名建築を歩く「武庫川女子大学甲子園会館」(兵庫県・西宮市) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

武庫川女子大学甲子園会館(旧甲子園ホテル)

℡)0798‐67‐0290(見学受付)

 

往訪日:2024年2月7日

所在地:兵庫県西宮市戸崎町1-13

見学時間:事前予約制(前月10日より受付)

見学料:無料

アクセス:JR甲子園口駅より徒歩10分

駐車場:なし

■設計:遠藤新

■施工:大林組

■竣工:1930年

■国登録有形文化財(2009年)

※撮影OKです

 

 

ひつぞうです。まだ冬のさなかの今年二月に甲子園会館を見学しました。ここはフランク・ロイド・ライトが設計した旧帝国ホテルと比肩された関西の名門、旧甲子園ホテル。現在は武庫川女子大学甲子園会館として利用されています。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)を見学した折、ライトの弟子・遠藤新(1889-1959)が設計した建築が西宮市にあることを知った。ひと月前から予約が取れるらしい。そういいながら平日限定。多少時間に融通が利く身になったので、ありがたく休みを頂戴してJR甲子園口駅に降り立った。この日は曇天の予報だが、幸い午前中は晴天だった。

 

「よかったにゃ」サル

 

ところがである。

 

 

なんと建物の左翼が大規模に補修中ではないか…あせ

 

「中は普通に見学できるらしいよ」サル

 

写真の完成度が落ちるじゃん。

 

「知らんよ。そんなこと」サル

 

 

どことなく東洋的な尖塔が印象的なシンメトリーなファザード。吸い寄せられるようにカメラを構えて数歩進んだところで守衛に呼び止められた。まずは入構の手続きをして待つように指示された。見学ツアーが開催されると言ってもここは学校。

 

 

まだ30分前。暫く待つことにした。すると間を置かずに一人また一人と建築マニアと思しきオジオバが集まり始めた。

 

 

設計はライトの弟子・遠藤新。ライト譲りの幾何学的な意匠、そしてテラコッタ製の化粧タイルが印象的だ。

 

 

大胆なスリット入りのルーフガーデンも特徴のひとつ。その縁にイスラム建築を思わせる文様が刻まれている。実はこれ、水滴をシンボライズしたものらしい。

 

 

中央はモダンな回転扉。危険なので現在は左右の開き扉を利用するようになっていた。

 

 

まだ回転扉そのものが珍しい時代だった。

 

 

基層部の石材は淡いベージュ色をした日華石(石川県産)という凝灰岩が使用されている。

 

「ライトは大谷石派だったね」サル

 

石材ひとつで印象が変わるね。

 

時間になり、総務課の男性が案内してくれた。さすがに普段から解説しているだけに戦前の洋風建築に詳しい。参加者は二十人ほど。映像を使った座学から始まる。その後、館内そして屋外、屋上を観て回った。

 

 

エントランスを通過するとホテル時代のフロントと思しき場所に出る。

 

 

照明は復刻品だが、創建当時の貝殻を模したデザインを踏襲しているとか。

 

(ネットから写真を拝借いたしました)

 

かつての写真を見ても“KOSHIEN HOTEL”という大きな看板以外に意匠的な変更がないことが判る。甲子園ホテルは1930年に阪神電鉄の資本で計画された。東京の帝国ホテルの向こうを張って林愛作(1873-1951)を総支配人に抜擢。美術商時代の縁で林が帝国ホテルの設計を依頼したライトだったが、予算と工期超過で揉めまくって帰国。甲子園ホテルは(その尻拭いが評価された)遠藤新に依頼されることになった。

 

 

小階段の泉水。見所のひとつ。

 

 

斜め上の小窓から陽光が降りそそぐ仕掛け。特に冬至の早朝が美しいとか。

 

 

その出水口の下には打出の小槌がデザインされている。水玉打出の小槌、そしてライトが得意とした四角形の幾何学模様が随所に鏤められているのが特徴だ。

 

 

エントランス中央のレセプションルーム。両端に四角の幾何学模様。

 

 

彫刻は清水多嘉示(1897‐1981)。不遇の天才画家、宮芳平(1893-1971)の前任者として茅野の諏訪高等女学校で教鞭をとった清水の彫刻は明るく健康的で、戦後の学校彫刻で人気を博した。武庫川学院由来の品と推測したがどうだろうか。

 

 

次に案内されたのが西側のバンケットホール。床材が美しい。そして雨垂れのような装飾も。

 

 

天井は雪見障子を模したような市松格子光天井。圧巻だ。

 

 

「すごい彫刻だの」サル

 

 

よくまあ作り上げたね。

 

 

欄間にも打出の小槌のオーナメント。

 

 

窓からはエントランスホールから庭園に階段が続く。壁面の(円と直線からなる)幾何学模様も見所。

 

 

屋外に出てみた。客室は全70室。高松宮殿下も宿泊された由緒あるホテルだ。因みに外壁改修中の東ウィングは元メインダイニングで、現在は学生のための製図室。いずれにせよ内部は見学できない。もっと言うと、東の改修が終わり次第、西の改修に移るらしい。ある意味、早めに見学してよかった。

 

 

庭園を前景に入れると往時の賑わいが感じられた。

 

 

回遊式の庭園には茶室も。

 

 

カンチレバー式のルーフはライト建築へのオマージュだろうか。この後再び屋内へ。

 

 

応接間は暖炉の楔型のデザインが眼を惹く。

 

 

かつてのバーコーナー。ハイバックの椅子も遠藤のデザイン。だから脚も水玉。

 

実はこの椅子、曰くつきの代物。ホテルの完成を伝えた遠藤の許にライトの返事が返ってきた。その手紙の中で「宴会場の端の洞窟のような内装は優秀だ。但しバーの椅子を除いて。誇張的表現に過ぎる。機能から独立し過ぎてはいけない。カーペットも改善の余地あり」と手厳しく批評した。

 

「せっかくお弟子さんが頑張ったのに」サル

 

この性分はライトの人間としての限界を表していると言われている。遠藤の名誉のために添えておくが、この椅子の意匠はむしろ支配人・林愛作の趣味という解釈が一般的だ。なかば嫉妬のようなコメントは他人を褒めることのできなったライトの人となりを如実に表している。

 

床の化粧タイルにも注目。

 

 

明治期の洋風建築を飾った京都の泰山タイルだ。1917(大正6)年に池田泰山が始めた泰山製陶所は皇室御用達でもあった。近代洋風建築が漸次失われゆく時代にあって大変貴重な資料らしい。

 

「紙のラベルはなに?」サル

 

建築学科の生徒さんが研究しているんだって。左上の隅角に注目。

 

 

設立年の1930だね。

 

 

偶然なのか遊び心か、タイルの裏面も。

 

「TAIZANって読めるにゃ」サル

 

ではいよいよ二階へ。

 

 

かつてのカードルーム。夜な夜なポーカーゲームが開催された。

 

 

やはり滴模様が磨られたアートグラス。

 

 

バルコニー越しに正門を望む。少し雲が張り出してきた。

 

 

最後は最上階にあがる。

 

 

垂直と水平の二軸を強調した構図と、テラコッタで覆う装飾は師匠譲りだが、亜流と謗られるほどに没個性的だろうか。緑釉の瓦屋根、左右ウィングの伸びやかな構成。日本らしい吉祥文様など、建築家の虔しい工夫が見て取れる。そう感じた。

 

 

以前は大黒様が納まっていたそうだ。

 

「誰かが持っていったのかな」サル

 

 

鳴り物入りのホテルだったが、戦争の激化が災いしてわずか14年で幕を閉じた。戦時中は三菱の岩崎小彌太も避難している(とは言ってもゴルフ三昧の優雅な生活だったらしい)。1945年に(川西航空機の鳴尾製作所があったため)西宮の街が空襲に曝されたが奇蹟的に戦火を免れている。

 

「ほんと奇蹟」サル

 

海軍病院やGHQ接収の時代を経て大蔵省管理になった。管理というのは資産上の問題。人の手の入らない建物は勢い老朽化し“お化け屋敷”というありがたくない称号を頂戴している。そんな時救いの手を差し伸べたのが武庫川学院だった。1965年に譲渡され、教育施設に生まれ変わった。モダニズム黎明期の作例として貴重なものを見学をさせてもらった。

 

「サルもそう思った」サル

 

終了後、あっという間に低い雲も覆われてしまった。冬の空は変わりやすい。寒い一日だった。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。