない?

 

「野暮な鑑賞だのー」サル ヤボヒツジふたたび

 

はいはい。

 

高松次郎《影(鍵)No.176》(1967)ラッカー・フック、木

 

高松次郎の影シリーズ。しかも立体。

 

 

第二フロアへ。ちょっと凝った展示なんだよね。

 

 

作品のキャプションはこのようにミニチュアのサイドにつけられている。

 

靉嘔《オープニングそして再び田園》(1992)上

丸山正三《雪害の記》(1966)右

近藤直行《発掘された祈り》(1966)左

 

収蔵庫にハンガーラックされている状態そのままに展示されているんだ。

 

「こんな感じで?」サル

 

実物はワイヤーで吊られているけれど配置はそのまま。コロナ禍以降(特に地方)美術館の運営は厳しさの一途をたどっている。もし展示に関わる人件費や管理費を削減できたら。その一助となるのが“展示と収蔵”のパラダイムシフト。

 

同じ前川建築の宮城県美術館では2025年度のリニューアルオープンを境に“見える収蔵庫”という鑑賞システムも検討中らしい。今回の新潟の例はそのプレステージのようなものかもしれない。

 

加山又造《冬》(1958)

 

加山又造といえばカラスだ。マグリットの《白紙委任状》風。

 

上野泰郎《わが罪、わが思い》(1999)紙本著色 寄贈

 

「怖い絵だね」サル

 

上野泰郎(1926-2005)は東京出身の日本画家で東京美術学校卒。松岡映丘の孫弟子。因みに母も映丘の弟子。世界各地を放浪後、指で描く独特の日本画のスタイルを構築。クリスチャンだった上野は命や原罪などキリスト教的モチーフの作品を残した。この絵もステンドグラスみたいだ。

 

元永定正《作品63-03》(1962)油彩、アクリル、石、綿布

 

マチエールの天才。

 

渡辺豊重《重なっている四角》(1982)アクリル、カンバス 寄贈

 

去年92歳で亡くなった現代芸術家・渡辺豊重(1931-2023)の作品。独学で築き上げた作風には権威に阿らない飄々とした軽やかさと(狭義の)ユーモアがある。

 

昆虫ですかね。

 

「座布団じゃね」サル

 

うまい!一枚!

 

佐善明《PLASTIC FLOWER AGE》(1970)油彩、カンバス 寄贈

 

佐善明(1936-1911)は新潟出身の画家。新潟大学教育学部絵画科卒。新制作協会会員として作品を発表。様々な寓意が読み取れるが、個人的にはデザインの美しさと求心力に素直に感動した。コラージュ、ステンシル風の処理はまさに70年代。

 

橋本龍美《山河在り》(1979)紙本著色

 

橋本龍美(はしもと りゅうみ)(1928-2016)は新潟県加茂市出身の異色の日本画家。物の怪や魔物などをアジア的表現で描き続けた。この画家の絵もどこかで観ているはずなのだが思い出せない。世間的には“はみ出し者”だった龍美。しかし、世間に丸く収まったアーティストなどロクなものではない。村上隆御大をみよ。あそこまで突き抜けなければ!

 

「ヒツ、あまり得意じゃないじゃん」サル

 

うむ。弟の村上裕二氏の方が好みかな。ということで常設展示室は終了。

 

 

続いて企画展《美術館の名品》へ。

 

 

この展示。ちょっと鑑賞者に対して挑発的。

 

「どーして」サル

 

「名品」とは権威が作るものではなく、観る者、選ぶ者の感性に拠るべきだというアンチテーゼなんだ。つまり僕らの眼も試されている。

 

 

確かに著名な画家の作品が多いね。初期の蒐集品だな。

 

ジャン=フランソワ・ミレー《羊の毛を梳く女》(1863)エッチング

 

バルビゾン派の農民画家。《種を蒔く人》とか《晩鐘》とか。

 

オディロン・ロドン《光の横顔》(1886)リトグラフ

 

この作品は遠藤周作著『スキャンダル』の化粧箱にデザインされていたので覚えている。浪人が決まって“最後の読書”とばかりに村上春樹『世界の終り…』、古井由吉『聖・栖』、水上勉『金閣炎上』、大江健三郎『〈雨の木〉を読む女たち』と一緒にまとめ買いして読んだ。そして一番つまらなかった(笑)。狐狸庵先生得意の“勝呂もの”。ベタな心理ミステリだったなあ。

 

「絵とぜんぜん関係ないにゃ」サル

 

ルドンの版画は傑作だよ。

 

オディロン・ルドン《黄色いケープ》(1895)パステル、紙

 

ルドンにカラーのパステル画があるとは意外。

 

オディロン・ルドン《丸い光の中の子供》(1900?)パステル、紙

 

謂われないと判らないかも。知らないうちに“常識”に毒されていることに気づかされる。

 

ピエール・ボナール《浴室の裸婦》(1907)

 

ナビ派の親分ボナールといえば妻の湯上がりシーン。アンティミスト(日本語では親密派)と言われるね。マジで奥さんのこと好きだったんだろうね。いつもそばにいる感じ(笑)。若い頃は構図とデッサンの甘さが苦手だったけど、肌の質感といい、室内のどこか湿り気を帯びた雰囲気といい、たまらなく人の匂いを感じさせて今は好き。

 

「シロウト画家なの?」サル この画家

 

もとは弁護士を目指していたのよ。ゴーギャンも銀行員だし。天は二物を与えるんだね。

 

ピカソ《母の化粧》(1905)エッチング

 

ピカソ24歳の作。

 

ピカソ《貧しき人々》(1904)エッチング

 

個人的には油彩よりも版画の方が好き。

 

ピカソ《ギターとオレンジの果物鉢》(1925)油彩、カンバス

 

キュビスムの時代の作品。食傷気味。

 

ルネ・マグリット《博学な樹》(1926)

 

シュルレアリスムキリコ形而上学絵画の影響を受けたマグリットは一見関係なさそうなものを組み合わせることによって不思議な世界を作り上げた。コラージュや後で出てくるアッサンブラージュという技法と通底している。

 

マックス・エルンスト《ニンフ・エコー》(1936)油彩、カンバス

 

ドイツ出身のエルンストはボン大学で哲学を専攻。ゴッホに心酔して画家の道に進んだ。表現主義、ダダイズムからシュルレアリスムと最先端の運動に参加。拠点もパリ、アメリカ、そしてパリと落ち着きなく転々。心理学、文学、音楽、演劇と多様なジャンルとクロスオーバーしながら独自の領域を深めていった。

 

「絵の中にヘンな生き物がいない?」サル

 

怪鳥ロプロプだね。幼い頃に感じた不安を心象世界として描いたらしい。

 

パウル・クレー《プルンのモザイク》(1931)水彩・グアッシュ、紙

 

やあ。エルンストの次はスイスの画家パウル・クレーか。学芸員の好みが判るね(笑)。クレーといえば玄人はだしの音楽の才能を併せ持った画家として有名だ。一見すると具象画、それも子供の落書きに近いものもあるが、素材や技法など周到かつ緻密に計算されている。でも、観て純粋に美しいし、年経るものとしての人の一生すら感じる。

 

「全然そうは思えない」サル むつかしすぎゆー

 

捉え方は人ぞれぞれだよ。

 

「そっきゃ」サル

 

ジャン・デビュッフェ《壁》シリーズ(1945)リトグラフ

 

ほぼ独学で絵の道を切り拓いたアンフォルメルの泰斗だよ。

 

「どーいう意味よ」サル

 

フランス語で「非定型」、つまり「形を成さないもの」ってことだな。

 

「絵にならないじゃんね」サル

 

そう。この運動では「対象を捉える」という従来の絵画の目的は否定されて、マチエール(絵肌の質感)が重視されたわけよ。(特に子供の頃の)絵を描く喜びって対象を正確に描くことではなくて、画布に筆や鉛筆で描く時の感触にあったはずだから。

 

「まーよい」サル イマイチぴんと来ないけど

 

ジョゼフ・コーネル《レーダー天文学“シャボン玉セット”》(1956頃)ミクストメディア

 

コーネル(1903-1972)は早くに父を失い、母と脳性麻痺の弟の面倒をみながら貧窮に喘ぐ生活を送った。そんなコーネルが独学で編み出した、一見関連性のないモノが作り出す箱の中の小さな世界が、のちにアッサンブラージュ(デビュッフェの命名)と呼ばれた表現だった。少し違うけれどマルセル・デュシャンにも似ている。調べてみると二人は交流を深めた時期があったようだ。

 

いよいよ最後を飾るのはこのひと。

 

草間彌生《線香花火》(1952)パステル・インク、紙

 

草間彌生さん(1929‐)の初期作品だ。

 

「彌生ちゃんね」サル

 

草間さんが女子高生に「YAYOIちゃん♪」と慕われる時代が来るとはね。

 

草間彌生《秋に横たわる私》(1975)水彩・パステル・印刷物、紙

 

1957年に渡米してボディペインティングハプニング(パフォーマンスの走り)、インスタレーションで一躍時の人になった草間さん。その草間さんに前出のコーネルがぞっこん(死語)だったというのは今回初めて知った。だから72年のコーネルの死は唯でさえ不安定な草間さんの精神に衝撃を与えた。こうしてみると一見無関係のようなアーティストが、皆見えない糸で繋がっている。名品は…いや、全てが名品だった。

 

これで企画展こみで400円。しかも写真撮影可。地方美術館のプライドを感じたな。このあともう少し旧市街を歩くことにした。

 

「ブラヒツジだのう」サル

 

(つづく)

 

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