名建築を歩く「芦屋市民センター ルナ・ホール」(兵庫県・芦屋) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
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名建築シリーズ50

芦屋市民センター ルナ・ホール

℡)0797-31‐2121

 

往訪日:2023年12月24日

所在地:兵庫県芦屋市業平町8‐24

開館時間:イベント開催時のみ

入場料:イベント毎に変更

アクセス:阪急・芦屋川駅から徒歩7分

駐車場:27台

■設計:西澤文隆(坂倉建築研究所)

■施工:大林組

■竣工:1969年

■DOCOMOMOJapan認定(2008年)

 

《垂直に放たれる光を感じた》

 

ひつぞうです。ヨドコウ迎賓館に続いて訪れたのは芦屋市民センタールナ・ホールでした。ここは坂倉準三率いる坂倉準三建築研究所の設計によるモダニズム建築のひとつです。以下、建築散歩の記録です。

 

★ ★ ★

 

次は阪急神戸線を越えて芦屋川沿いに下っていった。残念ながら滴翠美術館は冬期休館中だった。

 

 

まあいい。芦屋には訪れたい場所は他にもたくさんある。また来よう。

 

 

南下すると川の両岸に特徴的な建築が相対していた。左は目指すルナ・ホール。そして右は重要文化財の芦屋仏教会館だ。残念ながらこちらも(イベント開催時以外は)閉館。内部を拝観することはできなかった。

 

「そんなんばっかりやん」サル

 

最近下調べするのが億劫でさ。←明らかなる老化の兆し

 

 

渇水期の芦屋川は穏やかそのものだった。リードを一杯に引いたコーギーが嬉しそうに主人そっち退けで河川敷を駆けていく。インバウンドで溢れる関西の都市圏にあって、不思議なくらい外国人の姿がない。

 

「いいことよ」サル サルは静かな所が好き

 

 

グルリと回り込んで芦屋市民センター本館側から眺めてみた。本館もまた坂倉準三建築研究所の仕事(1964年)。いずれも坂倉最晩年の監修ということになる。演劇や講演用の大ホールとして建設されたルナ・ホールは、一般建築に収斂しつつあった晩年の坂倉監修作品にあって特異的なフォルムを有していた。

 

 

北側に回り込んでみる。窓の構成美も特徴のひとつの坂倉作品だが、ホールという形式を逆手にとって壁面を大胆にコンクリートで封じ込め、縦のラインを加えて、垂直のイメージを強く押し出した(正確には事務所所属の西澤文隆の仕事だが)。これはかつて神奈川近代美術館鎌倉館などで坂倉本人が表した水平のイメージと乖離していた。

 


ホール入り口に回り込んでみる。

 

 

坂倉の師ル・コルビュジエが掲げた近代建築の五原則からかなり逸脱している。まずピロティがない。これは西澤文隆の思想だろう。

 

 

型枠の痕を意図的に残すことで、打ちっ放しながらウッディな印象に仕上げている。しかし、こんな細い型枠を打ち続けるとは、施工した大林組は相当な労力を費やしたに違いない。デザインを優先した証しだ。

 

 

正門を挟んでルナ・ホール本館は繋がっていた。

 

「窓の形がそれぞれ違うにゃ」サル

 

そうなんだよ。

 

 

本館は坂倉っぽいが、ホール側は屋外階段にスリット風の開口部が並ぶ。

 

 

設計にあたった西澤文隆(1915ー1986)は東京帝国大学建築科を卒業後、坂倉の門を叩いた。一番弟子として坂倉亡きあと坂倉建築研究所を牽引し、関西圏にも多くの足跡を残した。

 

 

正面から見るとまるで要塞。

 

14時から講演会があり、それまで待てば内部も拝観できたのだが、無作法なので玄関までにした。しかし、今となってはお金を払ってでも観るべきだったと後悔している。

 

「後悔だらけの人生だにゃ」サル

 

(参考資料 以下三点ネットより拝借いたしました)

ホワイエ

 

なんとも未来的なホワイエ。曲線と直線のバランスが見事。

 

円形舞台

 

珍しい円形舞台。

 

客席

 

やはり、建築は裏表全て観るべきだ。

 

「また行けばいいんじゃね?」サル ひとりで

 

どうして一緒にいかないのよ。

 

 

見あげると蔦が蔓を張り巡らせていた。数十年後、もしかしたら緑の繁みに覆われているかもしれない。そんなことを想いながら芦屋の街を後にした。師走の昼下がり、いい建築散歩だった。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。