郡山市立美術館
℡)024‐956‐2200
往訪日:2023年7月28日
所在地:福島県郡山市安原町字大谷地130‐2
開館時間:(月曜休館)9:30~17:00
入館料:常設一般200円 大高生100円
アクセス:東北道・郡山ICから約9㌔
駐車場:130台(無料)
■公共建築百選
《現代の枯山水》
(一部ネットより写真を拝借しております)
ひつぞうです。ひと月前に久しぶりに福島まで温泉旅に出ました。その道すがら、以前から気になっていた郡山市立美術館に寄り道しました。企画展は子供向けだったので、鑑賞したのは常設展示のみ。むしろ興味の対象は建築。ここは建築家・柳澤孝彦氏(1935‐2017)が手がけた名建築なのです。以下、往訪記です。
★ ★ ★
山旅中心の生活から離れて、平野部を訪れる機会が増えた。47都道府県を制覇して、日本の風景はほぼ知悉しているつもりだったが、それはとんでもない思い違いで、こんな場所があったかと感動することばかり。特に、地方美術館とそれを取り巻く景観は常に見事に融合し、それだけで美しいことに今更ながら驚いている。
開館時間ぴったりに到着した。まだ観客の車は一台もない。こうしたのんびりした雰囲気が地方美術館の好いところ。
「気忙しいのはヒツだけだよ」 振り回されっ放しだにゃ
長い屋根つきの通路が建物まで一直線に繋がっている。
早朝から押しかける客は疎らとみえて、職員が静かに落葉を掃いていた。
郡山市立美術館の開館は1992年11月。市東部の小高い丘陵に位置し、緑豊かな森の中に芸術のオアシスとして、常設展示はもちろん、海外作品を含めた企画展も開催。とりわけラファエル前派に関する国内随一の蒐集で知られている。
また、新国立劇場や東京オペラシティに携わった柳澤孝彦氏設計の建物と前庭の素晴らしさも建築愛好家の間で夙に知られている。低い波のうねりのような曲線。そして前庭の白御影石の群れ。猪苗代湖の波頭を表したものだろうか、現代の枯山水の趣きすら感じさせる。
イギリスの彫刻家、バリー・フラナガン(1941‐2009)の《野兎と鐘》(1998年)が、ポツンと真夏の強烈な日差しを浴びていた。
やはりここは晴天の日に訪れるべきだ。
「紅葉の季節も美しいだろうにゃ」
東北の紅葉は美しいしね。
巨大、垂直、そして直線的。
これが柳澤作品の特徴だと思うが、水平に展開する曲線構造は(美術館という特性もあるが)稀なケースなのかもしれない。とても美しく、そして穏やかなデザインだ。
「早くいこうぜ」 気が済んだ?
はいはい。
あそこが入り口みたいね。
石と木とガラス。人工と自然のバランスが絶妙。
内部はひろい。
正八角形の打放しコンクリートのオーダーが、床のトラバーチンに綺麗に嵌めこまれている。
綾織の影が竹細工のようだ。
資料室に…
ロビー。
では、常設展示室のある二階へ。
吹き抜けになっている。
「ひつじのショーン展は観なくていいのち?」
子供向けだしね。いいよ。
ロビーに彫刻が展示されていた。
清水多嘉示《フランスの女》1927年
初めてお目にかかる彫刻家だ。説明によれば長野県生まれで、最初は油彩を専攻していたものの、渡仏後にブールデルの作品に感動して彫刻に転向。デスピオ、ザッキン、ジャコメッティと交流した。
「デスピオは忠良先生も影響をうけたひと?」
そうそう。《クラ=クラ》ね。たしかに頭髪や肌の抑制された質感が似ているかも。
戦後は武蔵野美大で教鞭を振るい、パブリックアートの先駆けとなったそうだ。今後、どこかの公園で再会することがあるかも。
舟越保武《少女》1956年
舟越桂さんの御尊父で、佐藤忠良、本郷新とともに新制作派協会で活躍した偉大な彫刻家だよ。
「ザラザラした岩でできてるにゃ」
砂岩の彫刻って珍しいね。大理石やブロンズと違って、温かみのある表現に相応しいのかも。
近接すると大人びて見える。眼や鼻筋の表現が舟越桂さんの作品と似ている気がする。
三坂耿一郎《女童(めわらべ)》1974年
先程の清水多嘉示に師事した地元、郡山の彫刻家だそうだ。おさげ髪を引き、指先を口許に寄せるその不安げな表情は、成熟と未成熟の間にある思春期特有の、大人になりつつあることへの不安が表されているようだ。こっちから見ると、殆ど成熟した肉体だけど。
「成熟した肉体だって」 エッチなんじゃね
反対側から鑑賞すると、内股気味の姿勢が子供っぽくて頼りない。
表現者の技はすごい。
堀内正和《顔》1955年
兵庫県立美術館で観たばかりの抽象彫刻の雄、堀内正和の作品だね。はっきりしたタイトルで、何を表現しているか判りやすい。
細川宗英(1930‐1994)《道元》1988年
この彫刻家も初めて。諏訪の出身で、東京藝大彫刻科卒業後に、やはり新制作派協会に出品。目玉は七宝だろうか。異様なまでの迫力がある。
「生首みたいで怖いのー」
細川は具象から抽象に向かい、最後はカミやモノノケのような、存在感ある異形の彫刻を新具象彫刻という名の元に制作したそうだよ。
★ ★ ★
残念ながら常設展も撮影NG。なので簡単な印象録を記そう。
展示室1 《版画にみる絵画のエッセンス》
ジョシュア・レイノルズ《エグリントン伯爵夫人、ジェーンの肖像》1777年
イギリス・ビクトリア王朝では、版画は原画(油彩画)を世間に広めるコピー媒体として機能した。ウィリアム・ホガースやジョシュア・レイノルズの原画と、複製としての版画を比較すると、その差異に版画家の作意が透けて見えて面白い。
「ふむふむ」
展示室2 《近代の日本画》
福島ゆかりの画家の作品が並ぶ。湯田玉水の表現主義的な南画《夏山驟雨・晩秋暮鴉》。岩絵具の豊かな質感を、厚塗りで引き出した安藤重春の《帰去来》。そして、うねりのあるダイナミックなタッチが印象的な黒沢吉蔵の風景画《霽る(はれる)高地》。中央の美術館でまず観ることのない作品だけに、この展示は貴重だ。
「はやく温泉いこうぜ」
はいはい。
展示室3 イギリスのポップアート
ポップアートがイギリス発祥とは意外だった。リチャード・ハミルトンが1956年に開催した《これが明日だ展》の出品作の“POP”という文字が起源なのだそうだ。その代表選手、エデュアルド・パオロッツィの大規模なコレクションが展示されていた。
(参考資料)
エデュアルド・パオロッツィ
雑誌や広告のコラージュだろう。アメリカのポップアートとかなり印象が違う。仔細に観察するとエログロナンセンスの世界。それでも切り口ひとつで立派な芸術になる。
「よくわかんない」
展示室4‐① 明治の版画
明治は版画の多様化が進んだ時代だった。浮世絵の伝統を引き継ぐ錦絵(板目木版)にフランスから持ち込まれた木口木版の技術が加わり、石版画に銅版画も齎された。とりわけ銅版画では、江戸時代に司馬江漢や亜欧堂田善が取り組んだエッチング(腐食銅板画)の他に直刻銅版画(エングレーディング)が導入される。
エドアルド・キョッソーネ(1833-1898)
近代的兌換券の開発に腐心していた明治政府は、大蔵省紙幣寮の技術者として、精巧な銅板画技術の指南役を海外に求めた。求めに応じて1875(明治8)年にイタリアから来日したのがエドアルド・キョッソーネだ。当時の主要な紙幣、切手、債券のデザインを手がけている(モノがモノだけにここには掲載できない)。
(参考)キョッソーネ《明治天皇御真影》1888年
今回の展示では《日本銀行一圓兌換券》や《岩倉具視公肖像》が紹介されていた。この明治天皇御真影も教科書でおなじみ。多くのお雇い外人は任期満了後に帰国したが、キョッソーネは日本で客死している。
「親日家だったのにゃ」
他には、竜文切手のデザインで名高い、早熟の天才版画師・松田緑山など見応えのある作品が多数展示されていた。
(参考資料)
展示室4‐② ドレッサーの仕事
クリストファー・ドレッサー(1834-1904)
グラスゴー出身のデザイナー、クリストファー・ドレッサーが遺した金属食器や陶磁器、テキスタイルを紹介。ドレッサーはイギリスにおけるジャポニズムの牽引役だった。
ドレッサー《トーストラック(青海波)》1879‐82年
1877(明治9)年に来日。明治時代の一大輸出産業でもあった陶磁器や工芸品へのアドバイスを行い、自らも貿易会社を設立。多くのデザインを残した。
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このあと美術館のレストラン《juju 13 CAFE》で食事することに。
とてもおしゃれ。
僕はランチプレート。
おサルは季節野菜のパスタ。
僕だけデザートも。
「よく喰うにゃ」 おサルは糖質オフ
建築よし、アートよし、食事よし、景色よし。何をとっても素敵な美術館だった。
「この後は温泉にゃ!」
(つづく)
ご訪問ありがとうございます。