名建築シリーズ44
早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)
往訪日:2023年12月3日
所在地:東京都新宿区西早稲田1‐6‐1
開館時間:10時~17時(日祝休館・不定休)
拝観料:無料
アクセス:東京メトロ・早稲田駅より徒歩5分
■リノベーション設計:隈研吾
■改修:2021年10月
■施工:熊谷組
📷一部を除いて館内撮影OKです
《魔法のリノベーション》
ひつぞうです。會津八一記念博物館に続いて早稲田大学国際文学館を訪ねました。四号館にあたります。むしろ(通称の)村上春樹ライブラリーと云った方が通りがいいかもしれません。カテゴリー的には《文学》あるいは《記念館》なのでしょうが、敢えて建築散歩してみます。以下、往訪記です。(※文中、村上春樹先生の敬称を省略しています)
★ ★ ★
2021年10月に村上春樹ライブラリー開館の記事を眼にした。一時期ハマった作家だけに一度は行かなければ。そう思った。ジャズの嗜みを教えてくれたのも村上春樹。映画。旅。料理。ファッション。それを教えてくれたのも村上春樹。親父との軋轢の果てに一年間学業を放棄し、浪人が確定した日。新生活に向けて羽搏いていった同級生を後目に、僕は本屋で新潮社書き下ろしシリーズの一冊を買った。
(※持っている本は自宅にあるため写真が撮れず。ネットから一時借用します)
それが『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』だった。まだ「村上春樹」が一部のファンの間でしか知られていなかった頃だ。純文学の文中にデュラン・デュランの文字が出てくる。とても新鮮だった。“ピンクのスーツを着た肥った女性”を美しいと表す感性も。その頃から“純文学”というカテゴライズが僕には意味のないものになった気がする。数年後、ある短篇をフューチャーした『ノルウェイの森』が爆発的にヒットして、誰もがそのクリスマスカラーの二分冊を小脇に挟むようになり、僕の熱は急速に冷めていった。
「その頃から流行嫌いだったのにゃ」
そうなんだよね。
ここ、国際文学館は隈研吾氏によってリノベーションされた。入り口から向かって右のテラスまでをうねりを帯びた木製のルーバーが囲み、建物全体が純白に塗り替えられている。生命が宿る建築。安っぽい表現だが、素朴にそんなイメージを抱いた。なお、卒業生でもあるファーストリテイリング社長の柳井正氏は、今回の改修費用12億円全額をポンと寄附したらしい。ここにも大物OBがいる。頼もしい。
内部に入ると正面に地階に続くアーチで覆われた階段が続く。そして、両サイドを書棚が脇を固める。向かって右に入り口があり、フランス人(と勝手に判断した)の若い女性コンシェルジュが受付してくれた。開館の10時を回り、多くの若者が寛いだり、本を取ったりしている。その殆どがアジア系外国人だった。そう。村上春樹は中国や韓国で抜群の人気を誇っている。
最初はオーディオルーム。音楽と本を愉しむ空間。
「モデルルームみたいだの」
(design)安西水丸《ONLINE PARCO×OIL ART RUG》(2023)
壁には村上春樹と多くの仕事をこなした安西水丸(1942-1014)のイラストが施されたラグ。亡くなって10年になろうとしている。二階の展示室で企画展《安西水丸展》が始まったばかりだった。
(まだ開催中です。お早めに)
(村上春樹自身のイラストが描かれたレコードジャケット)
早稲田の演劇科在学中(と云っても大学には殆どいかなかったそうだが)にジャズ喫茶「ピーターキャット」を始めた。いや、殆ど人任せだったのかも。もう忘れてしまったが、誰かのエッセイに「店の片隅でペーパーバックばかり読んでいる風変わりな喫茶店の主人」という表現があった。
「働かなくっていいって素晴らしい」
いや、ダメなんだけどね。それ。
僕も『世界の終わり』を読んでしばらく、矢野顕子の「オーエスオーエス」、サザンの「KAMAKURA」、そしてマイルス・デイビスの「デコイ」ばかり聴いていた。何でもいい。音楽なしではいられなかった。熱心なジャズファンの知り合いからはシンセサイザーつきの「デコイ」はマイルスじゃないと冷笑されたが。
その一月後、本も音楽も封印して予備校通いを始めた。半年もしないうちに学生の人気取りに執心する講師の授業が詰まらなくなり行かなくなった。だからいまでも集団には馴染めない。この椅子を見ると心地いい“孤独”を約束してくれそうに感じる。
小説『羊をめぐる冒険』の羊男だったか、村上春樹自身によるカット。なるほど絵も旨い。ヒツジとはストレイシープの隠喩なのだろうか。『世界の終わり』も羊男三部作も何かを探して彷徨い、そして、孤独の中に取り残される物語。どんな成功者もストレイシープなのだ。きっと。
「ヒツも“迷える老いたヒツジ”だの」
老いたは余計だよ。
トイレもちょっとオシャレ。
こういう細かい細工、けっこう好き。
すべて村上作品からなるギャラリーラウンジだ。
翻訳された自伝。イタリア語、英語、タイ語、中国語、ドイツ語、そして日本語。音楽や絵画と違って、翻訳されないと世界的な評価を得られない。そういう意味で文学はハンデの多いジャンルだ。ノーベル文学賞の候補になって久しいが、時代が“政治”に傾いている今、村上文学には不利な要素が多い気がする。
二階にいってみよう。
村上文学と関わりの深い水丸さんの世界を追ってみた。
子供の頃から大層絵が旨かったんだね。観察力と想像力も相当なもの。
アメリカのフォークアートの影響も受けている。簡素にして瑞々しいタッチの原点はここにあったか。
昨年(2023年)ご遺族から700点もの作品がここに寄贈された。今回はその初のコレクション展。
あのクリアの色彩は絵の具ではなかったのだね。
やあ。あったなあこの本。高校生の頃、生物の授業で習ったよな。
「どこかに島があるのち?」
いやいや。膵臓のなかにインスリンを分泌する内分泌細胞があるのよ。ランゲルハンスは発見者の名前で、あたかも島のように浮いているからそのように命名された。すべて英語読みかドイツ語読みにすればよかったのだろう。島だけ日本語だからね。やっぱり変だよ。
「脱線しとる」
その原画がこれ。まったく色褪せしてないね。水丸さんは「取材先で描くことはなかった」と書いている。それだけ記憶力がよかった。雑誌のなかでこう述べている。
「昔は外国雑誌も高価で自分では買えなかったので、本屋でじーっと見て絵を暗記して、家へ帰って思い出して再現したりしました。旅をしてエッセイの絵を描く時も、取材したメモを見て思い出しながら絵を描きます。とても楽しいです。」(『イラストレーション』(2011年3月号より))
最後に地階へ。
当館のシンボルといえる《本棚階段》。左側は好きな本を取って座り込んで読めるように段差が深くなっている。
しかし、これまた間の悪いことに現在改修工事中。本の数も少し減らしてある。
今すぐ本屋に駆け込みたくなるセレクション。やはり、本はリアルに限るし、借りずに買って読みたい(増えて場所を取ってしまうのが悩みのタネだけど)。独身の頃、最初の大阪勤務時代に阪急・仁川駅前の喫茶店が読書の場所だった。静かなジャズが流れていた。F・K・ディックとチャンドラーに熱を入れていたのが懐かしい。
「孤独だったのね」
ネットもSNSもない時代だったし、阪神の震災のあとで疲弊していたしね。
保坂和志。堀江敏幸。かつて親しんだ名前が並ぶ。作品の頁を繰るたびに、その感性と筆致に嫉妬した。嫉妬したくなるほどの豊かな才能が溢れる時代に生きたということは、今思えばとても幸せなことだった。
音楽。映画。文学。絵画。歴史。哲学。ここにあるすべての本が有機的に繋がっている。
蜷川幸雄演出の舞台『海辺のカフカ』で使用された舞台装置。撮影はできなかったが、他にも村上ファン必見の展示物がある。興味のある方、是非往訪してほしい。
地階はカフェになっている。ゼミのレポートだろうか、学生がPCで忙しくしている。邪魔してはいけないので静かに外に出ることにした。
夥しい作例を誇る隈研吾氏の作品のなかでは控え目なコンセプトだった。むしろ人生の折節に交差した“村上春樹”を追体験する散歩になった気がする。
さて、陽はまだ高い。帰るつもりはない。
「どうぞ好きなだけ」
(つづく)
ご訪問ありがとうございます。