特別展「デイヴィッド・ホックニー展」(東京都現代美術館) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

デイヴィッド・ホックニー展

℡)050‐5541‐8600

 

往訪日:2023年9月18日

会場:東京都現代美術館

所在地:東京都江東区三好4‐1‐1

会期:2023年7月15日~11月5日

開館時間:(月曜休館)10時~18時

観覧料:一般2300円 大学生1600円 中高生1000円

アクセス:地下鉄半蔵門線・清澄白河駅(B2)から徒歩9分

駐車場:有(300円/h)

※撮影できる作品があります

 

 

ひつぞうです。建築散歩に続いてディヴィッド・ホックニー展の鑑賞記です。

 

★ ★ ★

 

先に断っておけば、ホックニーにとって僕は、これまで良い鑑賞者ではなかった。ポップアート自体は好きだ。だが、ホックニーのドローイングの、明るすぎる色彩と感情を排除した描写が駄目だった。ところが今年、郡山市美術館の版画コレクション《放蕩者の遍歴》の一連の作品を観て、そのよさに気づいた。

 

《放蕩者の遍歴-遺産を相続する》(1961‐1963) アクアチント エッチング

 

これを観たとき、山本容子さんの次の作品を連想せずにいられなかった。

 

 

名編集者・安原顯が主宰した季刊書評誌『リテレール』の表紙を飾ったリトグラフ。ホックニーの影響を断定する根拠など何もなかったが、ひたすらに山本さんのこの銅版画が好きだった僕には、ホックニーそのものを理解する良き補助線になってくれた。という次第で、27年ぶりの日本での大回顧展。これも何かの縁だ。一度、仕事の全体像を観てみようという気持ちになった。

 

★ ★ ★

 

では、おサルのためのおさらいコーナー。

 

「このひと知らんかった」サル

 

(僕にとってのホックニーはこのイメージ)

 

デイヴィッド・ホックニー(1937‐)。イギリスを代表するポップアート作家。22歳から24歳まで王立美術学校に学ぶ。60年代にアメリカ西海岸に拠点を移し、明るい色調の無機的な人物画、室内画、風景画を表した。常に新しい表現方法を模索。86歳を迎えた今も現役である。

 

懼れながら白状する。実は、物故作家だと思っていた。

 

 

画家の意向かもしれない。今回の回顧展は作品目録が(PDF版も含めて)なかった(作品カタログを買うことをお勧めします)。

 

構成は以下の通り。

 

第1章 春が来ることを忘れないで

第2章 自由を求めて

第3章 移りゆく光

第4章 肖像画

第5章 視野の広がり

第6章 戸外制作

第7章 春の到来、イースト・ヨークシャー

第8章 ノルマンディーの12か月

 

それでは観ていこう。

 

 

第1章 春が来ることを忘れないで

 

“春が来ることを忘れないで”というキャプションは、画家本人のアイデアだと思いたい。ここでは1969年のエッチングによる旧作《花瓶と花》と、iPadで描かれた《春のノルマンディー 2022年》が展示される。

 

《春のノルマンディー 2020年》

 

2022年3月16日にオンライン上で公開された。

 

フランス、ノルマンディーに活動拠点を移したその翌2020年、世界中でコロナ禍が猛威を振るった。脅える人びとに向けて、どんな災厄もいずれ終息し、春が訪れるという希望を、画家はこの《春》に託して発信した。制作過程を映像で観ると(一見思うままに描かれているようだが)構図と色彩の選択を、修正を繰り返しながら緻密に積み重ねている。エアブラシ風のボカシと、鮮やかなグリーンで観る者の眼を惹いた。

 

 

第2章 自由を求めて

 

最初期の作品から時系列にたどる。

 

《イリュージョニズム風のティー・ペインティング》1961年 テート

 

薄桃色の肌や歪められた人物など、フランシス・ベーコンの影響を顕著にみせながら、画業はスタートした。共にゲイカルチャーに身を置いたという視点はつまらない切り口だが、例えば、シリトーが労働者階級の若者の鬱屈した心情を描いたように、ジェンダー的に未成熟な体制に、異端者としてぶつかっていくエネルギーが、新しいアートを生み出す原動力になったと想像できる。

 

「そういうアーティストって多いよにゃ」サル ウォーホルとかヘリングとか

 

(参考画像)

F・ベーコン《ジョージ・ダイアーの三習作》1969年

 

因みに冒頭の版画《放蕩者の遍歴》はロンドン時代の1961年~1963年に発表されている。王立美術大学ではポップアートの始祖、リチャード・ハミルトンの影響を受けたそうだ。

 

だが、その作風はこのあと大きく変わることになる。

 

 

第3章 移りゆく光

 

1964年にカリフォルニアを訪れたホックニーはそのまま住みついてしまった。そして、新たに手に入れたアクリル絵具で新境地を開拓することになる。とにかく、新しい方法や手段を貪欲に取り入れるのがホックニーのホックニーたるところだ。

 

《スプリンクラー》1967年 アクリル、カンヴァス

 

ヨーロッパとは違うカリフォルニアの開放的な光。それは温暖な気候だけではなく、消費大国アメリカの豊かさがもたらす光でもあったのだろう。ホックニーの版画作品は一般的な人気も高く、その後も長く続くことになる。

 

《水のリトグラフ》シリーズより 1978‐1980年

 

《午後のスイミング》1979年 リトグラフ、紙

 

緑の芝生、青いプール、広い邸宅。ホックニーは富を渇仰する者ではない。豊かなアメリカは飽くまで観察の対象だった。それゆえ、観察は仔細に及び、描写に迷いがない。色使いに抽象画家ケネス・ノーランド、意匠においては、浮世絵、そして、W・ブレイクなどの影響も見ることができる。

 

「単純な絵にも見えるにゃ」サル

 

例えば、ピカソ晩年のドローイング。創作に手を染めない人は「それをピカソの絵と知っているからありがたがるだけ」と斜に構えるけれど、無駄を削ぎ落す単純化の過程は簡単ではない。23歳で出逢ったピカソに衝撃を受けたホックニーは、飽くなき作風の変革を自らの課題にした。その意味ではマティスにも近いかも。

 

 

第4章 肖像画

 

《クラーク夫妻とパーシー》1970‐71年 テート

 

「ずいぶん雰囲気が変わったにゃ」サル

 

1960年代末に、ダブルポートレートと呼ばれる人物二人を配した肖像画を描くようになる。とりわけ等身大で人物を描いたこの大作は、有名デザイナーカップルの結婚祝いに、友人のホックニーが約1年かけて描いたもの。それまでの単純化の図式から一転。現代版アカデミズム絵画のような構図と精緻な描写。オランダ絵画のような暗示的な光の表現。豊かさの象徴のような“小道具”。猫のパーシーもそのひとつのようだ。

 

「でもなんか表情暗いね」サル

 

そうなんだよ。全体のトーンと人物の表情があまりにも。妻のシーリアは当時懐妊していたが、数年後に離婚している。繊細な画家は二人の関係に不穏な何かを読み取り、象徴的に描いたのかも知れない。いずれにしても肖像画は本当に旨い。ドン・バカーディやバロウズなど、それぞれモデルの雰囲気にあわせて表現が微妙に異なるんだよ。

 

「しかし、目まぐるしく画風が変わるにゃ」サル

 

制作者の名前を伏せたら、初見の鑑賞者にはとても同じ画家の作品とは思えないだろうね(笑)。

 

 

第5章 視野の広がり

 

ここから一足飛びに80年代以降の挑戦の記録。

 

《龍安寺の石庭を歩く 1983年2月、京都》1983年 フォトコラージュ

 

もともとフォトコラージュはポップアートの十八番。角度を変えたホックニーのソックスが池を泳ぐ鯉のようだ。普通に撮れば消失点を中心に台形になってしまう。狙いは本来矩形であるはずの庭園を写真で再現することにあったそうだ。

 

《スタジオにて、2017年12月》2017年

 

3,000枚以上の複数の視点で撮影された写真データをCG技術で繋ぎ、幅7㍍の大作に仕上げた。

 

 

第6章 戸外制作

 

ここから近年の作品。

 

《ウォーター近郊の大きな木々またはポスト写真時代の戸外制作》2007年

 

50のピースに分割された一枚一枚を戸外で描き、枝ぶりを微妙に調整して完成した。ホックニー後期の取り組み“複数の視点”の代表作だ。これは現物を観ないと感動が生まれないね。

 

「デカすぎて引いてみないと判らないかも」サル

 

 

第7章 春の到来、イースト・ヨークシャー

 

《春の到来 イースト・ヨークシャー、ウォルゲート 2011年》ポンピドゥー・センター

 

1997年、今度はヨークシャーで風景画を描き始める。実際に眼に収めた風景を32枚のカンヴァスに分割して再構成した。描写はポップだが、遠近法に忠実な描法であり、オランダの風景画家、メインデルト・ホッベマを思わせる。風景の美しさや立体感が何とも言えないほど素晴らしい。

 

以下、iPad制作の12点。撮影OKコーナー。

 

 

 

春の芽吹き。

 

 

iPadならではの描写。

 

 

水溜まりのひんやりした感じ。

 

 

これも。空気が冷たそう。

 

 

同じ小径でも…

 

 

季節と空模様で印象がまるで違う。

 

 

 

 

第8章 ノルマンディーの12か月

 

最後は圧巻の巨大iPad作品《ノルマンディーの12か月》で終わりだ。

 

 

全長90㍍。延々と繋がっている。

 

 

ホックニーが日常的に接している自宅周辺の風景らしい。そのタブレット絵画220点を再構成している。この作品はフランス・ノルマンディーのバイユー大聖堂に保管されていた、現存最古といわれる《バイユーのタペストリー》にヒントを得ているそうだ。

 

《バイユーのタペストリー(部分)》 11世紀 バイユー・タペストリー美術館蔵

 

その長さ約70㍍。1066年のギヨーム二世によるイングランド征服の史実を描いた叙事詩的刺繡画である。

 

 

ここでターン。

 

 

画の継ぎ目が判る。

 

 

画家の“複数の視点”に倣って鑑賞。

 

 

異様に高額な価格(2018年のオークションでは現役アーティスト最高額の約102億円で落札)で取引される画家として認識していたが、これだけ様々な挑戦を続けていたとは知らなかった。ホップアートとはなにか。改めてそう自問したくなる体験だったよ。

 

★ ★ ★

 

続いてMOTコレクション“被膜虚実”は撮影可能なものの中から備忘録。

 

 

まずは立体作品から。

 

三上博子《Scale》1993年

 

「きたねさっそく。よくわからない系が」サル

 

壁についているのは全てシャワーヘッドだ。そして床には体重計。これを観たとき、映画「ランボー」でスタローン演じる退役軍人が不審者扱いで留置され、高圧ホースで洗浄(という名のリンチ)される場面が浮かんだ。ひとつひとつは固有の機能しか持たないが、組み合わせが“暴力”のイメージを生み出す。

 

三上博子《スーツケース》1992‐1993年

 

同じ作家の立体作品だ。

 

「旅行カバンかの?」サル

 

ただ少し様子が変だよ。

 

 

危険物が入っている。どのカバンにも。発表された1993年といえば湾岸戦争から始まり、国際テロが再び拡大した時代だ。そして、その数年後、国内ではカルト教団による無差別テロ、海外ではアルカイダによる9.11事件が発生。まるで未来予告のような作品を前にすると、穏やかでいられなくなる。

 

石原友明《約束》1988年

 

「これはまた贅沢な展示方法だの」サル

 

青い壁の隅っこにサーフボード型カンバスが置かれている。

 

 

写し出されているのは作者自身の等身大写真。

 

 

印象的な軌跡の残る壁面の青。ひたすら床タイルをフロッタージュする作業からアイデアが生まれたそうだ。

 

「意味わかんなーい」サル

 

名和晃平《Gush #20》2008年 《Gush #19》2008年 アクリル絵具、紙

 

珍しい名和晃平氏のドローイング。

 

名和晃平《PixCell-Deer #17》2009年

 

でも本領はこっちかな。本物の剥製にクリスタルガラスの球体を施す作品で有名だね。

 

 

巨大な樹脂だと体毛が鮮明に。剥製だって判る。

 

名和晃平《PixCell-Bambi #3》2014年

 

剥製はインターネットで購入するらしい。素材の調達方法も随分様変わりしたんだね。

 

 

ちょっとショッキング。昔、樹脂詰めされたサボテンが宮崎のサボテン公園で売っていたけど。

 

「笑っているようにも、臍曲げているようにも見えるにゃ」サル

 

金子徹平《White Distcharge》2009年

 

白い樹脂コーティングでおなじみの金子氏。MOT入りしてたんだね。

 

雪に覆われたベンツと犬のふんが一体化しているさまがヒントになったそうだ。

 

 

僕には生クリームで覆われているように見える。

 

千葉正也《タートルズ・ライフ#3》2013年

 

この中に亀がいるよ。

 

「どこよ」サル わからん

 

 

水槽の中だよ。

 

「リアルな絵だの」サル

 

亀とは無関係なモノが水槽の外に、無秩序に広がっている。

 

「亀には関係ないから」サル

 

だが、絵の外には鑑賞者の僕らが、そして、その僕らを取り巻く世界が、入れ子構造のように混沌と広がっているわけよ。どこまでが自分にとってリアルなのか。亀に自分自身が仮託されているようだ。

 

 

コレクション展のメイン展示はアメリカの抽象表現主義の画家、サム・フランシス(1923-1994)。今年は生誕100周年らしい。

 

 

全てアサヒグループジャパン㈱からの寄託品。

 

「全部デカいにゃ!」サル

 

サム・フランシスは独学の画家なんだ。陸軍の飛行訓練中に事故に遭い、そのセラピーをかねて水彩画を始めたそうだ。それが機縁となって絵画に目覚めると、1950年に渡仏。アンフォルメルの画家として注目を集めるようになる。

 

「なにアンメルメルって」サル

 

アン・フォルメルだよ。《非定型芸術》って訳されるね。抽象絵画ってまだ線や図形としての形があるでしょ。アンフォルメルはそれすら否定して、厚みや垂れ滲みなどの絵具の質感や、画家の筆使いの軌跡を重視したんだ。

 

「それはもう絵じゃないよ」サル

 

50年代にフランスを中心に流行。日本では白髪一雄元永定正など具体美術協会の作家が今でも人気だよ。

 

 

展示された作品は1985年に日本を訪れたサムが個展に出品したもの。

 

宮島達男(1957‐)《それは変化し続ける これはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く》1998年

 

宮島達男氏の作品は過去にも観てきたが、撮影可能は今回初めて。

 

「なにこれ?チカチカ光っているけど」サル

 

映画「マトリックス」のオープニングみたいだね。近寄ると判るよ。

 

 

セブンセグメントの数字が点滅しているんだ。ランダムに見えて点滅には数字同士で関連したり、ゼロは発光しなかったり、一定のリズムがある。生命体の電気信号や新陳代謝を眼で見ているような、そんなイメージが浮かぶ。

 

「赤は血液とか筋肉の象徴?」サル

 

かもしれない。宮島さんの作品は(一見ただの信号のようだけど)物語を感じるよ。

 

コレクション展は以上(横尾忠則作品は撮影NGだった)。屋内の彫刻を観て帰ることにした。

 

アンソニー・カロ《シー・チェンジ》1970年 彩色した鋼

 

 

本当に広い美術館だ。美術関連書籍などショップも充実している。

 

アルナルド・ポモドーロ(1926-)《太陽のジャイロスコープ》1988年 鉄、ブロンズ他

 

金属製の巨大ジャイロスコープ。

 

 

僕にはシールド掘削機の歯に見える。

 

「おサルは鮫の牙かの」サル

 

 

帰りは庭園を見学しながら。

 

 

建築にホックニー。そして国内の現代美術のコレクション。大満足のアート散歩だった。

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。