旅の思い出「安曇野ジャンセン美術館」その画家が残したもの(長野県・安曇野) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

安曇野ジャンセン美術館

℡)0263-83-6584

 

往訪日:2024年2月18日

所在地:長野県安曇野市穂高有明4018-6

開館:9時~17時(月曜休館)

料金:一般1,000円 小中学生600円

アクセス:長野自動車道・安曇野ICより20分

駐車場:25台

■設計:塚原和嘉穂

■施工:鹿島建設

■竣工:1993年

※室内のみ撮影OK(作品接写NG)

 

《天下の鹿島が参画した私設美術館》

(ネットから幾つか画像を拝借しました)

 

ひつぞうです。信州旅行の締めくくりは安曇野ジャンセン美術館でした。フランスで活躍したアルメニア人画家ジャン・ジャンセンの世界唯一の専門美術館です。でもジャンセンって誰なんでしょうね。訪ねてみることにしました。

 

「知らんのかい!」サル

 

★ ★ ★


この美術館の存在を知ったのは松本近郊の建築について調査していた時だった。“世界唯一の専門美術館”。このキャッチフレーズ。一過性の人気で時代の寵児に昇りつめたアーティストに付きものの表現とも云える。

 

パリで活躍した具象画家はとりわけ日本人実業家を虜にしてきた。蓼科のマリー・ローランサン美術館(2011年閉館)。伊豆のベルナール・ビュフェ美術館。軽井沢のレイモン・ペイネ美術館。なぜ日本にフランス人の個人美術館があるのか。本当は歴史に刻まれるべき画家ではないのでは。素直に賞讃できずに、そう勘繰ってしまう。褒められたことではないと判っていても。

 

「ぜんぶ行ってるじゃん」サル なんだかんだ云って

 

設立者は松川村でAEG設計研究所を運営した塚原和嘉穂氏。美術館経営は娘さんの代になっているため詳細は判らない。その塚原氏が自ら設計し、惚れ込んだジャンセンと後期印象派のコレクション展示のため1993年に設立したと記されていた。

 

「バブルの頃ね」サル

 

今回の往訪は「画家よりも建築」というスタンス。場所は表銀座縦走の基地シャクナゲの湯の近傍。ひと頃は夏になる度に通った。しかし、美術館があるなんて気づかなかった。

 

 

駐車場は建物の向かいにある。

 

 

本当にやっているのか不安だったが、数組の客がパラパラ戻ってくる。やっているらしい。暖かくなれば客足も増えるのかも知れない。

 

「こう寒々しいとにゃ」サル 客足も伸びん

 

 

確かに面白い設計だ。ファザードはロマネスク風の味つけが施されている。屋根の幾何学的な組み合わせと化粧煉瓦(赭)と屋根(碧)の色の対比に個性を際立させようとした腐心の痕跡が見て取れる。

 

 

竣工は平成の初めだが意匠は昭和30年代風。ジャンセンの修業時代に時代感覚を合わせたのだろうか。

 

 

円と三角の対比もモダン。

 

(平面図)


館内の構成はご覧のとおり。希望すれば映像室で20分ほどジャンセンの解説映像を観ることができる。作品鑑賞前の視聴がお薦め。

 

 

接写をしない限りホール、サロン、テラスが撮影可能。ひと言断ろう。

 

 

打放しコンクリートが時代を物語っている。

 

以下ジャンセンについての振り返り。

 

 

ジャン・ジャンセン(1920-2013)。アルメニア出身の画家。1938年、パリ装飾美術学校卒(卒業生に工芸家R・ラリックや画家F・レジェがいる)。翌年以降、新進画家の展覧会に意欲的に参加。ダリ、ピカソ、キュビスムなど新潮流と出逢い、その奔流のなかで画風を確立。1951年のギリシャ、1954年のスペイン、そして1956年のイタリア旅行で得た貧民街の子供や老人などを生涯のモチーフに据えた。2013年フランスで死去。享年93歳。

 

「長生きしたんだの」サル

 

そうね。11年前まで存命だったんだね。

 

《熟したザクロ》

 

1956年のイタリア滞在でひとつの頂点を築き、風景画、静物画、そして人物画をよく描いた。とにかく線が美しい。迷いがなく一気呵成にペンを走らせる。そんな印象だ。だが実際は執拗にデッサンを繰り返して納得したのちに本作に取りかかったらしい。天才肌ではあっても努力を惜しまない画家だったそうだ。

 

《マゾルボの橋》

 

もうひとつ感心したのは生得ともいえる色彩と構成。これは教えられたものではない。アカデミックな手法でもないし、影響を受けたシュルレアリスムやキュビスム、フォービスムでもない。

 

《ゴンドラ》

 

ややもすれば通俗に堕しがちなタッチだが、ギリギリの線で留まっている。本物の画には風景だろうと静物だろうと画家本人の魂(思想といってもいい)が描き込まれている。沈んだ色調は幼い頃にギリシャで体験した貧困と戦争の恐怖と無縁ではないだろう。

 

《椅子に掛ける少女》

 

ジャンセンといえばバレリーナやヌードの女性。しかし、描きすぎたのかも知れない。類型に堕して通俗の顰を買う契機ともなった。

 

「バレリーナの絵は良いよ。線が生きているにゃ」サル

 

《王と女王の舞踏会》

 

パステル調の多色構成も特徴。

 

《オペラ座の大舞台》(1961)

 

存命中に美術館が完成し招待された点もビュフェやペイネと同様。辛口かもしれないが、60年代以降もたくさん描き続け、ファンを得たジャンセンだが、国際的な展覧会での受賞の話はあまり聞かない。

 

《画家とモデル》(1963)

 

裸婦画最大の作品。

 

調べてみるとジャンセンの専門美術館はかつて都心にも存在し、画廊での取り引きも盛んだったようだ。しかし、歿後は人気も凋落の一途。確かに回顧展など眼にする機会もない。公立美術館の常設展示でも眼にすることがない。少し通俗的な処が真面目な学芸員たちの琴線に触れないのだろうか。

 

 

二階の窓からの景色。

 

二階は企画展《西洋の物故画家8人展》が開催中。モディリアニ、シャガール、ルオーなど後期印象派やフォービスムの画家中心。一時間余りで鑑賞を終えた。僕にしては短いほうだ。展示スペースが限られていたこともある。

 

「これで1000円は強気だの」サル

 

そうしないと存続できないのかも知れない。地方の私設美術館の抱える問題だよ。

 

 

ネットなどでは「いい建物と作品だけに撮影禁止なのが残念」というコメントが目立つ。著作権の問題もあるし、一筋縄ではいかないのだろうが、今の時代SNSは無視できないし、存続のための知恵絞りも必要。このまま行くとマリーロランサン美術館の二の舞になりそうだ。余計なお世話かもしれないけれど。

 

ということで何やら腹が減ってきたので近くの蕎麦屋に行くことにした。

 

「もう一時だもん」サル

 

 

そば処双葉でランチ。ピークの時間を過ぎたせいだろう。然程混んでいなかった。

 

 

ここはやはり天ぷらそばでしょ。

 

「サルもそうすゆ」サル

 

 

虹鱒のつぶら揚げというのが旨そうだったのでひとつ頼んでみた。開きをサッと素揚げにしたあと、甘酢とダシで味付けしてある。やや甘口だが生酛系の酒を燗につければ絶妙のコンビになりそうだ。もちろん飲めない(笑)。運転が控えているし。

 

 

奇策に走らずに温かい天麩羅そば(1550円)を選んで正解だった。油切れのいい天麩羅はサクサクと歯触りがいい。蕎麦は普通の二八蕎麦だが喉越し絶品。冬場は通を気取らず、温かい蕎麦に限る。

 

これにて信州湯けむり旅行も終わり。特約店で酒を買って家路につくことにした。

 

「サッサと帰って飲もうぜ」サル

 

(おわり)

 

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