旅の思い出「清春芸術村」 白樺派と現代建築の旅(山梨県・長坂) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

清春芸術村

℡)0551‐32‐4865

 

往訪日:2023年8月19日

所在地:山梨県北杜市長坂町中丸2072

開館時間:(月曜休館)10:00~17:00

観覧料:一般1,500円 大高生1,000円

アクセス:中央道・長坂ICから約15分

駐車場:あり(10台ほど)

 

《フランス郊外…のような気がする》

 

ひつぞうです。甲府市内に宿泊した翌朝、再び西に進路をとりました。向かった先は長坂町の清春(きよはる)芸術村。ここは画廊経営者・吉井長三氏(1930-2016)が私財を投じて実現した白樺派の理想郷。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

 

かつて清春という集落があった。大正14年設立の旧清春小学校の跡地に、吉井氏は武者小路実篤から聞かされた白樺派の芸術村実現の構想を抱く。そしてラ・リューシュの前身たる清春荘を1980年に開設。ここに清春芸術村の歴史が始まった。

 

 

小学校の記念樹の桜は、今でも春になれば満開の花を咲かすという。

 

 

1981年にアトリエ、ラ・リューシュが完成。その二年後には美術館建築の名手・谷口吉生設計による清春白樺美術館、加えてルオー礼拝堂が竣功。その後も名建築が加わり、建築と美術の隠れ里を形成した。

 

(村内配置図)

①ラリューシュ、②清春白樺美術館、③光の美術館、④ルオー礼拝堂、⑤茶室《徹》、⑥梅原龍三郎アトリエ、⑦白樺派図書館、⑧清春登り窯、⑨エッフェル塔の階段、⑩清春ガス窯 ※レストランは改修中

 

「画廊ケイエイって儲かるんだ」サル

 

じっくり鑑賞すると1時間。ふむふむと流して見れば30分。観る人次第で所要時間は大きく変わる。

 

では早速鑑賞していこう。

 

 

まずは芸術村の象徴ともいえるラ・リューシュ(フランス語で《蜂の巣》)から。パリ万博のワイン館としてエッフェルが設計した。20世紀初頭のモンパルナスに世界中から集まったエコールドパリの芸術家たちは誰もが貧困に喘いでいた。そこで建物を彫刻家ブーシェが購入。東欧系の貧しい芸術家のための円形集合住宅として供用された。

 

その後、解体の危機が訪れる。吉井氏が購入の意欲を示すが、フランス国内の存続が決まり、清春村にはレプリカが建設された。

 

オシップ・ザッキン《メッセンジャー》 1937年

 

ベラルーシ出身のユダヤ系彫刻家ザッキンはキュビスムによる豊かな量感の彫刻を数多く残した。親日家としても知られ、大阪の御堂筋を始め、国内にもパブリックアートが多数存在している。

 

「柴犬が繋がれているにゃ」サル

 

ここのマスコットかな。

 

 

=白樺図書館=

 


2002年開館。雑誌「白樺」の復刻版やゆかりの作家の図書が保存されている。

 

「でも非公開なんだにゃ」サル おカネ払ってるのに

 

観光だけの施設ではないみたいね。

 

 

内部見学できるのは白樺美術館、光の美術館、ルオー礼拝堂の三箇所。

 

 

=光の美術館=

 

 

2011年に開館した安藤忠雄氏設計のとっても小さな美術館。

 

 

人工照明は一切使用されていない。

 

 

季節折々の光の演出を愉しむ場所。だから晴天の日を狙った。

 

 

「美しいのー」サル

 

 

コンクリートの質感が生きている。

 

 

ピカソの後継者と言われたアントニ・クラーベ(1913-2003)の作品が展示されている。バルセロナ出身の画家らしいが、全然知らなかった…。

 

 

子供の落書きにしか見えない。

 

「子供の絵のように描くのって逆に難しいよ」サル

 

それは判るけどさ。

 

 

元は装飾画家だったそうだ。1913年にピカソに出逢い、画業に専念するようになった。確かに(ネットで)版画作品を観ると、実験的で思想性を感じる名品ばかりだけど…。このクレヨン画は…凡人に芸術家の想像力は推し量れない。

 

 

むしろ安藤忠雄氏の光の芸術に惹かれる。

 

 

静か…。

 

 

暑さのせいか早すぎるせいか、殆ど観光客がいないのが嬉しい。

 

「変な階段がある」サル

 

 

=エッフェル塔の階段=

 

 

エッフェル塔完成100周年記念の1989年にフランス政府より塔の一部が寄贈された。10年ほど前の写真をみると黄色で塗装されて、やや古色を増していたが、エッフェル塔らしいシブい銅褐色に塗り替えられていた。

 

セザール《オマージュ・ド・エッフェル》 1989年

 

その隣りには、フランス現代彫刻の巨匠セザールの作品も。塔の設計者ギュスターヴ・エッフェルの像を寄贈したそうだ。セザールといえば屑鉄などを圧縮する圧縮(コンプレッション)彫刻が有名だ。先日拝観した兵庫県立美術館にも展示されていたね。

 

「忘れたよ」サル

 

これだよ。

 

(参考再掲)

 

「なにこれ」サル 屑鉄じゃんね

 

エッフェル塔の廃材を溶断して圧縮したものだよあせ 覚えとらんのか。

 

 

逆に後年は膨張彫刻という人体の一部を拡大したブロンズ作品を送り出した。ここにも《親指》という彫刻がある筈なんだけど…。ないね。(スタッフに確認したところ貸与期間を過ぎたのでフランス本国に返還したらしい。残念。)

 

 

これ、何だろうね。説明がないので判らん。

 

 

ストーブとランタンがあるけど。理解不能。

 

「サウナじゃね?」サル

 

 

=茶室《徹》=

 

 

判る人ならば一見して判る建築史家・藤森照信氏の作品(2006年完成)。もともとこの地に植生していた樹を用いて、路上観察学会の仲間(赤瀬川原平、南伸坊、林丈二)が集まって作った空中茶室だ。

 

 

梯子を取り付けて昇る仕組み。木肌と土の風合いを活かした処が藤森さんらしい。

 

 

その奥には清春登り窯が見える。敷居の外なので全貌が見えないけど。

 

「おサルはここまででいい」サル

 

ダニがいそうだものね。

 

 

では奥の建物へ。

 

 

岡本太郎の彫刻《無題》は健在。

 

 

次はルオー礼拝堂だ。

 

「彫刻があるにゃ」サル

 

 

ニョロニョロ?

 

 

ホウキタケ?

 

 

=ルオー礼拝堂=

 

 

1986年完成。設計は谷口吉生氏。フランスの宗教画家ジョルジュ・ルオーを記念した礼拝堂だ。白樺派にとってロダンルオーは特別な存在だったからね。

 

 

堂内は厳粛な雰囲気に満ちていた。

 

 

祭壇に掲げられた17世紀の制作と言われる十字架はルオー自身の彩色。

 

 

版画《ミセレーレ》がズラリ。

 

 

天蓋のアーチが見事だ。

 

 

現代の名建築だね。

 

 

こうしたゆかりの品は次女のイザベラが寄贈したものらしい。

 

 

《ブーケ》と名づけられたステンドグラスもルオーの作品だ。

 

 

=清春白樺美術館=

 

 

こちらの建物も谷口吉生作品。まずは高田博厚の彫刻が出迎えてくれる。

 

高田博厚《遠望》

 

フランスゆかりの彫刻家で文筆家としても名高い高田は『幸福論』で知られるアランマティスを導いた新印象派のシニャック、そしてルオーらと広く交際した。個人的には、流れるようなフォルムとニンフのようなエロティスムが魅力の裸婦像に心惹かれる。この作品《遠望》は、むしろ例外的に肉付きがよく、野暮ったい印象を受けるが、“部分”に目を凝らすと、凝視する作家の眼差しが感じられる。

 

 

例えば、この臀部。どうだろう。前身とは違って余りにキュートではないか。そして、続く大腿四頭筋の控え目な隆起。モデルの細部の美をひとつひとつ観察し、再構築する眼と指。それらが部分を全体へと協奏させる。素晴らしい。

 

「ハイハイ」サル いくよ

 

内部は残念ながら撮影禁止。

 

白樺派同人が思慕してやまないロダンゆかりの品が陳列されていた。有島三兄弟のひとり、画家の有島生馬が1910(明治43)年に雑誌『白樺』と浮世絵30点を熱烈な手紙とともにロダンに送ったことから交流が始まる。感動したロダンは《ロダン婦人の棟像》《巴里ゴロツキの首》《ある小さき影》ブロンズ三点を返礼品として送った。

 

左端が武者、右端は志賀先生

 

リーダー格で感動屋の武者小路実篤は、是非とも自分たちの美術館を設立しようと声をあげる。『白樺』(第8年第10月号)に「美術館を作る計画に就て」と題した長文を寄せ、官立美術館がいかに“対応が冷たく、そのうえ黴臭く信用できない”かを滔々と論じ、唾棄している。冗長だが読むと面白い。

 

「それくらい国は新しい芸術に無理解だったのにゃ」サル

 

そのうえで白樺会員に期限付きで募金を募っている。今でいうクラウドファンディングである。しかし、設立に至らなかったあたり、新しき村同様に、空振りに終わったのだろうか。

 

次にルオー。おなじみの《聖顔》の一枚の前にたたずむ。厚塗りでそれ自体が一枚の宗教画のような静謐な絵だ。だが、実際のルオーはとんでもない早口で、フランス語が堪能な有島生馬さえ通訳が追いつかなかった。それを眼にした白樺派の同人は驚嘆したらしい。

 

そして志賀直哉。当館には1120点の旧蔵品が寄贈されている。特に近況を記した有名なペン画の自画像を観ると、やはり白樺派の作家は絵も旨いなあとシミジミ思ってしまう。どれもこれもいい作品ばかりだった。

 

美術館を鑑賞したら再び屋外へ。

 

 

=梅原龍三郎アトリエ=

 

 

新宿にあった梅原龍三郎アトリエが1989年に移築された。梅原の画業については改めて語るまでもないが、このアトリエは数寄屋建築の名手・吉田五十八の設計による名建築。凄まじい速度で失われつつある吉田の作品だけに貴重だ。

 

「藪の奥ってのが可哀そうだにゃ」サル

 

この季節はね。

 

もともと画家志望で、白樺派と交流のあった吉井氏は、志賀直哉、東山魁夷、小林秀雄、白洲正子、井伏鱒二、谷川俊太郎など、文化人と広く交際した。

 

 

小林秀雄清春小学校の桜を殊のほか愛した。吉井氏に芸術村開設を勧めたのは他でもない小林だった。開設を記念して鎌倉の小林邸から移植したのが、この枝垂れ桜らしい。

 

「やっぱりここは春に来るべきでは?」サル

 

かもね。暑いし…。

 

 

外から見ると伝統的な数寄屋風だが、鴨居も長押も省略された大壁造りになっている。

 

 

梅原が好んだベンガラ色の京壁と床の間が印象的。床柱も簡略化されている。広いアトリエだ。

 

「いい絵が描けそう」サル

 

 

天井の採光も美しい。

 

今では料亭や旅館でよく見る近代数寄屋造りは吉田の先見性に始まることが判る。

 

 

ということで盛りだくさんだった。細かく見ると1時間では終わらなかったね(笑)。

 

「時間掛けすぎだにゃ」サル

 

 

ラ・リューシュ内部は見学できない。一部が休憩所とショップ用に開放されていた。

 

 

いつまでも続いて欲しい建築と美の素敵なコロニーだった。このあと食事して温泉宿に向かった。

 

「ランチ何にするかのー」サル

 

(つづく)

 

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