名建築を歩く「ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)」(兵庫県・芦屋) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)

℡)0797-38-1720

 

往訪日:2023年12月24日

所在地:兵庫県芦屋市山手町3‐10

開館時間:10時~16時(水土日曜+祝日開館)

拝観料:一般500円 小中高生200円

アクセス:阪急神戸線・芦屋川駅から徒歩10分

駐車場:あり

■設計:(基本)フランク・ロイド・ライト(実施)遠藤新、南信

■竣工:1924(大正13)年

■施工:女良工務店

■国指定重要文化財(1974年)

📷館内撮影OK

 

《東洋とモダニズムの出逢い》

 

ひつぞうです。昨年末に芦屋のヨドコウ迎賓館を訪ねました。ここは灘の名門酒蔵、櫻正宗の八代目・山邑太左衛門の別邸として建てられた洋館で、設計はフランク・ロイド・ライト。一般公開されているライト作品としては明治村の帝国ホテル(愛知)、そして自由学園明日館(東京)と、この旧山邑家住宅のみ。それだけに貴重な作品でした。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

仕事で月一回、御堂筋線の本町駅を利用する。4番出口の階段を昇ると、決まって眼にする嵌め込み広告。それがヨドコウ迎賓館だった。製鋼会社、あるいは長寿番組「新婚さんいらっしゃい!」のスポンサー、もしくはヨド物置で有名な会社の施設がそんなにありがたいのか。ずっと思っていた。無知とは恐ろしい。それがあのフランク・ロイド・ライトが手掛けた建築だったとは。ただ、詳細を紐解くうちに、その弟子遠藤新(1889-1951)と南信(1892-1951)が最終的に仕上げたことも判ってきた。

 

この日もまた稀に見る快晴、と云いたいところだが、午後から曇りの予報。そのため朝一番に見学する必要があった。阪急・芦屋川駅で下車すると、既にそこは高級住宅地。散歩中の犬もどこか気品に満ち、走る車はドイツ製。しもじもの生まれには稍々場違いだが気にしない。

 

 

線路を越えて芦屋川の左岸を北に歩く。少し高台になった住宅地が見えてきた。あれだ。

 

 

道路脇に「細雪」と彫られた石碑が蹲っていた。昭和61年に谷崎生誕100年を記念したもので、題字は松子夫人の手による。後半生の谷崎は古典美を求め、そして、芦屋に暮らし、関西の文化を愛した。その集大成が畢生の大作『細雪』である。

 

「ヒツに薦められて読んだだよ」サル カンペキに忘れたけど

 

 

やあ。見えてきた。なにかの遺跡のようだ。

 

 

通称「ライト坂」をのぼる。一段下は駐車場になっていた。かつてここは池だった。

 

 

開館の時刻10時になるとスタッフが開錠してくれた。この日並んだのは他に二人。貴重な建築だけにもっと並ぶものと思ったが。意外だ。

 

 

実は山邑家の保有期間は1924年から1935年までと意外に短い。その後、天本繫二郎の手に渡り、戦後はGHQの社交場に接収されるなどして、1947年に淀川製鋼所が買収。初代社長の邸宅となり、のちに独身寮として利用された。

 

「あまりいい扱いされてないにゃ」サル

 

戦争を挟んでいるからね。

 

その後、マンションへの建替計画が浮上するが、建築家や地域住民の保護活動が実り、1989年に現在のヨドコウ迎賓館として一般公開されるに至っている。

 

「素晴らしいことだにゃ」サル

 

一般住宅という規模感も良かったんだと思うよ。

 

 

正門から建物の脇を通って玄関に向かう。かつては自動車が入構していた。

 

 

ライトが得意とした水平に展開する典型的なプレーリースタイルだ。

 

 

玄関前は車寄せになっている。床と柱には(帝国ホテル同様に)大谷石がふんだんに使用されている。陥没部分は俗にいうミソが風化したもので、大谷石はミソが多いほど高級と言われる。それだけ資材に拘りを見せたようだ。

 

 

車寄せの先端は展望台になっていた。

 

建物の構造は以下のとおり。斜面に建設されているので、一階から徐々に縦長に伸びていく構造だ。

(ヨドコウ迎賓館パンフレットより)

 

 

側面図はこんな感じ。どことなく、宮殿というより艦船のように見える。

 

 

旧山邑家住宅時代の模型だ。一段下が池になっているのが判る。その右上にある建物は温室。如何に贅を尽くしたかが判るだろう。まずは入館料500円を払って靴を脱ぐ。たった500円とは太っ腹。

 

 

床材も大谷石と思われる。カーペットは摩耗を避けるための処置だろう。まずは二階へ。

 

 

=(2階)応接室=

 

ライトらしさが詰まった、一番美しく、そして工夫が鏤められた部屋だ。

 

「豪華だのー」サル でも掃除はタイヘンそう

 

 

ただ(冒頭に記したように)ロイドが手掛けたのは原設計だけ。というのも工事着手前の1922年に帰国してしまったからだ。今では近代建築の父として、教養に満ちた文化人のように称揚されるライトだが、実はとても短気で激情家。そして、多少嫉妬深い面倒な性格だった。

 

 

そもそもの来日の目的は帝国ホテルの設計。ところが(芸術家肌にはありがちだが)予算と工期を著しく超えて発注者とひと悶着起こしてしまう。それ以前も不倫問題や家族の惨殺事件などで世間を賑わし、母国アメリカでの信用は丸潰れだっただけに、もう人生なんてどうでもいいや!ってな感じで、自暴自棄になってしまったのだろう。とっとと帰ってしまったのである。

 

「後さき考えないね」サル

 

 

困ったのは山邑家にライトを引き合わせた弟子の遠藤新だった。ライトの建築事務所の日本人技師は「あほくさ」とドンドンやめてしまい、最後に残ったのが遠藤だと言われる。こうして遠藤は朋友南とともに責任を取る恰好で実施設計を完成させた。実は波乱万丈の歴史を持つ建築だった。

 

 

どうだろう。大谷石の彫刻に、天井を飾るマホガニーの梁。壁の上部には開閉式の通風孔が並ぶ。湿気防止の工夫らしい。

 

 

◇型の文様が彫られている。実は四角形こそが当館の基調デザイン。

 

 

このように、幾何学模様がワーグナー歌劇のライトモティーフのように至る所に刻まれ、そして呼応していた。細かいことだが、この垂直材には一片の水平材がつけられている。一見不必要に見えるが、これこそはライト設計に特有なカンチレバー(張り出し構造)を意匠化したものではないだろうか。

 

「またまた訳判らんことを」サル

 

 

そして四つの四角がフラクタル的に繋がる、或いは日本の仏具《幡》に似たデザインが窓を飾る。

 

 

階段の先には長い廊下が続く。その右脇に数段続き、和室へと導かれる。

 

=(3階)和室=

 

 

この和室は山邑太左衛門の求めに応じて、遠藤新が新たに設えた意匠らしい。桂離宮を絶賛したブルーノ・タウトと対照的に、ライト自身は和風建築に懐疑的だったことはよく知られている。

 

 

和室は10畳、6畳、8畳と縦に連なる。

 

 

催しごとに利用されたのだろう。欄間の銅板に注目。あえて緑青を浮かせて色彩感を際立たせている。

 

 

細かいデザインの工夫を鑑賞しよう。

 

 

今となっては枯淡の味わいだ。全館合わせて400枚使用されている。

 

 

六畳の床の間。落としがけも片持ち式。

 

 

蹴込み(壁の末端)に施されたRのついたスリットが見事だ。

 

 

地袋の取っ手の部分も重ね菱。

 

 

バルコニー側は談話室になっている。反対側に行ってみよう。

 

 

かつて家族の寝室だった部屋だ。この机に注目。山邑家所有だった遠藤新設計の応接セットを復元したものらしい。脚が前二本しかないように見える。これもカンチレバーを意匠化したものだ。遠藤新の遊び心だろう。

 

 

その隣りには畳床を一段高くした婦人室。隣りの部屋の人物と視線の位置を合わせる工夫だ。

 

 

奥の子供部屋に続く廊下の天井は、歩く人物の視線が楔型の焦点に合うように設計されている。

 

 

子供部屋ではヨドコウ迎賓館を紹介したTV番組の録画が上映されていた。では最上階の4階へ。

 

=(4階)食堂=

 

 

四階は食堂。それを厨房や洗濯室、使用人室が囲む。天井は高く採光のスリットはそれまでと異なり、楔状。

 

「天井高いね」サル

 

 

正面に暖炉を配置。

 

 

優雅な風情が漂う。

 

 

正面に当館の象徴であるバルコニーが張り出していた。

 

=(4階)バルコニー=

 

 

出てみよう。正面に突き出しているのは煙突だ。その中を潜るようにして一段下に連続している。

 

 

食堂を振り返る。

 

 

降りてみた。

 

 

ここにも楔型。これらの幾何学的な処理こそライトだ。

 

 

振り返ってみる。後背には六甲山が聳えていた。

 

 

バルコニー先端からの眺望。芦屋川が海に流れていく様が見て取れる。

 

「眺望いいにゃー」サル

 

 

天井のスリット。これも忘れてはならない特徴のひとつ。

 

 

いい建築だった。帰りしなに「迎賓館を綺麗に眺望できる場所はありませんか」と館長に訊いてみた。滴翠美術館のテラスが一番でしょうと答えが返ってきた。それは大銀行家で近代数寄者の山口吉郎兵衛の古美術コレクションで知られる美術館だった。もとより訪ねる予定だったので、気持ちよく挨拶して向かうことにした。残念ながら冬季休館中だった…。

 

 

最初は「ヨドコウ迎賓館」という命名に少し俗っぽさを感じた(失礼)が、もしこの会社の所有でなかったら、昭和の時代に取り壊されていたかもしれない。多くの近代建築が姿を消していく昨今、ヨドコウの取り組みは賞讃されるべきだろう。そして今年、竣工100年を迎えた。それでも殆ど傷みはない。さすがはヨドコウ。

 

「100年たっても大丈夫!」サル

 

(おわり)

 

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