企画展「未来へつなぐ陶芸 伝統工芸のチカラ」(兵庫陶芸美術館)① | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

日本工芸会陶芸部会50周年記念展

未来へつなぐ陶芸 伝統工芸のチカラ

 

往訪日:2023年11月16日

会場:兵庫陶芸美術館

場所:兵庫県丹波篠山市今田町上立杭4

会期:2023年9月9日~11月26日

開館時間:10時~18時(月曜休館)

観覧料:一般1200円 大学生900円

アクセス:JR福知山線・相野駅から路線バスで15分

■設計:黒田建築設計事務所

■開業:2005年

※撮影OKでした

※終了しました

 

 

ひつぞうです。今年の陶芸鑑賞の集大成として兵庫陶芸美術館で開催された企画展を鑑賞しました。過去の大家から現代陶芸まで俯瞰する稀に見る特別企画。まさに入門者の僕には打ってつけ。以下、往訪記です(あまりに展示数が多く、そのほぼ全てが博物館級の名品なので三回に分けて完全保存版としてメモします)

 

★ ★ ★

 

今回の特別展も某美術館のチラシで知った。その表を飾る古川拓郎釉裏白金彩鉢。幼い頃から青は一番好きな色だった。しかもこの発色。陶芸では眼にしたことがない。画像でこれほどの衝撃があるのだ。百聞は一見に如かず。行くことにした。

 

(上立杭の集落は丹波焼の窯元が集まる焼き物の里)

 

行くのはいいが、会場は丹波篠山市の山奥。今の僕には公共交通機関しかない。JR福知山線相野駅(聞いたことがない)から路線バスで15分。歩けなくはないが、交通量もそこそこある路肩のない危険な道。混雑を嫌って平日に訪ねたのでバスの便は極限まで少なく、午前中は美術館の開場に合わせた一便だけだった。

 

「だって車社会なんでしょ」サル 丹波の山奥だし

 

早めに取材を進めたい僕は、無人の駅前に一台だけ停車していたタクシーに飛び乗った。暇そうに新聞を広げていた運ちゃんは、ガバッと身を起こすとアクセルを踏み込んだ。例年であれば紅葉の最盛期のはずだが、今年は猛暑続き。今ひとつパッとしない。しかし、そこは関西の運ちゃん。「バッチリ七割は紅葉してますわ」と景気よく盛りあげてくれる。

 

 

着いた。バスならば240円で済むところ2600円。

 

「遠かったにゃ」サル

 

だが全く痛いとは思わない。午前10時以降は高曇りの予報。この青空は今しかないのだ。

 

 

陶芸美術館は里山の麓に隠れていた。

 

 

入り口にはパイプ状のパブリックアート。

 

清水九兵衛《共存》(2005)スチール

 

京焼の伝統保持者でありながら現代彫刻で際立った成果を残した七代目、清水九兵衞(1922-2006)最晩年の作品だ。

 

 

一番乗りで到着。それはそうだろう。まだ開館まで1時間はある。当然車は一台も止まっていない。受付の横にエレベーターがある。ここから入場するらしい。建物の前に超人バロム1の戦闘員のような彫刻があるので観てみた。

 

金子潤《無題》(2005‐2007)セラミック

 

「なんか眼が回るう」サル

 

金子潤(1942‐)は名古屋在住の陶芸家。アメリカのピーター・ヴォーコスに師事した。ヴォーコスといえば現代国際陶芸展(1964)で走泥社を始めとする日本の名だたる陶芸家を打ちのめした現代陶芸の巨人だ。作品を眼にして「なるほど」と思った。

 

 

エレベーターで展示棟に繋がる通路へ。展示棟までは10時前でも行けたようだ。突きあたりに巨大な甕が。

 

下立杭・吉左衛門作《灰釉筒描大甕》(19世紀江戸時代後期)日本工芸館寄贈

 

江戸時代の丹波焼の大甕だった。正面に「下立杭かまや村 吉左衛門作」と銘が彫られている。ちなみに丹波焼は、瀬戸、常滑、信楽、越前、備前と並ぶ日本六古窯のひとつだ。なので朝鮮式とは違って、日用使いの素朴な甕や壺が基本。

 

 

こちらが展示棟。エレベーターで最上偕にあがり、一階までくだる仕組み。展示室は全部で五室。

 

(館内見取り図)

 

50周年特別企画とあって、作品数が尋常ではない。少し駆け足で鑑賞すべきなのだが、一点一点が超有名作家ばかり。終日鑑賞ほぼ決定。展示構成は以下のとおり。

 

第1章 伝統工芸(陶芸)の確立

第2章 伝統工芸(陶芸)の技と美

第3章 未来へつなぐ伝統工芸

 

一般的には撮影不可な作家も含めて99%撮影可能。結果的に膨大な資料になってしまった。そのため今年何らかの形で備忘録に留めた作家は基本的に除外している。

 

 

第1章 伝統工芸(陶芸)の確立

 

 

第一章では、伝統工芸を「モノ」ではなく「技」で評価するきっかけを作った人間国宝を切り口に、初回認定の4名人、それに続く19名の陶芸家が紹介される。

 

伝統工芸とは何か。“日本古来の作陶や渡来人が齎した朝鮮式窯業を引き継いだ陶芸技術”という回答は広い意味では正しい。だが、狭義では1950年に制定された文化財保護法を契機に発足した“日本工芸会に所属する工芸家の技と作品”を示すらしい。対して、日展の工芸部門(1927年制定)で活躍した先行作家のそれは創作工芸と言われる。代表的牽引者は板谷波山(1872-1963)。楠部彌弌(1897-1984)。六代・清水六兵衞(1901-1980)である。

 

板谷波山《葆光彩磁和合文様花瓶》(1914‐19)MOA美術館

 

波山の代名詞ともいえる葆光彩磁(ほこうさいじ)の花瓶。醤油業を営む家に生まれた波山は東京美術学校彫刻科に進学。美術教師として指導する中で陶芸に興味を持った。「自分は職人ではなく一個の芸術家だ」という強い自負が、いわゆる「古窯」にはない独自技法を生み出したといえる。

 

「まだ陶芸家は職人さんだったんだ」サル

 

芸術品よりも一等格下という扱いだしね。

 

 

彩色したのち、艶消し釉薬をかけて焼成した独特のマット感に注目しよう。青海波の胴部の三辺に、比翼の鳥合歓の蓮連理の竹といった夫婦和合の象徴を描いた見事な作品だ。代表作《珍果文花瓶》(1917)は重要文化財指定。今年の特別展「重要文化財の秘密にも出展された。

 

楠部彌弌《彩埏花瓶 山帰来》(1975)東京国立近代美術館

 

京都の陶器工場経営者の家に生まれた楠部彌弌(くすべ・やいち)は京都市立陶磁器試験場付属伝習所で陶業を学ぶ。波山とは対照的にアカデミックな教育とは無縁だが、オリジナルへの拘りにおいて譲らないものがあった。彩埏(さいえん)は磁土に顔料を混ぜて薄く溶いたものを塗り重ねていく彌弌のオリジナル技法。

 

六代・清水六兵衞《嵯峨野花瓶》(1952)東京国立近代美術館

 

対する清水六兵衞(きよみず・ろくべえ)は江戸中期から続く京焼の大名跡の六代目。京都市立絵画専門学校(現:京都市立芸大)で学んだだけに、絵画的意匠性に関して群を抜く。第8回日展に出展された本作は、丸い底部から四角に広がり、花弁の形を思わせる。伝統工芸創作工芸の橋渡し的な作品だ。

 

 

胎土の上に直接描かれた鉄絵のススキと、白化粧金彩で表現された草花は、艶やかな琳派の屏風絵を思わせる。

 

★ ★ ★

 

1954年の文化財保護法の改正によって初めて人間国宝が認定される。陶芸部門からは富本憲吉(1886‐1963)、石黒宗麿(1893‐1968)、荒川豊蔵(1894-1985)、濱田庄司(1886‐1963)の四人が選ばれた。

 

その代表選手といえば富本憲吉だろう。

 

富本憲吉《色絵金銀彩四弁花染付風景文字模様壺》(1957)東京国立近代美術館

 

なんて長いタイトルなんだ…。特徴は富本の京都時代の代名詞、赤地金銀彩。更に胴部に代表的な図案「竹林月夜」などが絵付けされた豪華な壺だ。

 

続くは石黒宗麿

 

 

石黒宗麿は富山の医家の出身だったが、偶々26歳の時に観た窯変天目、通称、稲葉天目静嘉堂文庫美術館蔵)に衝撃を受け(判る。誰でも絶対衝撃を受ける)、陶芸家を目指した(判らない。医者の道を擲って焼き物に走るのは…)。鉄釉陶器の技術で人間国宝に認定されたが、三彩や宋代、日本各地の窯(唐津、志野、三島)の技術を学び、作風はバラエティに富んだ。

 

石黒宗麿《彩瓷柿文壺》(1959)東京国立近代美術館

 

この柿が描かれた壺は、石黒が生み出した彩瓷(さいか)という、低火度の釉薬で文様を描くもの。白化粧の上に計算を感じさせない筆致で柿の実と枝をバランスよく描いている。口縁は広く、肩の張りも豊か。丹波の古陶を思わせる。

 

次は荒川豊蔵

 

 

荒川豊蔵といえば志野瀬戸黒。古くから続く美濃焼の家系の出だが、大家となるには多くの偶然があった。小学校卒業後、幼くして丁稚に出た荒川は、偶々商売の延長で焼き物の真似事を始める。大きな転機は魯山人との出逢いだ。あの気難しく、拘りの深い通人に気に入られたのだから、やはり荒川も大物だったのだろう。

 

荒川豊蔵《志野茶垸》(1957)東京国立近代美術館

 

桃山時代の古志野の破片を窯跡から掘り出し、自身の作品のイメージを模索した。長石を原料とする志野釉が齎す豊かな梅花皮とオレンジの釉色が美しい。鉄分が滲んで繊細な文様の態をなすあたりも鑑賞に応える景色。至近で観ると、その艶やかさが何とも言えない。

 

荒川豊蔵《瀬戸黒茶垸》(1959)愛知県陶磁美術館

 

興味のない人でも“せとぐろ”の名前は耳にしたことがあるだろう。荒川の瀬戸黒は、志野と対をなすように男性的。桃山時代の瀬戸黒が切立型であるのに対して、どこか丸みを感じさせる。底部の釉薬の剥がれは施釉の際の指痕だろうか。

 

最後は一番若い濱田庄司

 

濱田庄司《柿釉赤絵角皿》(1970)東京国立近代美術館

 

濱田に関しては既に益子参考館でメモしているので簡単に。特徴は流掛け赤絵柿釉を惜しげもなく用いて、勢いある筆致で草花が中央に描かれる。濱田も全国の有名窯を広く見聞して自らの作品に昇華させた。だが、一番の成果は民藝の価値を仲間とともに再発見したことだろう。

 

★ ★ ★

 

ここからはそれら先人の財産を継承した次の世代の作品が並ぶ。

 

松井康成《練上嘯裂文大壺》(1979)茨城県陶芸美術館

 

これ観たかったんだ。

 

「すごく細かい模様が描かれてるにゃ」サル

 

絵柄ではないんだよ。

 

「どーゆーこと?」サル

 

練上(板状の陶土を轆轤のうえで筒状に形成していく技法)と嘯裂(しょうれつ)という松井康成(1927-2003)オリジナルの技法で制作されているんだよ。嘯裂とは“嘯く”ように中から押し出して陶土の表面を“裂く”技法なんだ。拡大すると判るかも。

 

 

ほら、膨張して大小の亀裂が表面に広がっているのが判らない?予め櫛歯で細かな傷をつける。すると、膨らむに従って、美しい亀裂文ができるというわけ。

 

「よく考えるねー」サル

 

因みに練上手の技術で人間国宝に認定されている。

 

島岡達三《塩釉象嵌縄文大皿》(1988)東京国立近代美術館

 

コバルトが美しく発色した島岡達三(1919-2007)の見事な大皿だ。益子で濱田庄司に師事した島岡は縄目象嵌で人間国宝に認定される。

 

 

塩釉は焼成する窯に塩を投げ入れて、無地の陶器の偶然の釉化を目論む技法。胎土にコバルトを混ぜて、縄目に白土を象嵌するといった手の込みよう。発色も見事だが、投げ込まれた塩由来の釉が彗星の尾のようだ。

 

「偶然の作用が面白いにゃ」サル

 

そうなんだよ。

 

加藤土師萌《吹墨色絵水禽文大皿》(1963)愛知県陶磁美術館

 

加藤土師萌(かとう・はじめ)(1900-1968)の大皿。色絵磁器で人間国宝に認定された。吹墨(ふきずみ)は呉須を霧吹き状に吹きつける技法。絵画のフロッタージュに似ているね。因みに水鳥や水面の波紋はマスキングされたもの。

 

近藤悠三《染付岩文壺》(1960)東京国立近代美術館

 

近藤悠三(1902-1985)は京都の染付で人間国宝に認定。力強い筆致で山水を描いている。顔料となる呉須は七分目の生成。その結果、水墨画のような濃淡が可能になる。輪郭は付け立てという筆にどっぷり呉須を浸して一気に描く技法。迷いがあるとダレたり、計算が表に出て面白くない絵になる。

 

「地味なのはもういーかにゃ」サル 豪華なヤツが好き

 

じゃ派手なのを。これはどうよ。

 

藤本能道《梅白釉釉色絵金銀彩鷺図扁壺》(1991)東京国立近代美術館

 

「めちゃ描き込んでゆ」サル

 

藤本能道(1919-1992)も色絵磁器で人間国宝に認定。釉描加彩という独自技法の作だよ。

 

加藤卓男《三彩鉢 蒼容》(1984)東京国立近代美術館

 

「おう!アクリル絵の具みたいだにゃ」サル

 

黄、緑、藍の三彩だね。

 

加藤卓男(1917-2005)は岐阜県の陶芸家で三彩で人間国宝に。正倉院奈良三彩の復元作業から加藤の三彩研究は始まった。轆轤成形後に“叩き”で十二角形に面取りされている。見込みに流れ込む三彩釉が美しい。

 

江崎一生《灰釉鳥文大皿》(1969)東京国立近代美術館

 

これまた更に大きい径62㌢の大作。中央の灰釉が羽搏く鳥を表している。

 

三輪休和《萩四方水差》(1972)東京国立近代美術館

 

水差は茶道具のひとつ。そこに萩焼特有の白釉薬を大胆に絡める。休雪白(きゅうせつじろ)と呼ばれる三輪家伝統の藁灰釉だ。

 

「しんしんと降る雪を被った土塀みたい」サル スゲー

 

山本陶秀《大海茶入》(1984)東京国立近代美術館

 

「ちっちゃ!」サル

 

大海も濃茶を入れる茶道具。そのため径9.1㌢とナリも小さい。山本陶秀(1906-1994)は轆轤の名人と呼ばれた備前焼の人間国宝。

 

金重陶陽《備前耳付水差》(1958)東京国立近代美術館

 

やはり備前の人間国宝、金重陶陽(1896-1967)の水差。箆目がパワフル。焼き締め(釉薬なし)なので粘土の質感がボッテリと存分に残っている。素材研究に勤しんだ金重らしい作だ。

 

「茶道具はジミだの」サル

 

だって侘び寂びだもん。

 

藤原啓《備前緋襷水差》(1959)東京国立近代美術館

 

またまた備前。こちらは緋襷の文様が鮮やか。胎土の質感も素晴らしい。最初は壺だったが、後から蓋をつけたそうだ。質感の違いはそのせいか。

 

三代 山田常山《朱泥茶注》(1998)愛知県陶磁美術館

 

朱泥急須といえば常滑焼。常滑焼といえば常山。胴も蓋も迷いがなく美しい。取手や注口の継ぎ目に斑がなく名工の作と判る。

 

「サルにはだだの急須にみえるけどにゃ」サル

 

金城次郎《海老魚文抱瓶》(1970s-)東京国立近代美術館

 

一目でわかる金城次郎の作品。抱瓶(だちびん)は沖縄の酒器。つまり泡盛を入れる器だ。

 

清水卯一《青瓷鉢》(1973)東京国立近代美術館

 

この作品はすごい!計42㌢の大皿。

 

「めっちゃキレイ!」サル

 

自宅窯の裏山の赤土で焼いたところ、偶然この複雑な貫入ができあがったそうだ。

 

 

何層も重なっていて氷裂文の別称もある。

 

「旨いネーミング」サル

 

清水卯一(1926-2004)は幼い頃から陶芸を目指した苦労人。面白いことに若い頃に京都の前衛陶芸集団・四耕会に所属している。最初から前衛を意識していたことが判るね。青磁とはタイプは違うが、鉄釉陶器で人間国宝に認定された。

 

塚本快示《青白磁華彫水盤》(1978-81)愛知県陶磁美術館

 

塚本快示(1912-1990)は白磁青白磁で人間国宝に認定された岐阜の陶芸家。もともと白磁なんだけど、見込みの部分に釉薬が厚く溜まると、還元焼成の過程で、青白磁になるんだね。これを別名「影青」と呼ぶ。宋代の景徳鎮に学んだそうだ。

 

岡部嶺男《練込志野縄文花器》(1956)東京国立近代美術館

 

ほぼ現代陶芸だね。二色以上の胎土を交互に重ねる練り込み技法。表面の縄文は縄を巻いた棒で叩きだしている。

 

加守田章二《曲線彫文壺》(1970)愛知県陶磁美術館

 

この作家は岩手県立美術館で一度拝見している。優美な白鳳仏か、貴婦人のドレープラインのようだ。

 

 

田村耕一《白泥椿文壺》(1969)東京国立近代美術館

 

椿のデザインがリズミカル。

 

 

田村耕一(1918-1987)は鉄絵で人間国宝に認定された栃木県の陶芸家。東京美術学校卒業後に富本憲吉に師事する。氏の意匠性はこの時代に錬磨されたのだろう。後に東京藝大教授として後進育成にもあたった。どうでもいいが、先生、メチャメチャおしゃれなのだ。

 

中里無庵《黄唐津叩き壺》(1966)東京国立近代美術館

 

中里無庵(1895-1985)は唐津焼で人間国宝に認定。唐津焼と言えば叩き技法

 

「なにそれ?」サル

 

轆轤成形ではなくて、紐状に積み上げて内側から叩いて形成する(朝鮮半島から齎された)古式技法だよ。

 

 

無庵は唐津焼の大名跡、中里太郎右衛門の12代目。全体にかかった飴色の自然釉と高台寄りの土見せが唐津っぽい。

 

ということで、第一章だけでこのボリューム。ほんとにまとまるのか。自分でも不安。

 

「ま、自己満足だからにゃ」サル

 

(第二章に続く)

 

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