2023年コレクション展「虚実のあわい」(兵庫県立美術館)  | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

2023年コレクション展「虚実のあわい」

 

往訪日:2023年7月22日

会場:兵庫県立美術館

会期:2023年1月21日~2023年7月23日

料金:企画展示に含みます

アクセス:JR神戸線・灘駅から徒歩約10分

※前期・後期入替あり

※幾つかを除いて撮影OK

※終了しました

 

《これが本当のウサギ茸》

 

ひつぞうです。兵庫県立美術館往訪記の続きです。企画展に続いて常設展示のコレクション展「虚実のあわい」を鑑賞しました。リアルでありながらフィクション性を感じさせ、また、フィクションであるがゆえに強くリアルを喚起する。そんな現代アートのコレクションです。

 

「えー。また現代アートきゃ~」サル おーらら~

 

★ ★ ★

 

現代アートといっても裾野は広い。観念的なものもあれば、観て愉しいものまで多種多様。判らなければすっ飛ばし、自由に解釈すればいい。大切なのは本物を鑑賞すること。そして愉しいと感じることだ。中学時代の美術教師がそう教えてくれた。

 

 

このチラシを見て、最初は少女漫画の企画展かと勘違いしたけどね。

 

 

お昼になったので、ひとまずレストランで食事することに。

 

=レストラン・フォルテシモ=

 

 

「ふむふむ。お手頃かも」サル 飲んでよい?

 

暑いからキンキンに冷えた白ワインがいいね。

 

 

「確かにキンキンだにゃ」サル

 

グラスの形が微妙に違うね(笑)。誰か割ったな。おサル何にするの?

 

「ピンチョスにすゆ」サル 夕方飲むからあんまり食べたくない

 

 

「これなら大丈夫」サル ちょうどいい量

 

女子サイズだね。僕は魚介のジェノベーゼ

 

 

貝はニュージーランド産のモエギイガイだな。無闇に大きい…。パスタはリングイネ。

 

 

そこそこ美味しいよ。貝が大味だけど。ま、こういう場所だからね。

 

「ご馳走様ですた」サル

 

では会場に戻ろう。

 

 

第Ⅰ章 リアルの追求/リアルの脱臼

 

木下晋(1947‐)《合掌》1994年 墨、板

 

板に墨で描いた縦190.3㎝×横92㎝の大作だ。作者の木下晋は富山県出身。専門的な教育を受けずに若くして才能を開花。鉛筆画を得意とし、土俗的宗教性を帯びた作品を手掛けている。特に《ゴゼ小林ハル像》は傑作と名高い(前期公開)。

 

 

老女と思われる皮膚の年輪に、板の木目が音楽のように絡み合う。精神性を感じさせる作品だ。

 

「枯れ木が展示されてゆ」サル

 

ほんとだ。ん?

 

東影智裕(1978‐)《浸食Ⅰ》2013年

エポキシパテ、アクリル絵具、木、他

 

ウサギの生首が生えてる!

 

「不思議と不自然じゃないね」サル

 

東影智裕(ひがしかげ・ともひろ)さんは、ウサギ、ヒツジ、鹿といった哺乳類の頭部、しかも屍の頭部をスーパーリアリズムの手法で表現する。屍でありながら訴えかけるような佇まいと虚ろな眼。自然界における生物のひ弱さと圧倒的な存在感。そんな、やや矛盾するイメージが同居する、稀有で美しい作品だ。

 

 

食べて美味しいヤマブシタケは別名ウサギタケと呼ぶ。背中を丸めた姿によく似ているからね。インスピレーションの源は判らないけれど、山歩きしていると灌木の枯れたフシが生き物のように見えることがある。そういう発想から生まれたんじゃないかな。

 

「ヒツの貧困な想像力と一緒にするのは如何なものかにゃ」サル

 

阪大基礎工学部の研究者だった故・大和卓司先生は芸術をこよなく愛し、コレクション購入資金として1億円あまりを寄附された。それを元手に現代作品が拡充されたそうだ。この《浸食Ⅰ》もそのひとつ。良い話だね。

 

「若いアーティストも助かるし」サル ぐっど

 

斎藤智(1936‐2013)《無題76-i》 1976年 シルクスクリーン・紙

 

《虚》としての写真を同じ風景に配置した写真。しかし、よく観察すると、背景はピンボケで、むしろ中の写真の方が現実のように思えてくる。リアルとは何か。そんな素朴な問いを課せられた気分になるね。

 

 

第Ⅱ章 虚実の混交① 現実への眼差し

 

森村泰昌(1951‐)《なにものかへのレクイエム(夜のウラジミール)》2007年

発色現像方式印画

 

森村さんに関してはもう語ることはないね。とにかく尊敬している。

 

高松次郎(1936‐1998)《影(#394)》1975‐75年頃 油彩・布 

 

これって写真?

 

 

近寄ってよくよく観察すると布にうっすらと絵具が塗られている。ここでは判りやすいように、画像をやや強調しているが、肉眼ではそのグラデーションが殆ど判らない。

 

「ほんと写真みたい」サル スゲー

 

東京藝大在学中は小磯良平に師事したが、前衛芸術に傾倒。絵画、彫刻、写真など多彩な活動で注目された。特に《影》シリーズを筆頭とするコンセプチュアル・アートで独自の領域を開拓したそうだ。小磯画伯はどんな思いで教え子の活動を見ていたんだろうね。

 

西山美なコ(1965‐)《♡ときめきエリカのテレポンクラブ♡》1992年 

 

企画展のポスターになっていたヤツね。

 

「西山美なコさんっていうアーティストだにゃ」サル

 

“美しい娘”のダブルミーニングかな。同世代だけにテレクラ全盛&バブル崩壊後の日本のイメージそのまま。もちろん僕は利用したことありません。

 

 

西山さんはテレクラのシステムそのものを“模造”する一連のパフォーマンスを大阪のど真ん中で繰り広げた。まさに虚実が混淆した世界だ。それは現実でもなく、全くのフェイクでもない第三のイメージ世界。

 

 

パステル調のシュガーアートでも活躍中。ぜひ見たいね。

 

 

第Ⅲ章 現実と改めて「出会う」…「もの派」の作家たち

 

菅  木志雄(1944‐)《中律-連界体》1978年 鉄パイプ、枝

 

菅木志雄の作品はいまだによく判らない。だいたい作品名は三文字からなっている。その文字ひとつひとつの意味が“もの”の関連性と空間配置で表される。“もの”というあまりに具体な存在で“抽象”を表すという、もうね、考え始めると何が何だか判らない。

 

「枝と鉄パイプがくっ付いているだけだよ」サル へーんなの

 

 

鉄パイプという人工物に(異なるの)自然木(物)が、さも当たり前のように挿入されるという、この余りに艶めかしく完璧ななりとしての在りよう。屈曲し、立てかけられながら、静かに存在している。そんな様を《中律》というタイトルで表したのじゃないかな。

 

「ムリやり収めたな」サル

 

もの派といいつつ、ものそれ自体に価値を見出してないよね。関係と配置に価値がある。

 

「おサルが蹴躓いて位置がバラバラになったら」サル

 

一体1億円(推定)の芸術品がパーよ。

 

「たぶん、写真撮ってあるよ」サル

 

まーね。

 

榎倉康二(1942‐1995)《無題》 1980年 油彩・綿布

 

榎倉康二の作品は(もの派の他の作家と比較すれば)装飾的で造形も示唆的だ。眼の前には油を滲ませたような二枚の綿布。

 

 

滲みだし浸食される二枚の布の関係性。

 

《滲む》という関係性があるからこそ、二枚は確実に存在すると僕らは考える。

 

「滲んだように塗られているだけで、裏には黒い布がないってことも?」サル

 

ありうるでしょ。関係性によって強く布の存在が浮かび上がる。《存在》という概念を《もの》の関係性で造っている訳だ。

 

「もうよい」サル 吐きそう

 

まだあるんだよ。もの派の重鎮・李禹煥だ。

 

李禹煥(1936‐)《関係項》1983年 石、鉄板、ガラス

 

おサルが吐きそう(失礼)なので観て美しいものを。

 

李禹煥(1936‐)《点より》1979年 岩絵具、膠、布

 

キレイでしょ。これも同じ作家の作品だよ。シナプスを走る電気信号みたい。

 

 

仔細に確認すると、丁寧に彩色されている。モノクローム・ペインティングの代表作。

 

 

第Ⅳ章 虚実の混交② 次元を超えて

 

最後は三次元作品から電子作品まで。

 

ジャコメッティ(1901‐1966)《石碑Ⅰ》1958年 ブロンズ

 

プリミティブアートの影響が見て取れるね。

 

ナウム・ガボ(1890‐1977)《構成された頭部 №2》1966年 コールテン鋼、着色

 

ロシア・アヴァンギャルドの第一人者だ。キュビスムと未来派が混然一体となった感じ。

 

井田照一(1941-2006)《Between Globe and Globe-Twelve Months》 1989‐91年 ブロンズ

 

井田は版画を中心に活躍し、世界のコンペティションに参加し続けた。

 

ジム・ダイン(1935‐)《植物が扇風機になる》 1973‐1974年 アルミニウム

 

カラフルなハートで知られるポップアートの第一人者。植物が扇風機にメタモルフォーゼしている。

 

 

「観て愉しい」サル サルでも判る

 

ジョージ・シーガル(1924‐2000)《ラッシュ・アワー》1983年 石膏、著色

 

石膏の包帯で直接人体から型取りするシーガルの作品だ。

 

 

この作品面白いんだ。観る角度で雰囲気が変わるんだよ。こうしてみると疲れた勤め人の群れ。

 

 

やや仰角だと、勇まし気な弁護士か公正取引委員会の集団。

 

 

横から見ると悲し気な葬式帰りの近親者たち。さすがシーガルだ。

 

今村遼祐(1982‐)《街灯と辞書#2》2015年 ミクストメディア

 

京都市立芸術大彫刻科を卒業された今村さんは、日常の生活品の中に光などを灯した箱庭的な幻想世界を制作している。

 

「こういうの日本人好きだよね」サル

 

今村源(1957‐)《レイゾウコとヤカン》2003年 冷蔵庫、ケトル、アルミ

 

デュシャンの影響かな。今村さんは関西を中心に日用品を用いたオブジェの制作で活躍している。

 

菅井汲(1919‐1996)《小鬼》1962年 ブロンズ

 

これは抽象化された人物と判った。菅井汲は円や曲線など単純化されたフォルムで注目された。やはり関西の抽象彫刻のリーダーのひとりだった。

 

森口宏一(1930‐2011)《作品》1980年 真鍮

 

関西大学経済学部卒の変わり種。在学中からアートにハマり、やがて金属彫刻に範囲を広げる。工業用資材で幾何学な作品を制作。関西の抽象彫刻の第一人者として斯界をリードした。

 

堀内正和(1911‐2001)《線 a》1954年 鉄、セメント

 

兵庫県立美術館は抽象彫刻に力を入れているね。京都育ちの堀内は鉄を溶接した作品で名をあげた。

 

「テレビ?」サル

 

NHKの全国放送が始まったのが1953年2月。エポックメイキングな出来事だったから当たっているかも。
 

でもさ。

 

 

ほら。角度を変えると手を挙げた人間にも見えるよね。

 

「キミは角度を変えるのが好きやのー」サル

 

いろいろな角度でつぶさに観察する。この姿勢、アート全般に共通すると思うよ。ということで映像インスタレーションを観て終了した。長い一日だった。

 

セザール(1921‐1998)《エッフェル塔-板状》1989年

 

最後に入り口前の彫刻に挨拶して灘駅に向かった。

 

 

この日は特に夕食の予約はない。さて、どこでおサルにワインをご馳走するか。

 

「ワインわいん」サル 飲もう飲もう♪

 

(おわり)

 

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