企画展「未来へつなぐ陶芸 伝統工芸のチカラ」(兵庫陶芸美術館)③ | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

《何でも判らないより判るほうが愉しい》

 

いよいよ大晦日。大掃除したり家計簿つけたりと大忙しなおサルの眼を盗んで、兵庫陶芸美術館の鑑賞記③です。(時間切れで写真のみUP。備忘録は年明けですね)

 

★ ★ ★

 

茶の湯のうつわ

 

ここでは伝統の縦軸を離れて“茶の湯”における器について鑑賞する。

 

左)樂直入《焼貫黒樂茶碗 銘 遠遊》(2012)東京国立近代美術館

右)樂直入《焼貫茶入》(2018)

 

茶の湯の創始者、千利休の好みに合わせて、樂家初代長次郎が編み出した手捏ね(てづくね)と幾層にも掛けられた黒釉の厚みが特徴の黒樂。そんな伝統から自由を求めたのがこの作品だ。よく見れば白と濃紺の釉焼が絡んでいる。無心に削られた器体のエッジがこ気味良い。十五代・樂吉左衛門こと樂直入(らく・じきにゅう)氏(1949-)の会心の作品。

 

鈴木藏《志野茶碗》(2019)

 

こちらは今年99歳になった人間国宝・鈴木藏氏(すずき・おさむ)(1934-)の志野。名人の域になれば、痘痕も景色のひとつになるからすごい。釉の研究においては師匠の荒川豊蔵を超えたのかもしれない。鉄分が齎す緋色も見事。冬の火祭りを観ているようだ。

 

徳澤守俊《焼締朝鮮唐津水差》(2012)

 

古典的な唐津焼の様式を離れ、立体的かつ直線的な器体に、抽象画のように多色の釉が躍る。

 

波多野善蔵《萩茶盌》(2015)

 

竹節高台、枇杷釉、梅花皮など、井戸茶碗の特徴を備えながら、古色に染まらず、艶やか且つ透明感のあるモダンな萩の茶碗。

 

 

第3章 伝統工芸(陶芸)の技と美

 

ここでは伝統技法を駆使しつつ。核心を目指す現役作家57名の作品が並びます。(さすがに57人分纏まらないので智美術館主催「陶芸の進行形」と重複する作家は断腸の思いで省略しました。)

 

福野道隆《銀彩陶匣》(2012)茨城県陶芸美術館

 

絣柄を活かした象嵌の陶箱。特に中央の図形が収斂する部分の細かさはウルトラ級。

 

十五代 坂倉新兵衛《萩灰被四方平皿》(2013)

 

朝顔と葉の部分は彩色された陶土が重ねられているものと思うがどうだろう。

 

伊勢崎創《備前花器》(2020)

 

備前焼の伝統を守る伊勢崎家。その伊勢崎満翁の四兄弟のひとりが伊勢崎創氏(1968-)だ。因みに卓、紳、創、競とお名前にも父君の想いが詰まっている。なんとなくタタラかなと思ってみていたが、轆轤なんだとか。

 

伊勢崎紳《備前緋襷ボタモチ十二角台鉢》(2015)

 

こちらは次男の紳氏(1965-)の作品。ボタモチも緋襷も計算された意匠性でモダン。美しい造里を載せてみたい誘惑にかられる。

 

前田正博《色絵銀彩角鉢》(2009)

 

叩きかなと思ったら、轆轤成形後に面を削りだしたそうだ。布目かなと思ったら、極細のマスキングを十字状に幾重にも施して銀彩したそうだ。気が遠くなるね。

 

「ことごとくハズレとるやん」サル

 

まだ素人だし。仕方ないんじゃない。

 

伊藤栄傑《無名異鉢》(2015)

 

三次元変化が面白い釉象嵌の野心作だ。第二章でさ、無名異の赤い練り上げの鉢があったでしょ。

 

「忘れたよ」サル  ヒツみたいに興味ないし

 

これよ。

 

(再掲)

 

この作者・伊藤赤水の長男がこの伊藤栄傑(いとう・ひでたけ)氏(1977-)なんだ。どうでもいいけど陶芸家ってまず読めない名前の人が多くない?

 

ここからは大型作品が続くよ。

 

 

「壮観だにゃ」サル

 

石原祥嗣《色絵陶壺》(2017)

 

解説にも書かれていたけど、九州の人間ならば彩色古墳がモチーフになっていると気づくはずだ。すごく好きになった作品。

 

(参考)

チブサン古墳(熊本県山鹿市)

 

「そうかにゃ?」サル

 

この枯れた感じとか色調とか。

 

事実、作者の石原祥嗣(いしはら・しょうじ)氏(1943-)は福岡県直方市の出身で、金銀彩、彩陶、燻黒など、モダンからプリミティブまで幅広いセンスの作品を生み出している。

 

清水一二《酔泥金紅線文彩八角器》(2009)茨城陶芸美術館

 

これもすごく好きになった作品。

 

「もっと他に云い方ないの」サル

 

造形と彩色両方に凝りまくっているんだ。赤と白の釉薬を吹きつけて斑状の朧な風情を醸しつつ、花型に開く口縁への展開は見事としか言いようがない。

 

酒井博司《藍色志野花器》(2020)

 

これもいいねー。まず形がいいよ。鼠志野を思わせる色調も。全体に細かく入った梅花皮も。

 

森田由利子《線描幾何文深鉢》(2019)

 

現代彫刻っぽいね。

 

隠崎隆一《備前広口花器》(2012)東京国立近代美術館

 

こちらはアフリカのプリミティズムを感じる。緋襷が好アクセント。

 

石橋裕史《彩刻磁鉢 瀝瀝》(2011)兵庫陶芸美術館

 

彩刻磁石橋裕史氏(1957-)が考案した独自技法。焼成後に釉薬の表面をサンドブラストで削り出して文様を浮かび上がらせるのよ。

 

「サンドなんとかって?」サル 知らんコトバばっかり

 

微細な砂を吹きかけて研磨する方法だよ。不要になった塗料を剥がすのもブラストが有効だ。

 

中村清吾《白磁鉢》(2021)

 

これは智美術館でも観たけど再掲。切り込みの辺りとか微妙に違うんだ。

 

吉田幸央《金襴手彩色皿》(2010)

 

金襴手とは白磁に金箔を焼きつける技法だ。よく観察すると色調の異なる金箔が幾重にも重なっているのが判る。

 

望月集《花文大鉢「椿」》(2021)

 

器の内側にも外側にも大胆な椿の絵柄が施されている。

 

 

陶土と釉、そして上絵の具で構成されているね。部分で厚みを変えているから立体感があるんだ。

 

米田 和《黒描鳥花文鉢》(2014)

 

白化粧と黒絵の具だけで構成された絵画性が素晴らしい。

 

太田公典《岩絡文面取鉢》(2010)

 

濃染とイッチンで草花を写実的に表現。

 

井口雅代《釉描彩笹文蓋物 雪融け》(2021)

 

 

 

十五代 酒井田柿右衛門《濁手竹文八角皿》(2018)

 

 

十四代今泉今右衛門《色絵雪花薄墨墨はじき萩文鉢》(2019)

 

今右衛門といえば墨はじき。

 

神農巌《青磁堆磁線文鉢》(2011)

 

木村芳郎《碧釉漣文器》(2020)

 

木村芳郎氏(1946‐)は愛媛県出身で広島に太祖窯を開かれた陶芸家。清澄かつ絶妙なグラデーションは一瞬、三代徳田八十吉を思わせるが、(青ではなく)碧一色に拘るところは木村作品でしかありえない。将に漣のような刻文を観ていると、神秘的な沼の底を見つめている錯覚に陥る。

 

久保田厚子《青白磁芥子文大皿》(1996)東京国立近代美術館

 

 

 

井戸川豊《銀泥彩磁鉢》(2015)

 

 

《》()東京国立近代美術館

 

小山耕一《彩色正燕子六稜鉢》(2015)茨城陶芸美術館

 

 

岡田優《白釉稜線鉢》(2013)

 

肉厚な感じ。不思議な形。

 

 

角度を変えると全然違う作品に。

 

鯉江廣《あけもの彩鉢》(2020)

 

鯉江廣氏(1955-)は常滑の急須造りが本業らしいが、こんな意欲的な作品も制作している。燻しによる黒褐色の胎土に紅色を吹きつけているそうだ。僕はてっきり濃い紫色を白い胎土に吹き付けているとばかり思っていた。

 

「逆じゃんね」サル

 

 

側面から見ると内側の薄い輪っかに、外の螺旋状の輪が繋がっているように見える。

 

星野友幸《練継鉢》(2017)茨城県陶芸美術館

 

 

室伏英治《Nerikomi Porcelain Sparkle》(2012)東京国立近代美術館

 

 

新里明士《光器》(2021)

 

これも智美術館で鑑賞した新里明士氏の蛍手の別バージョン。

 

見附正康《無題》(2021)

 

これだけの意匠性を盛り込みつつ《無題》のタイトルはやや韜晦じみている。

 

 

 

 

澤田勇人《赫彩器》(2012)茨城県陶芸美術館

 

 

帆立剛《彩陶象嵌鉢「夜の海」》(2020)

 

加藤一郎《布目彩色惺繋紋丸陶筥》(2020)

 

 

渡邉国夫《色絵銀彩青晶文鉢》(2020)

 

 

古川拓郎《釉裏白金彩鉢》(2021)

 

ようやく一番の目的に辿り着いたよ。そしてその想像を超える巨大さ(高さ20×幅50.7㌢)にまず驚いた。古川拓郎氏(1979‐)は釉裏銀彩を確立した古川利男氏のご長男なんだね。拓郎氏は更に進化させて釉裏白金彩を完成させた。

 

「つまりプラチナ!」サル ほしい!

 

これだけ大きいのにとにかく薄い!

 

 

まずは黒い釉薬を全体に施してプラチナ箔を貼る。そこにニードルか何かで執拗に引っ掻く。

 

「それだけでヘトヘトになりそうだにゃ」サル

 

そうね。絶対失敗できないしね。で、最後に施釉にして低過度で焼成するんだな。

 

「高温だとプラチナがダメになるしの」サル

 

そういうこと。これは観た甲斐があった。しばらく動けんかったもんな。

 

《》()

 

渋谷英一《黒彩器‐相‐》(2019)

 

 

加藤清和《藍三彩「1707」》(2017)

 

 

鈴木徹《緑釉花器》(2019)

 

 

梅本孝征《色絵流加彩割器》(2020)

 

 

神崎秀策《緋彩長方皿「彗Ⅱ」》(2020)

 

 

 

 

浜岡満明《光輪文黒器》(2012)茨城県陶芸美術館

 

 

 

 

松川和弘《青白磁菱角鉢「緋」》(2008)

 

 

 

 

小枝真人《染付金魚鉢》(2018)

 

 

宮尾昌宏《備前堆線文鉢》(2006)

 

 

宇佐美成治《彩泥光闇紋大鉢》(2019)茨城県陶芸美術館

 

 

黒岩達大《緑釉広口花器》(2020)

 

これも良い形をしていたなあ。

 

 

緑青色の釉薬の腐食したような表面の印象も。

 

 

小形こづ恵《染付瓶「朝顔」》(2021)

 

一度観たものは省略といいつつ、好きになった作家の別バージョンは記録に留めたい。

 

高橋奈己《実》(2017)茨城県陶芸美術館

 

 

蕾と花は観たね。しかし、これだと花器としての機能はないね。

 

清水潮《黒白彩流文花器》(2020)

 

二種類の胎土を練り伸ばして形成する。ただ、普通に轆轤を廻すと、単調な筋になるので、時折叩き延ばしたりするそうだ。模様も素敵だけど、この暗褐色の発色が素敵。

 

志賀暁吉《青瓷壺》(2007)茨城県陶芸美術館

 

 

川瀬忍《青磁鉢 輪葉》(2015)東京国立近代美術館

 

 

 

若尾誠《粉青瓷茶垸》(2016)

 

 

十三代 三輪休雪《エル キャピタン》(2021)

 

登山家はすぐに反応するだろう。

 

増原嘉央理《鉢「紅白鮮斜陽‐1907‐」》(2019)

 

1907というタイトルが気になった。年号かと思ったが明治40年は国内外含めて特別な事件は起こっていない。「斜陽」の文字から太宰治と関係あるかとも思ったが、そもそも生まれていない。「陶芸の進行形」展でもそうだったが、若手ながら緻密で計算された作品ばかり。これからも追いかけてみたい。

 

「完成したのが19時07分だったとか?」サル

 

 

以上、メチャクチャ膨大な陶芸コレクションとガッツリ四つに組んだ六時間だった。(空欄コメントは後日時間があれば埋めます。ムリか…)

 

最後に別室展示の古丹波のコレクションをザっと流して終了。

 


室町時代中期の丹波の壺の、素朴ながらも美しい灰緑の自然釉と、粗く刷毛目の入った器体に感心しながら、後ろ髪を引かれつつ美術館を出ることにした。

 

 

というよりも16時21分発の相野駅行きのバスを逃したら、タクシーすら掴まるか判らなかったからである。もう少し時間があれば、古丹波の蒐集品をつぶさに観ることができたのだが…。

 

「十分だよ!」サル

 

やはり平日は客も少なくて静かだった。充実した一日だった。

 

これにて2023年の僕らのブログも終わりです。総括する間もなく、山の話は何処かに行ってしまいましたが、また、暖かくなって心の余裕が出てくれば、関西の山や、東日本の残った課題を潰していこうと思います。よいお年をお迎えください。

 

「しばらく旅にでる」サル じゃーにー♪

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。