旅の思い出「足摺岬」サルヒツ高知への旅③ | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

足摺岬

℡)0880‐82‐1212(観光商工課)

 

往訪日:2023年9月23日

所在地:高知県土佐清水市足摺岬

アクセス:高知駅から車で約3時間(有料道路優先)

駐車場:無料(灯台前約20台)

 

《果ての知れない黒潮の海》

 

ひつぞうです。サルヒツ高知の旅、一日目のゴールは足摺岬でした。長野、静岡、新潟と同じく、東西に長い高知県。高知駅から有料優先で三時間。やっぱり遠かった。だから、到達したときの感動もひとしお。憧れのジオパーク往訪記です。

 

★ ★ ★

 

平成の大合併で、耳に馴染んだ高知の町の名前が地図から消えた。大正町、窪川村、そして中半家村。数十年前に僕らの会社が所縁を結んだ山あいの町だった。そこに暮らす人々の純朴さと、俗世から隔絶された風景、取り分け沈下橋と最後の清流、四万十川の織りなす風景の美しさは今でも忘れられない。

 

高知は西域に限る。いずれ行くであろう高知の旅は、四万十川のある中村と足摺岬の土佐清水と決めたのだった。

 

「いつの話よ」サル

 

約三十年前かな。

 

とりわけ足摺岬。田宮虎彦の小説『足摺岬』の、暗鬱で行き場のない物語世界が生み出す“世界の果て”のようなイメージを、燈台を戴く岬の先端に抱くようになった。

 

 

しかし、遠い。にこ淵を出て既に数時間が経過した。高知県内の高速道路は須崎から先は断続供用で一般道が長いのだ。それでも四万十町(旧窪川町)、そして、土佐佐賀駅を過ぎれば、大方海岸が現れて、目指す足摺岬が遥か彼方に見えてきた。

 

「どこよ」サル

 

左端の黒い島みたいなやつよ。

 

「遠い!」サル 今日中に着くんか

 

オーバーだねえ。

 

この日の天気予報は晴れ。しかし、南西部は曇り。確かに雲が広がっている…。

 

ということで然したる渋滞もなく、無事に足摺岬に到着した。ここは土佐清水ジオパークでもある。まずは白山洞門を見ることにした。観光案内所のある万次郎足湯の前に、30台停車可能な無料駐車場がある。残念ながら足湯は抜かれていた。

 

 

白山神社の正面の階段を降りていく。

 

 

指導標はしっかりついている。まだ暑いさなかだったので藪蚊の襲来で大変だった。

 

 

どんどん降りていく。暑いし降るのが厭なのか、燈台ほど人気がない。洞門は佇立する花崗岩の巨石で、御神体となっているうえ踏み跡が怪しいので立ち入りを遠慮するように記されていた。

 

「行く人がいるんだよ」サル どこかのヒツジみたいに

 

否定できない。

 

ハマカンゾウ

 

ちょうど夏の花の季節だった。

 

 

アロウドの浜

 

ずっと海岸に遊歩道がついているらしい。

 

 

恋人の聖地らしいよ。ハート型に見えない?

 

「うーん。ちょっと苦しくない?」サル

 

花崗岩の海蝕洞としては国内最大級。

 

ハマアザミ

 

肉厚で光沢のある葉が特徴のハマアザミ。葉は茹でて山菜として食用にできるが、今では希少植物。

 

ハマゴウ

 

シソ科のハマゴウ。ビロウドのような葉と紫の花が美しい。足摺岬周辺は季節を問わず、亜熱帯性の植物が花を咲かせる。花好きにはたまらない場所だ。冬場にはアシズリノジギクが可愛らしい花を咲かせる。

 

 

アロウドの浜ではラパキビ長石という卵の殻の断面のような結晶を含む珍しいラパキビ花崗岩が観察されるという。暫く探したが、探すと見つからないものだ。戻ることにした。

 

 

時折青空が広がるんだけどね。

 

 

歩いて燈台前までこれるのだが、途中の藪蚊攻撃を嫌って車で移動した。

 

 

「ジョン万次郎だよね」サル

 

この銅像って曰くつきなんだよ。

 

「どういうこと」サル

 

発注者は土佐清水市役所なんだけど、仲介者が勝手に自分の作品だと公表したんだ。頼まれた彫刻家はそれを知って激怒。裁判沙汰になったって。

 

「勝敗は?」サル

 

そりゃ、本当の制作者よ。でも仲介者は飽くまで自分の作品だってごねたらしい。

 

「さすが彫刻マニア」サル くだらんことよく知ってる

 

くだらんは余計じゃね。

 

 

まずは展望台へ。

 

 

この階段を上がった所だね。

 

 

いやいや、素晴らしい。四国最南端だよ。南国の雰囲気あるねえ。

 

 

海も青いし。

 

「あんまり背の高い植物がないにゃ」サル

 

風が強いんだよ。きっと。

 

 

四国の南側は四万十帯と呼ばれる付加体の地層から成るんだけど、下の地図を見て。

 

(出典)国土交通省 四国地方整備局の資料よりお借りしました

 

「なにこれ」サル ベンキョーはヤダ

 

足摺岬の先端だけ花崗岩でできているんだよ(オレンジ色の部分)。造山運動の過程で比較的若いマグマだまりが地中の深い所で形成されたのだろうね。それが隆起したものが浸蝕されて、荒々しい岩礁や絶壁になったというわけ。

 

 

縦横に亀裂が入るのも花崗岩の特徴。秩父の金峰山の五丈石が典型的な例だ。

 

植生も全然違うね。燈台までいってみよう。

 

「なにかあるにゃ」サル

 

 

地獄の穴にお金を落とすとチリンと音がするらしい。

 

「やってみゆ」サル

 

おサル、ホント好きだよね。そういうこと。

 

「ならんけど」サル

 

そりゃ、本当に地下まで落ちたら賽銭回収できんでしょ。

 

「金剛福寺まで繋がってるってよ」サル

 

迷信迷信。

 

「夢のないオトコだ」サル

 

 

大師の爪搔き石だそうだ。弘法大師が爪で南無阿弥陀仏と搔いたそうな。

 

「薄っすら見えるにゃ」サル

 

 

ここが足摺岬灯台だ。

 

築造:1914(大正3)年

改築:1960(昭和35)年

高さ:18.1㍍

光達距離:38㌔

 

 

ロケット型の燈台は珍しいね。残念ながら内部には入れない。美しいフォルムを眼にして、思わず木下惠介監督の映画「喜びも悲しみも幾年月」の主題歌を口ずさんでしまったが、ここはロケの対象になっていないんだ。もう少し岬の先端に行けるようだ。

 

 

なにか見える?

 

「亀呼び場って書いてあるんだけどさ」サル

 

どれが亀?

 

 

あの岩を亀に見立てたんじゃない?

 

「不動岩って書いてある」サル

 

違ったみたい。弘法大師が岩に御不動を彫るのに、亀を呼んで渡ったそうだ。

 

 

ということで椿とアコウのトンネルをくぐって戻ることにした。

 

最後に。四国38番札所の金剛福寺を、翌朝ジョギングついでに往訪した。

 

 

やはり神社仏閣は早朝に限る。

 

 

補陀洛信仰のお寺なんだって。

 

「なにそれ」サル

 

以前、京都の海住山寺補陀落山浄土図を観たよ。

 

「なんかありがたいわけね」サル

 

そーいうこと。←だんだん説明するのが面倒臭くなってきた。

 

 

開山は平安初期まで遡る弘法大師・空海ゆかりの寺。過去幾度も荒廃したが、その都度再興を図ったそうだ。

 

 

二人の健康と家内安全を祈って後にした。さあ、今回の旅のメインエベントの会場に向かうことにしよう。

 

「しようしよう♪」サル むぴー♪

 

(つづく)

 

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