名建築シリーズ35
鳩山会館(旧鳩山一郎邸)
℡)03‐5976‐2800
往訪日:2023年11月3日
所在地:東京都文京区音羽1‐7‐1
開館時間:10時~16時(月曜休館)、休館期間:1月~2月、8月
観覧料:一般600円 学生400円 小中学生300円
アクセス:江戸川橋から徒歩7分
■設計:岡田信一郎
■竣工:1924(大正13)年
■施工:大倉土木(現:大成建設)
《イギリス風の洋館はバラがよく似合う》
ひつぞうです。十一月の初めに文京区音羽の鳩山会館を見学しました。ここは昭和戦後史の舞台ともなった政治家・鳩山一郎の邸宅です。鳩山家の人びとの華麗なる生涯を追うとともに、岡田信一郎設計の名建築を鑑賞しました。以下、往訪記です。
★ ★ ★
鳩山会館の存在は岡田信一郎の建築作品として最初に知った。主は戦後政治史において重要な役割を果たした鳩山一郎(1883-1959)。堅夫人として知られる薫夫人(1888-1982)が亡くなるまで住まわれた。その後建物は用途を失い、一時荒廃するが、1995年の大修復で見事再生。翌年一般公開が始まり、今に至る。とりわけ庭園のバラの美しさには定評があり「訪れるならば春と秋の開花期」と決めていた。
となれば混雑は見えている。できるだけ静かな開館直後を狙いたい。ということで45分前に江戸川橋の駅についた。江戸川橋通りを護国寺方面に向かって歩いていく。10分もしないうちに現地に到着した。
なんと。これが個人宅の玄関とは…。
「たしかに門柱に鳩山って表札が出てゆ」
入り口には「10時の開館までお待ちください」と書いてある。ただ建物は奥まった場所にあるようだ。通行人の好奇の眼が耐えられず、とりあえず内部に潜入することにした。
すごい坂道…。歩くことを前提に設計されていないね。
折り返した先に建物はあった。イギリス風の外観が眼を惹く。当然のように誰もいない。
「早すぎるっちゅうの」 サルは後からゆっくり行きゅ
陶製の椅子があるので待つぶんには問題はなさそうだ。ロマネスク、古典主義に数寄屋造り。何でもこいの岡田信一郎らしく、今回はイギリス風。実は鳩山と岡田は旧制高等師範学校付属中学(現:筑波大附属高校)の同窓生で親友。その縁で設計を依頼したらしい。入り口の前には会館のオープンを祝う藤森照信先生の大絶賛の紹介文が記されていた。
ファサードのバルコニーを見下ろす位置には牡鹿のブロンズ。実はこれ、レプリカ。
本物は取り外されて屋内に展示中。石膏の上に銅を吹きつけた変わった造りだが、酸性雨で壁面を汚すし、老朽化で危険だったらしい。
人物なしでその巨大さが伝えられないが、ヒマラヤスギの巨木も。
こんな感じで「素敵な眺めだなあ」とはしゃいでいると、黒塗りの車が一台静かにあがってきた。ひょっとして鳩山家のひと?敷地内にはガレージつきの豪壮な住宅が続いている。時間外だと摘まみ出されるかな。肝を冷やして様子を窺っていると、何のことはない客だった。(僅かに止めるスペースがあります)
「だから早すぎなんだよ」
この日は訳あって僕だけ早めに出てきたのである。
至る所にハトのデザイン。
時間通りに扉が開いた。まずは券売機で入場券を買う。建物は何度でも出入り自由だ。
見事な大理石の手摺。
一階部分は、応接間、第二応接間、食堂、サンルーム、特別展示室が見学対象。特別展示室は鳩山由紀夫元総理のゆかりの品が展示されている。個人情報の関係だろう、ここは撮影NG。
二階は、大広間、バルコニー+前室の他に、一郎記念室、薫夫人記念室、威一郎記念室があり、やはり個人の記念室は撮影NG。
では早速観て行こう。
=応接間=
内部装飾はアダム様式という古典主義的装飾をあしらった18世紀のスコットランドスタイル。
漆喰壁の白と柱など木材部の濃いブラウンが好対照。
モニター画面では、鳩山一郎の孫にあたる鳩山由紀夫元総理が会館の来歴を説明。
きちんを観てから鑑賞すると理解が深まる。
ステンドグラスは日本で最初に本格的なステンドグラスを手掛けた小川三知の作品。紋章のなかにもハト。
こちらは雉。
小川の作品は川越の旧山崎家住宅で一度拝観したが、精緻さと色使いでは鳩山会館に軍配が上がる。
=第二応接間=
続く第二応接間。淡いベージュの化粧漆喰が典雅な趣きを添える。
中央には一郎愛用のソファが残る。公職追放解除後は、三木武吉、河野一郎、岸信介、石橋湛山ほか、無数の有力政治家が連日訪れて、重要な会議が行われたそうだ。
サンルームに続く扉の上にもステンドグラス。
意匠はクレマチスだろうか。
=食堂=
家具はジャコビアン様式で統一されている。
=サンルーム=
鳩山由紀夫元首相を囲んで民主党結党パーティが行われた。ステンドグラスはライチの実。
このサンルームに安子夫人が一郎に寄せた一文(平成21年)が公開されていた。ある昼下がりのこと。シベリア抑留者の家族が大勢詰めかけて「自分の息子を、父を一刻も早く返してください」と涙ながらに訴えた。一郎はハラハラと涙を流して、その一言一言にしっかり耳を傾けた。この「一郎のベランダの涙」として語り継がれるエピソードの舞台がここなのだ。
その後、脳出血の既往症があり、空路の長旅を懸念する周囲の心配をよそに、一郎は“命がけ”でモスクワに飛んだ。今の時代に、自らの命を懸けてまで、国民の声に応える政治家がいったい幾らいるだろう。詮ないことではあるが、ついそう思ってしまった。
(由紀夫、邦夫両代議士の母君である)安子夫人愛用の調度品。
こちらは現代鍋島焼の至宝、第11代、第12代の今泉今右衛門作。
「セレブは使うものが違うにゃー」
今右衛門が普段使いだもんね。恐ろしいよ。割る可能性を想像すると…。
では二階へ。
この階段がまた素晴らしいんだ。もちろんステンドグラスは小川三知。
純和風なんだよね。
ここで鳩山家の系譜と音羽の地との関わりをおさらいしよう。
※自分で纏めるまで一時的にネットより拝借します(後日再作成)
音羽の地に鳩山家が移り住んだのは、一郎の父、鳩山和夫翁の代である。和夫翁は美作勝山藩藩士の四男として生をうけた。
鳩山和夫(1856-1911)。早稲田大学第一代総長時の肖像。
秀才だった翁は長じて開成学校(現東京大学)を卒業。その後留学を果たし、イエール大、コロンビア大で法学の学位を取得した秀才中の秀才で、東京帝大講師、弁護士、代議士、外交官と八面六臂の大活躍をみせた。
その長男こそが鳩山一郎である。
鳩山一郎(1883-1959)
東大卒、弁護士、早大講師という履歴は和夫翁と同じ。父の急死に伴って出馬、当選。代議士として立憲政友会に所属する。戦後、公職追放されるが、返り咲いたのちの第二次鳩山内閣(1955年)において、自由党と日本民主党の合同を果たし、自由民主党が誕生。いわゆる55年体制の幕を開いた。その翌年に日ソ共同宣言を批准。国際連合加盟に導いた。
「そんな重大な政治を行ったのにゃ」 サルはノンポリ
戦後政治というと、吉田茂、岸信介、田中角栄といった、いい意味でも悪い意味でも、個性の強い政治家が、僕ら一般庶民の記憶を制しがちだが、昭和30年代は空前の鳩山ブームが起こり、平和政治に向けた重要な舵取りがなされたことは、記憶に留める価値があるね。
そして忘れてならないことがひとつ。堅夫人といわれた薫夫人の存在だ。
鳩山薫夫人(1888-1982)
玄洋社幹部で貴族院議員だった寺田栄の長女に生まれる。つまり先祖の出自は福岡県。本人の出生地は横浜市戸部。その来歴になんとなく親近感を覚える。
共立女子大講堂および一号館(前田健二郎設計の旧講堂(1938年)を2003年からリニューアル)
だが、一番の功績は首相・鳩山一郎を支えた事績と、共立女子大学の創設と学長就任だろう。
「学士会館のすぐ近くだにゃ」
そのお二人の長男が鳩山威一郎氏。僕らの世代にはやや馴染み薄かも知れない。
鳩山威一郎(1918-1993)
東京帝大法学部から大蔵省事務次官まで昇りつめた。なのにその肖像写真にはいずれも衒いがない。サラブレッドというのはこういう人物を指していうのだろう。その後代議士に当選するが、残念ながら政治家としては目立つ功績がない。しかし、野球、ゴルフとウィスキーをこよなく愛した趣味人という処に好感を抱いた。安子夫人に宛てたラブレターも素敵(記念室で読むことができる)。
鳩山安子夫人(1922-2013)
ブリヂストン創業者の石橋正二郎氏の長女である。旧制女子中学まで出生地・久留米で過ごしたということは筑後弁に堪能だったのだろうか。グラグラこいたーとか、あげんひといっちょん好かんとか言ったのだろうか。気になるところである。
おふたりの子息である二人の元代議士(由紀夫氏、故邦夫氏)については、まだ歴史の検証の対象ではない。畏れ多いのでここまで。
…という人びとが団欒した場所が、かつての鳩山家邸宅、すなわち音羽御殿なのだ。
=大広間=
以前は三室並んだ寝室だったものを改修時に大広間にリフォーム。床材がかなり新しい。
額装された揮毫「貴成和」は一郎の絶筆。論語から引いた「和を貴しと為す」である。なのに世界は“喧嘩”ばかりしている。
おちついた佇まい。
素晴らしい。
こちらは一郎記念室の扉。暴漢の襲撃を想定したのだろう、板厚のある鋼鉄製。
=前室=
以前はここからバルコニーに出られたそうだ。
硝子戸越しに。ソ連からの凱旋帰国の際に一郎はここから観衆に向かって手を振った。
ということで庭園に向かった。
やはり玄関が一番美しい。
天井のステンドグラスにも鳩。
=庭園=
ベストシーズンを狙ったのに…。
「あんまりお花が咲いてないにゃ」
残念ながら、今年の猛暑のせいで蕾をあまりつけなかったそうだ。
例年であればバラのアーチにゴールドバニーが大輪の花をつける。
同じ場所に立つ元気な頃の一郎、薫夫妻。
プリンセス・ド・モナコ(端がピンクの薔薇)にド・ゴール(下の薄紫色)。
晴れの日を狙ったかいがあった。10種類以上の園芸種が艶を競う。
ローラが真紅の花弁をひろげていた。やっぱり五月の開花期かな。
池の端には和夫翁と春子夫人の像が。
朝倉文夫作《鳩山和夫、春子像》(1930年)
これ。朝倉文夫の作品なんだよ。
「ご本人によく似ているにゃ」
写実の王だもん。
収蔵庫だね。
ブロンズ像がもう一体。
《鳩山一郎像》(2007年)
一見して朝倉文夫とは違うフォルム。それにかなり新しい。調べてみるとロシア美術アカデミー総裁のツェレテリ・ズラブ・コンスタンチノビッチの制作らしい。
「比較的新しく贈られたのきゃ」
日ソ共同宣言の立役者、鳩山一郎を偲んで、鳩山家とロシア外交筋は友好関係を築いてきたようだね。まさかこんな時代になるとは誰も思ってなかっただろう。
奥の離れもバラが見事と聞いた。
残念ながら現在は非公開になっている。遠目に観てもあまり開花してなかった。
それでも近代の名建築と鳩山家の歴史に触れることができて大満足。
歴史遺産として守った関係者に頭が下がる思いだった。この日、もう一箇所訪ねることにした。
「ワインは飲めるのち?」
あとでね。
(つづく)
ご訪問ありがとうございます。