名建築を歩く「神奈川立近代美術館 旧鎌倉館」(神奈川県・鎌倉) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

名建築シリーズ38

神奈川県立近代美術館 旧鎌倉館

(現)鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム

℡)0467‐55‐9030

 

往訪日:2023年11月18日

所在地:神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-53

開館時間:10:00~16:30(月曜休館)

拝観料:一般600円 小中学生300円

アクセス:JR鎌倉駅から徒歩約10分

■設計:坂倉準三

■開館:1951年

■施工:馬淵建設㈱

■DOCOMOMO JAPAN選定(1999年)

■国指定重要文化財(2020年)

 

《庭園とモダニズム建築の調和が見事》

 

ひつぞうです。昨年11月に建築家・坂倉準三の代表作、神奈川県立近代美術館旧鎌倉館を見学しました。ここは日本初の公立美術館で、坂倉の師ル・コルビュジエも賞讃した名建築でした。しかし、2016年1月末をもって地権者の鶴岡八幡宮に用地とともに無償譲渡され、その後、大規模な改修を経て、現在は鎌倉文華館鶴岡ミュージアムとして利用されています。以下、鑑賞記です。

 

★ ★ ★

 

この週末、僕らは鎌倉のとある宿を訪ねることにした。折角の機会だ。早めに出発して、坂倉の代表作ともいえる旧鎌倉館を見学することにした。

 

 

暖冬とはいえ、この日は風の強い一日で、寒気の影響も受けるという予報。しかも到着した時刻は8時間半過ぎ。鶴岡八幡宮に向かう観光客は数えるほどしかない。

 

「どーしてこんなに早くでるかの」サル ったく

 

 

七五三の参拝の客が大半だ。

 

(境内図)

※ネットよりお借りしました。

 

目的の建物は㉒番。国宝館は㉑番。時間は有り余るほどある。本宮で二人の健康を祈願して再び戻ってきた。ちなみに手前の池は、西(左)側を平家池、東側を源氏池と呼ぶ。鎌倉館はその平家池越しが美しい。しかし、手前の茶寮風の杜(㉔)の門扉を越えないと入れない。開店を待つしかないのだろうか。

 

 

とりあえず正門から偵察することにした。

 

 

神奈川県立近代美術館は戦後復興期の神奈川県知事・内山岩太郎の肝煎りで誕生した。このブログでは(シルク資料館神奈川県立音楽堂に続き)三度目の登場になる。内山は文化行政に理解ある名知事で、鶴岡八幡宮に期限付きの土地借用を願い入れ、坂倉準三設計による国内初の近代美術館を建設することになる。

 

「そんなすごい知事なんだ」サル

 

前も同じこと言ってなかった?

 

 

スクエアで無駄のない構造美が眼を惹く。

 

「たしかにキレイ」サル

 

壁面パネルは全て取り変えたんだけどね。

 

以前は手前に新館があったが、改修時に撤去されて庭園になっている。残念だが仕方がない。そもそも老朽化が激しく、譲渡後もこうして本館が維持されただけでありがたいと思わなければならない。御存じのように、坂倉の故郷でもある旧羽島市市役所は、存続を求める市民の声も虚しく、解体が正式に決定した。

 

 

正面から見たところ。なにやら彫刻が。彫刻とあらばこれも見過ごす訳にはいかない。

 

「またかい!」サル

 

富永直樹《輝く未来》(1995)

 

富永直樹(1913‐2006)の作品だった。

 

長崎出身の富永は、当時の具象彫刻家の例に漏れず、東京美術学校北村西望に師事している。虚飾や思弁を排した明るく健康的なスタイルは、坂倉が追求した(伝統破壊的な)モダニズムにそぐわず、どこか落ち着かない。それもそのはず。この作品は2019年の再オープンにあたって、遺族が鶴岡八幡宮に寄贈したものだからだ。(※タイトルも宮司の吉田氏がつけたものらしい。)

 

 

ま、そんなことは大した問題ではない。とにかく、開館前までに建築そのものを写真に納めなくては。しかし、あの鶴の脚のような細いH鋼でよくまあ支えているものだ。ひょっとして構造部材ではないのか。

 

茶寮があかないとこの浮島から撮るのが限度。しかし、間もなく10時というのに、スタッフは玄関掃除に余念がなく、開門してくれそうにない。

 

 

なんのことはなかった。裏から逆回りに池を周遊する散歩道があった。

 

 

これだ。よく図録で見かけるアングルは。池に迫り出した白い壁面が水面に映り美しい。設計はコンペ方式。前川國男、吉村順三、谷口吉郎、山下寿郎ら、錚々たるメンバーが案を練ったといわれる。坂倉の案は無間発展の美術館という師ル・コルビュジエの思想を踏まえており、事実、新館や学芸員棟も増設された。

 

かつての姿を模型で観てみよう。

 

 

こんな感じでロの字型の本館の隣には、Iの字型の新館が並んでいた。

 

 

現在カフェになっている場所には学芸員棟が並び、全体で三棟存在していたらしい。

 

と、ここで空に異変が。ずっと青空が覗いていた鎌倉の空に低層の雲が絨毯のように流れてくるではないか。

 

 

まじかよ。せっかく早出してきたのに。館内のテラスを撮るまで待ってくれ!

 

「相変わらず間が悪いこと」サル プッ

 

 

建物の後背部の大階段がかつての入り口だ。

 

 

そろそろ時間なので反対側の現在の入り口に向かう。基層部は濃くミソが入った高級な大谷石が惜しげもなく利用されている。2016年に返還されたが、県立近代美術館は鎌倉別館、そして葉山館が設立済みで、場所がら美術館としての機能は果たしづらい。そこで、2017年より1年7ヶ月の耐震改修工事をへて、鶴岡八幡宮の文物や鎌倉幕府の歴史を紹介する鎌倉文華館鶴岡ミュージアムとして再オープンした。

 

 

二階に至る入り口には緑、空色、黄色からなるモンドリアン風のカラーリング。前川國男にも見られるさり気ない装飾はル・コルビュジエの影響だろう。

 

 

中に入ると判るが、大谷石の壁面ブロックに飛び格子風に穴が開いている。

 

 

凸レンズ風のガラスブロックが嵌められていた。採光のための凝ったアイデアだ。天井も強化ガラスを嵌めるなど、自然光を取り入れる工夫があったが、漏水があったため、改修後は鋼板で覆われている。
 

 

中庭を大谷石の石積み壁が囲む。

 

「ミュージアムはどーなったのち?」サル

 

後で観るから。

 

 

モダニズム建築の粋は人工資材の素材感と採光にあると思う。

 

 

改修の際に玉砂利洗い出し仕上げで当初の姿を復元した。

 

「なにそれ?」サル

 

玉砂利を敷いたあとにモルタルを打設して、乾燥後に表面をブラストで玉石を磨きだす工法だよ。昭和の初めに流行った床面の装飾だね。

 

 

この先がピロティだ。当館の設計で一番大事な部分かもしれない。

 

 

10時の開館に合わせるように、意地悪な雲が太陽を完全に隠してしまった…。

 

 

天井の張り出し部に池の揺らめく姿が映りだすはずだったんだ。

 

「天気ばかりは仕方ないね」サル

 

晴れの予報だったのに(泣)。

 

 

SRC造二階建て。その面積1,575㎡。展示会場は二階部分のみ。これでは現代美術の展示会場としてやや手狭も知れないね。折角なので企画展についても多少メモを残しておこう(宝物館よりも展示内容は濃密)。

 

★ ★ ★

 

 

鶴岡八幡宮に伝わる(国宝を含む)刀剣、菩薩面などが公開されていた。

 

国宝《沃懸地杏葉螺鈿平胡籙》(鎌倉時代)

 

「ぜんぜん読めん」サル 正直言って

 

「いかけじ ぎょうよう らでん ひらやなぐい」と読むそうだ。沃懸地は漆に金銀分を撒いて、更に漆を塗ったものを磨きだす蒔絵の一技法。杏葉はイチョウの葉だね。そうした装飾と螺鈿を施した平たい胡籙(矢を差し込んで肩にかける武具)という意味だって。

 

「イメージでけん」サル

 

これでどうよ。

 

(月岡芳年《新形三十六怪撰》から藤原秀郷竜宮城蜈蚣(むかで)射る乃図より)

 

国宝《朱塗弓》(鎌倉時代)

 

入れ物が国宝なら弓矢も。写真では伝わらないけれど2㍍あるんだよね。材質は昔から弓の材料として重宝された高張力の檀(まゆみ)。元は二つあったけど火災で燃えてしまったとか。鶴岡八幡宮の宝物だ。

 

国宝《黒漆矢》(鎌倉時代)

 

なんなら矢も。破魔弓の起源で、鏑矢、尖矢、丸根の三種類からなる。

 

国宝《太刀 銘 正恒》(鎌倉時代)

 

刀剣は苦手なジャンル。別名《衛府の太刀》。

 

重文《太刀 銘 長光》(鎌倉時代)

 

刀剣は割とたくさん展示されていた。

 

重文《菩薩面》(鎌倉時代)

 

来迎会や舞楽《菩薩》で使われたと言われている。吊り上がったまなじり、意志を感じる口許は、武家が好んだ鎌倉仏に通じる。材質は檜で一部に黒漆と金泥の剥片が残る。

 

重文《舞楽面・陵王》(鎌倉時代)

 

鶴岡八幡宮では法会の際に、早くから流鏑馬相撲、そして舞楽が催された。

 

重文《舞楽面・貴徳鯉口》(鎌倉時代)

 

確かに鯉の口だ。

 

「パンパンって池で手を打つとね」サル もっとすごいけど

 

 

天気はやや不本意ながら、坂倉準三の“本丸”に触れることができて大満足だった。このあともう一箇所寄り道することにした。

 

「物好きやのー」サル

 

(つづく)

 

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