旅の思い出「丸亀城」 石垣の名城を訪ねる(香川県) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

史跡 丸亀城

℡)0877-22-0331

 

往訪日:2024年2月24日

所在地:香川県丸亀市一番丁

開館時間:9時~16時30分(年中無休)

見学料:一般200円 中学生以下無料

アクセス:JR丸亀駅から徒歩15分

駐車場:無料(資料館横50台+市民広場20台)

■国指定重要文化財(1950年)

 

《要塞の上にチョコンと天守閣》

 

ひつぞうです。次に訪ねたのは現存12天守の丸亀城。三十年前に仕事で堀端を走ったことがあるだけで長らく気になっていた城郭です。ようやく訪れることができました。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

丸亀城といえば“石垣の名城”。秀吉の配下として次々に戦果をあげた戦国大名・生駒親正。その親正が讃岐に知行を与えられ、高松城の支城として築造したのが始まりと言われる。完成は1602(慶長7)年。その後、山崎氏京極氏と藩主が交代。明治維新後に天守を残して全て解体されて今に至る。

 

 

小さな天守が唯一残ったことで、その豪壮広大な城壁がより顕著に見る者を圧倒するようになった。

 

 

まずは大手ニの門を目指そう。

 

 

1950年の文化財保護法により、大手二の門一の門、そして天守の三箇所が国の重要文化財に指定された。つまり旧国宝。名城だけに復活して欲しいが、国宝申請には画期的な新発見が必要。

 

 

では早速。いないタイミングを狙っているだけでそこそこ観光客はいる。大手門と天守が両方現存しているのは丸亀城、高知城、弘前城の三つしかない。だからとても貴重。

 

 

大手ニの門を通過。小ぶりだが高麗門形式の凝った造り。

 

 

緑青を噴いた金具がいい味を出している。

 

 

次は大手一の門

 

上の石落としから攻撃できる仕掛け。藩士が太鼓で刻を告げていたので別名“太鼓門”の名がある。

 

(配置図)

 

残念ながら資料館は改修中で見学できなかった。そのまま見返り坂から二の丸を経て天守に向かう。

 

 

写真では巧く伝わらないが、斜度10度とかなり急坂。皆日頃の運動不足を言い訳しながら登っていく。

 

《京極朗徹碑》

 

脇に眼をやるとなにやら石碑が。丸亀藩第七代藩主・京極朗徹(きょうごく あきゆき)を偲び、明治16年4月に丸亀の有志が船玉神社境内に建立したもの。神社はその後なくなり、この地に移築された。(廃藩置県により旧華族が東京住まいになったためだろう)当の朗徹公の菩提は東京の光林寺(南麻布)になっている。

 

「細かい処までメモるにゃ」サル

 

こういう処は気になるタイプなのよ。

 

「こっちにもあゆ」サル

 

《帰厚の碑》

 

丸亀城址払い下げに尽力した片岡政吉と代金と維持費を工面した式村茂を顕彰する碑。現在は文化庁の管轄、丸亀市の管理となっている。

 

「もはやジモピーも知らんのでは?」サル

 

城と殿様はそれだけ当時の市民に愛されていたんだね。

 

 

「すっごい急な石垣だのー」サル

 

ここが一番美しい三の丸北側の高石垣だね。高さ20㍍以上あるよ。

 

「登ったら怒られるだろーにゃ」サル

 

文化財だからね。

 

もともと丸亀城は標高66㍍の地山(亀山)に建てられた平山城が基盤になっている。石垣の隅角部は長辺と短辺を交互に積み上げる算木積みだ。そして石垣本体は一段ごとの目地が水平に入る打ち込みハギという工法を採っている。

 

「反り繰り返った急勾配だね」サル

 

だから別名“扇の勾配”と呼ばれるんだ。

 

 

「しかしきついにゃー」サル むきゃー

 

おサルさ。左の櫓跡をみてよ。

 

「どーかした?」サル 余裕にゃい!

 

途中から石垣の色が違うね。修復工事をしたみたい。

 

 

高浜虚子の句

 

 

櫓跡は好眺望。

 

 

「綺麗な形をした山がある」サル 登らなくていいのち?

 

讃岐富士だね。

 

 

こっちは青ノ山。その先に瀬戸大橋も見える。

 

 

「ドックがある」サル

 

今治造船だね。その手前に目立つ建物があるな。

 

「どこ?」サル

 

 

後で確認したら丸亀プラザホテルという老舗ホテルだった。築50年以上らしいので、どこぞ謂れのある建築家の作品かと期待したが…情報がまるでなかった。かなり変わっている。現役の人気ホテルらしい。

 

 

どんどん登ろう。

 

 

二の丸通過。暖かくて桜が狂い咲きしていた(まだ二月下旬の話)。

 

 

やあ。見えてきたね。

 

 

唐破風千鳥破風で飾る三層三階造り。その高さ15㍍と日本一小さい。小振りだけど良い天守だよ。

 

 

讃岐平野の見晴らしがいい。

 

 

「ちいさな三角形の山がいっぱいあゆね」サル

 

大昔の火山の跡だよ。厳密には噴火堆積物ではなくて浸食で取り残された火道(マグマ)の跡。

 

「石垣修復してゆ?」サル

 

2018年の台風24号の被害で崩壊したんだ。現在修復中。時間がかかりそうだね。

 

 

城跡に四等三角点があった。

 

 

では天守へ。

 

 

めっちゃ急!

 

 

柱には職人による鐇の跡も。

 

 

床を観てみよう。板の幅が左右で違うね。

 

「材質も違うよにゃ」サル

 

よく気づいた。太い方が東北地方に自生するヒバ。細い方が修復に使われた杉材なのだそうだ。

 

では二階に向かおう。

 

 

石落とし

 

 

太鼓壁

 

 

三階の最上階へ。

 

 

「雰囲気あゆー」サル

 

 

天井には昭和の大修理(昭和24年8月の文字が読める)の際に使われた道具類が無造作に置かれていた。

 

 

狭間が狭いのであんまり綺麗に撮れない。

 

 

ということで見学終了。

 

 

これくらいのお客の数でちょうどいいね。

 

 

ということで、この後の予定もあるのでサッサと戻ることに。

 

 

帰りは玄関先御門から。

 

 

ということで長らく気になっていた丸亀城を訪ねることができた。城郭の全てが残っていたらどんな感じだったのだろうか。夕暮れあとのシルエットも素晴らしかった。

 

「まだどっかいくの?」サル

 

あと一箇所で終わりだね。

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございます。