名建築を歩く「神奈川県立音楽堂」(横浜市・紅葉ヶ丘) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

名建築シリーズ22

神奈川県立音楽堂

℡)045‐263‐2567

 

往訪日:2023年7月15日

所在地:神奈川県横浜市西区紅葉ヶ丘9‐2

見学開催:月1回(1ヶ月前から予約受付開始)

見学時間:13:15~/16:15~(各80分)

見学料:500円

見学者数:約50名/回

アクセス:桜木町駅から徒歩約7分

駐車場:31台(200円/30分)8:30~22:30

■設計:前川國男

■神奈川県指定重要文化財

 

《コンクリートと光の協演》

 

ひつぞうです。先月の帰省に併せてモダニズム建築の傑作、神奈川県立音楽堂を見学しました。ル・コルビュジエの一番弟子である前川國男の代表作でもあります。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

戦後建築に興味を抱かなければ、音楽会を除いてこの建物に注目することはなかっただろう。ドラマ『名建築で昼食を』を観たことで、僕らの居住エリアに前川國男の作品が存在していることを知った。しかし、その頃の関心は「ふんふん」という程度だった。

 

「ふむふむ」サル そーだったわね

 

四月以降に板についてきた街歩きを兼ねた早朝のジョギング。ある朝、野毛山公園からみなとみらいまで周回した。野毛坂をくだり、紅葉坂へと繋いでいく。とりわけ好きなコースだった。暫くすると伊勢山ヒルズのチャペルが見えてきた。その時だった。

 

 

バルコニー前面が張り出した特異な建築物が迫ってきた。矩形に落ち窪んだ上層階の窓。打ちっ放しコンクリートのピロティ。どこかで見た記憶のある意匠だった。1962年竣工の神奈川県立青少年センター。前川國男の作品であることは後日知ることになる。

 

 

(これは音楽堂見学の際の写真。催し物が開催される日以外はロビー手前までしか入館できない。全体が写り切れていないが、前川らしいモンドリアン風の赤・黄・緑の三色が配色されたスマートな内装だった)

 

敷地内に眼をやれば、広く駐車スペースが確保されて、奥には水平を軸とした建物が二棟並んでいる。もしやこれは…。

 

 

そう。前川の設計によって1965年11月4日に開館した神奈川県立音楽堂(右)と同じく県立図書館(左)だった。偶然にも将来訪れたいとボンヤリ思っていた名建築に図らずも出逢った瞬間だった。

 

 

この日は素晴らしい晴天だった。しかも早朝なので一般車は勿論、人ひとりいない。独り占めだった。

 

 

県立図書館はその後、老朽化と収納スペースが手狭になったため、本館が新たに建設され、旧本館は前川國男館として存続。ただし、間の悪いことに、現在改修工事中だった。暫くは見学できない。

 

「ひつぞうっぽい」サル

 

 

去年の4月に休館したばかりだったんだ…。

 

 

ということで早速自宅に戻り、音楽堂の見学ツアーに申し込んだ。月一度の狭き門で、土曜の13時15分と16時15分スタートの二コマ開催される。一箇月前からネットで受けつけ開始で先着順。その月は満員だったので7月分を改めて予約した。モダニズム建築など一部の構造屋しか興味を持たないのではと高を括っていたが、意外にも高倍率だった。

 

★ ★ ★

 

無事予約をすませていよいよ当日。暑いさなか、運動を兼ねて歩いて会場に向かった。

 

 

ここって神奈川奉行所の跡地内だったんだね。初めて知ったよ。

 

「長く暮らしているのににゃ」サル

 

地元の史跡って知らないものだね。

 

 

「随分目立つ入り口だにゃ」サル 塗り替えたん?

 

いやいや。これも前川のアイデアなんだよ。

 

実は13時にならないと入り口は開かない。だが(僕と同じせっかちな建築ファンが数名たむろしているうえ)外は茹だるような蒸し暑さ。熱中症で倒れられたらマズいと判断したのだろう。早めに開錠してくれた。狙い通りだ。

 

「悪い客だよ」サル

 

 

ほら。中もカラフルでしょ。モンドリアンの絵画みたいに。これもル・コルビュジエ譲りの手法なんだ。上野の東京都美術館も同じだよ。

 

 

劇場後方のホワイエに回り込む。観客席の段差がそのまま天井に反映されている。化粧板などの無駄を排除するいっぽう、無機質な構造を逆手にとって意匠化しているんだね。斜めの梁と面取りされた楕円形の支柱の構造的なつり合いが美しい。

 

 

「ロッカーも緑色に塗られていゆね」サル

 

たぶん、これは後から手を加えられたものだろう。竣工時の写真を見るとダクトもついていないし。

 

 

このスタンドも前川のデザインなんだよ。とにかく照明から小道具まで全部設計の対象だったそうだ。

 

 

「垂れ下がっているのは排気孔?」サル

 

いや。照明だよ。真下にいくと判る。

 

 

舟形の間接照明も近未来的でいいよね。時代を表している。

 

 

側面はすべてガラス張り。照明と採光にこだわる前川作品の特徴だ。揺らぎがみえることから手延べガラスと思われる。支柱の楕円は誰がどうやって作ったと思う?

 

「樽職人の技なんじゃね」サル どこかで同じような説明うけたよ

 

正解。今でもコンクリートの型枠の多くは職人技なんだ。床にも注目しよう。

 

 

「公共施設の床でよく見るけど」サル

 

大理石や御影石の砕石をモルタルに混ぜて打設するテラゾー仕上げだね。今の時代は機械加工式の部材を嵌め込んでいくけれど、当時は職人が手作業で打設して磨き仕上げを施している。だから鏡のように反射するんだよ。昭和29年竣工だからね。戦禍の痕が色濃い時代に、よく造ったと感心するよ。

 

 

この階段が前川國男だよね。

 

 

中空に浮き上がった階段はとっても軽やか。最下段は末広がりになっていて、踏み外し防止の役割を果たしている。構造的合理性と実利的配慮が同居している点も見逃せない要素だね。

 

「カーペットの色もキレイ」サル

 

 

この手に馴染むカーブ。ここまでやるかって感じだ。

 

 

音楽堂と図書館の建設を推し進めたのは神奈川県知事の内山岩太郎だ。

 

シルク博物館もそうだったにゃ」サル

 

そうそう。よく覚えているじゃん。政治家として辣腕をふるった内山は、文化活動にも理解の深い教養人だった。1951年に国内初の公立美術館として神奈川県立近代美術館(鎌倉館)坂倉準三の設計で完成。県立図書館建設の機運も高まるなか、どうせなら一度にやろうと内山は本腰をあげる。

 

 

しかし、当時は戦後の生活難の時代。娯楽施設に税金を投じるなど論外という反対意見が多勢を占めた。そこで内山は一計を案じる。音楽堂ではなく“公会堂”という名目で議会に掛けたのだ。

 

「どういうこと?」サル

 

「戦後民主主義を進めるために議論の場である公会堂を建設する」というアイデアは理に適っていたからね。音楽会はその“おまけ”という論法をとったわけよ。

 

「詭弁なんじゃね」サル

 

それが政治だよ。設計コンペに集まったのは坂倉準三、武基雄、丹下健三、横浜スタジアムの吉原慎一郎、そして前川の五名。すべてを託された前川は、内山の期待に応えるべく、低予算で最新の建築、県民の憩いの場に相応しい建築を目指して知恵を絞った。

 

 

客席の段差とレベルを併せているので階段の勾配もすごく緩やか。全てが繋がっている手摺はバリアフリーの考えをいち早く実現したものと言える。そして彩色。同じ緑と青でもちょっと違うよね。

 

 

建築家にならなかったらペンキ屋になりたかったっていうほど彩色には拘り抜いた。

 

 

天井が低いのも特徴だ。

 

 

前川のスケッチ(複製)。当初から図書館と音楽堂が連結構造だったことに注目。

 

「なんで配置がズレてるんだろうにゃ」サル デッドスペースなんじゃね

 

「市民の憩いの場を設けよう」という前川一流の企てなんだよ。土地のない日本ではまず生まれなかった近代建築の在りようを示したんだ。今ではパブリックスペースの設置は当たり前になったけれどね。

 

 

手前の広大な駐車場(のスペース)も最初から構想されていたことが判る。

 

 

周辺の植生も設計の対象だったみたいね。

 

 

武蔵野美術大学・高橋晶子研究室制作の模型。高橋先生は神奈川の公共デザインにゆかりのある建築家だよ。高度成長期に一時代を築いた篠田一男の後継者の一人だ。こういう出逢いが建築散歩の面白いところ。

 

「いっぺんにいろいろ言われてもにゃー」サル 覚えられん

 

では屋外へ。

 

 

「ランドマークタワーがみえる」サル

 

眼の前に見える神奈川婦人会館も前川の設計。閉館して見学できないのが残念だ。

 

 

図書館と繋がっているね。この穴の開いた壁も特徴のひとつだ。

 

 

ホローブリックというロの字型のブロックは手作業で積み重ねられた。和らいだ光が屋内に流れ込む仕掛けだ。ちなみに建設当初は常滑焼だったが、改修によって信楽焼に変更されている。

 

では内部へ。

 

 

4~6人の小グループに分かれて、それぞれボランティアスタッフの説明を受けながら60分ほど見学する。ちなみにステージ上で調子に乗っているのはおサル。

 

 

「天井がナミナミだにゃ!」サル

 

波状に加工したベニヤ板を白く彩色して取りつけてある。物資難の時代によくやったと感心するよ。

 

 

座席の色も美しいね。なお、竣工後に二度改修され、最前列の席は撤去されている。狭いってことね。

 

 

編笠型の間接照明も美しいね。同じ前川作品の東京文化会館は不思議な幾何学模様のデザイン。同じ音楽堂でも最初から音楽の殿堂として設計された違いがあるんだろう。

 

 

建物は鉄筋コンクリートだけど、ホール内部は全て木製。温かみのある音色に配慮したんだね。ちなみに当ホールの残響は1.7秒。サントリーホールは2.1秒。長ければ好いってものではないらしく、演奏家によって好みが分かれるそうだ。

 

 

壁面上部に若干経年劣化が現れている。最小限の補修ですませて、できるだけ現行の部材を活かしたいのだそうだ。

 

 

勿論この小物も前川のデザイン。モダンだね。

 

「萌黄色のカーテンが綺麗だの」サル

 

好い所に気づいた。音楽堂なのにカーテンって変だと思わない?

 

「そうかにゃ」サル

 

普通緞帳でしょ。カーテンコールの時にあがったり下がったりして。

 

「そういえば」サル

 

公会堂という建前で建設したからなんだって。

 

 

演目がオペラやバレエの際は、このパネルを取り払ってオーケストラピットに早変わり。ただ滅茶苦茶重いし、最近演じられたこともないって。

 

「宝の持ち腐れなんじゃね」サル

 

是非観てみたいね。

 

 

サルサルオンステージ。

 

 

倉庫も見学させて頂いた。とても貴重な楽器が保管されている。

 

「天井が一段と低くなっている」サル

 

 

ここは元屋外駐車場だったそうだ。公会堂という建前だったからそこまで配慮されていなかった。

 

他にも同じような設計ミスがある。次は楽屋だ。

 

 

「柱がドンと立ってゆ」サル

 

一見すると最初から想定されたデザインのようだよね。

 

「違うの」サル

 

この部屋もあとから付け足したんだ。だから殺せない支柱がこんな具合になった。

 

 

コンマスの部屋は立派だった。こんな機会がないと入れない。

 

ボランティアさんの計らいで一階の屋外へ。

 

 

音楽堂と図書館を繋ぐピロティ。今は唯の廊下みたいだけど、オープン当初はレストランだった。

 

「どういうこと?」サル

 

前川は建物の一番眺望のいい場所にレストランを配置することを重視にしたんだ。もともと美食家で音楽やモードにも精通した趣味人の側面もあったしね。東京都美術館のレストランも同じ思想で配置されている。往訪する機会があれば観察してみよう。

 

 

そとのラインがロビーのテラゾーと繋がっているでしょ。“神は細部に宿る”だよ。

 

「また言ってるよ」サル ヒツのひとつ覚えだにゃ

 

ということで残りの20分は自由見学。皆撮影に必死だったね(笑)。

 

 

最後に新しい県立図書館(2022年9月オープン)を訪ねてみた。昨年できたばかりの建物をよく観察するとホローブリック調の小さな木工ブロックがデザインされ、側面には旧本館に採用されたブリーズ・ソレイユを模した支柱が絶妙な採光を可能にしている。前川國男へのオマージュと察した。あっという間の一日だったよ。

 

「音楽会に連れてってちょ」サル そのあとワインもお頼む

 

(おわり)

 

ご訪問ありがとうございます。