名建築シリーズ39
鎌倉国宝館
℡)0467‐22‐0753
往訪日:2023年11月18日
所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下2‐1‐1
開館時間:9時~16時30分(月曜定休)
拝観料:一般700円 小中学生300円
アクセス:JR鎌倉駅から徒歩10分
■設計:岡田信一郎
■竣工:1928年
■施工:松井組(現:松井建設)
■国登録有形文化財(2000年)
※内部撮影NGです
《正倉院を模したような外観》
ひつぞうです。鎌倉文華館に続いて、同じ敷地内にある鎌倉国宝館を訪ねました。実はここ、明治の名建築家・岡田信一郎設計の国の登録有形文化財なのです。以下、建築散歩&古美術鑑賞記です。
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早速移動。
社務所の東、白旗神社の参道入り口の大鳥居脇に鎌倉国宝館はあった。
竣工は1928(昭和3)年。関東大震災による社寺や仏教美術の被害をうけて、一般市民の寄附を募り、文化財保護と公開を目的に建設された。建築請負は松井組。創業以来、社寺建築の実績豊かな中堅GCである。竹中工務店など、社寺建築に強いスーパーGCもあるが、さすがは老舗、その実績を見ると今更ながら驚いてしまう。
「どんなの?」
小田原城、築地本願寺、中尊寺金色堂覆堂、名古屋城本丸御殿などなど。修復・復旧にも強いみたいね。
「阿蘇神社楼門もこないだ復旧したね」
あれは清水建設だったな。
SRC造平屋建てで外観は校倉造りを模している。
(参考)
(竣工当時の鎌倉国宝館。今は植樹が成長して全体を把握しづらい)
近代建築における疑似校倉造りは、国立劇場(岩本博行)や、明治神宮宝物殿(大江新太郎)などに例を見ることができるが、岡田との系譜上の繋がりはなさそうだ。鶴岡八幡宮と意匠を統一するため採用されたのだろう。たぶん。
打越垂木や海老虹梁など全ての部材がSRC造。安っぽく見えてしまうのは仕方ない。なにぶん、耐震性最優先で設計されたわけで、資材をケチった結果ではない。しかし、百年経っているとはとても見えない。
「確かに傷んでないね」
鉄筋コンクリートのメリットだね。海岸部に近いので扉に飛来塩分の影響が出ているけど。
旧鎌倉町の町章である「月と星」を模ったステンドグラスは鳩山会館でおなじみの小川三知のデザイン。ここにも岡田と小川のコンビがあった。ちなみに内部は1990年に改修が施されている。
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以下、展示品の備忘録。基本的に(建築散歩が目的だったので)常設展示だけでよかったのだが、常設のみの料金は(受付の料金表に記載されているのに)“ない”という不思議な回答だった。
(参考資料)
(常設展示部分)
入館して判ったが、館内は常設と企画が繋がったワンフロアだった。企画展開催時は常設だけの見学はできないということなのだろう。
「国宝はどこにあるのち?」 一個もないよ
それには文化財に纏わる法律の歴史が関わっているんだ。1950(昭和25)年に文化財保護法が制定された。これには前年発生した法隆寺金堂の火災事故が大きく影響している。
「黒こげの壁を奈良でみた」
それよ。それを受けて、価値ある文化財を公的に守ろうという機運が高まった。しかし、文化財には1929(昭和4)年に制定された国宝保存法というのが既にあって、主に寺社城郭に関する文化財が対象になっていた。戦後の文化財保護法では、絵画・彫刻・工芸品・書なども対象になり。もう一度《国宝》の名前に値する遺産を再整理することになったんだ。
「そのまま国宝にすればいいのに」 ケチ
数がものすごく膨れるんだよ。一説ではGHQから「多すぎる!」と横槍が入ったと言われている。公的予算が注ぎ込まれるしね。ということで、かつて国宝だったものが重要文化財に“格下げ”とい現象がおきてしまう。例えば、高知城に「国寶」という石碑が立っているのはその名残だ。
「じゃここも?」
そう。国宝館と看板が掲げられているが、展示されているものは重文だ。だからと言って価値が下がったわけじゃない。飽くまで法律上の手続きの影響だよ。
「ふむふむ」 じゃ仕方ない
今回の企画はこれだった。
(今回の企画展)
鎌倉周辺には運慶作と言われる古仏が多い。以前鑑賞した東博の特別展《運慶》で観た記憶がある。ならばこの寶金剛寺はどうなのだろう。
「聞いたことがにゃい」
小田原市国府津にある真言宗の密教寺院らしいね。
県指定文化財《不動明王像および二童子立像》(鎌倉時代)
木造の鎌倉仏。火焔台座は江戸時代の作。運慶とは関係がなかった。
《胎蔵界曼荼羅》(鎌倉時代)
神奈川県内最古の曼荼羅図だとか。その他、仏像や大量の古文書類が陳列されていた。古文書は崩し文字を勉強しないと理解不可能なので「ふむふむ」程度で終わらせて、あいかわらずどんな様式でも器用にこなす岡田信一郎の建築を鑑賞して鎌倉駅に向かった。
「サッサと宿に行くだよ」
(つづく)
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