名建築を歩く「三溪記念館」 モダニズムと和の意匠が共存する世界(横浜市・三之谷) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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名建築シリーズ55

三溪記念館

℡)045‐621-0634

 

往訪日:2024年1月8日

所在地:神奈川県横浜市中区本牧三之谷58‐1

開館時間:9時~17時(年末年始以外無休)

拝観料:一般900円 小中学生200円

アクセス:JR根岸駅から30分

駐車場:60台有料(2時間1,000円+200円/30分)

■設計:大江宏

■施工:戸田建設・関JV

■竣工:1988年

 

《閑散とした景色のなかで》

 

ひつぞうです。三溪園往訪のついでに建築家・大江宏の作品である三溪記念館をつぶさに見学してみました。以下、観察日記です。

 

★ ★ ★

 

最近ほぼ愚痴のように近代建築の扱いの悪さを嘆いている。しかし、実際の地震被害を見て具体的に耐震性の問題を突きつけられると、さすがに唯の感傷でしかないのかも知れないとも思う。だとしたら、観られるうちに足を運ぶしかない。

 

「文句をいうのはジジイな証拠」サル きっぱり!

 

 

大江宏(1913-1989)の名前を知ったのは、近代神宮建築の大家、大江新太郎の子息としてだった。東京帝大建築学科を卒業。同期には丹下健三がいる。将にモダニズム建築の第二世代。若干の曲折をへて法政大学に奉職。学内の建築を始め、公共建築を中心に作品を残した。その特徴は、明治初期の帝冠様式のような和洋折衷ではなく、飽くまで西洋のモダニズムと、和の意匠を並置、調和させた点にあると思う。

 

 

三溪園のほぼ中心に位置する三溪記念館は、原三溪の絵画・古美術コレクションを展示するとともに、原家の歴史をデジタル映像で学習できる施設となっている。内苑ゲート正面は職員用の出入口。緑青色の低く張り出した庇は、隣に並ぶ白雲邸の杮葺との対比を感じさせる。

 

 

角を曲がると正面の入り口に導かれる。コンクリートの打ちっ放しの壁には、なまこ壁を思わせるダイヤ柄が施されている。

 

 

「ココから入るみたい」サル

 

反対側は普通の白壁だった。

 

 

天井の緩いアーチを支える円柱は、寺社建築の柱と呼応している。デザインは洋風だけど、この天井の高さが数寄屋風。

 

 

自動ドアが開くと正面に池が見える仕掛け。

 

 

その窓ガラスのうえに格子柄の組み模様が浮かぶ。

 

 

視線は更に天井へと導かれる。とってもモダン。

 

 

照明には四弁花がデザインされていた。この明るく開放的なデザイン。加えて、和風建築ではないのに、強く“木”を感じさせる設計。どこかで出逢っている。紐解いてみると、それは大江宏設計事務所が手掛けた名古屋能楽堂(1997年)だった。もう13年以上前になる。演者は忘れたが、正月公演の三番叟を観た。おサルがずっと寝息を立てていたこともよく覚えている。本人の名誉のために詳しくは言わない。

 

「そーだったっけ?」サル

 

そりゃ寝てんだもん。覚えてないでしょ。

 

 

「おぅ!キラキラ美しいにゃ」サル

 

奥に進むとテラスがあり、ちょうど池の漣が天井に反射していた。神奈川近代美術館坂倉準三が企てた光の演出が、和の空間のなかに見事に応用されていた。

 

 

中庭の演出。

 

 

廊下の壁と天井が波打っている。その間にスリットのような縦長の窓が開く。

 

 

池のなかで庇を支える細い支柱。

 

 

展望台から下る際に観た青い屋根。時代も構造も違うのに厳島神社の寝殿造りをふと思い出した。

 

★ ★ ★

 

展示品に関して。

 

狩野派の障壁画などは企画展限定の公開なのだろう。残念ながら観ることは叶わなかったが、大観の《あけぼの》などの日本画、三溪自身の《寒梅の詩》などの墨書を拝見した。

 

下村観山《老松》(明治末~大正初)

 

いずれも好い作品だった。やはり“本物”は勢いが違う。線が違う。この観山もしかり。大胆に画面前景を斜に切る老松。虚空を飛ぶコウモリ。漢字で書けば蝙蝠は「福」を含む吉兆も表す。僕らの生活にも吉兆が現れてくれたら。そんなことを想いながら会場を後にした。いい建築散歩だった。

 

「なかなか濃かった」サル むひー

 

(おわり)

 

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