ヒツジの街歩き「シルク博物館」で名建築とシルクの不思議な世界を堪能する(横浜市・山下町) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

シルク博物館

(シルクセンター国際貿易観光会館)

℡)045-641-0841

 

往訪日:2023年6月4日

所在地:横浜市中区山下町1 シルクセンター2F

開館時間:(月曜休館)9:30~17:00

※臨時休館日あり

入館料:一般500円 大学生300円 小中高学生100円

アクセス:みなとみらい線・日本大通り駅から徒歩約3分

 

《これもまた名建築》

 

ひつぞうです。街歩きシリーズの続きは、横浜開港資料館の向かいにあるシルクセンターでした。明治時代の日本の主力産業と言えば生糸。その集積地が横浜だったことは有名ですね。1959(昭和34)年に神奈川県知事、内山岩太郎が開港100周年事業として建設しました。実はここ、ル・コルビュジエ三羽烏のひとり、坂倉準三の設計なんです。以下、往訪記です。

 

★ ★ ★

 

自然な流れでお次はシルクセンターへ。

 

ここはパスポート更新のために通ったくらいで、そもそもどういう目的の建物か知らなかった。

 

「名建築にハマったおかげで知ったんでしょ?」サル

 

そうそう。

 

 

建設された場所は英国貿易商社ジャーディン・マセソン商会の跡地。高度経済成長の只中、横浜港開港100周年にむけて、内山知事は貿易港横浜の基幹輸出品であるシルクに特化した博物館を構想する。

 

 

官民一体となったプロジェクトは、その後、貿易振興機関と業団体が入居する一大センターへと構想が拡大。こうして昭和34年2月に地上8階建ての鉄筋コンクリートビルが完成する。抜擢されたのは坂倉準三

 

 

なおかつて五階から上はシルクホテルだった。そのため、建物の上に建物が乗る構造になったそうだ。残念ながら客足減少と耐震性の問題からホテルは廃業。現在はオフィスになっている。

 

 

入り口で彫刻家、安田周三郎の作品《絹と乙女》が出迎えてくれる。安田善次郎が築いた安田財閥の三代目なんだよ。

 

「すっごく豊満だの!」サル

 

富の象徴なんじゃない?

 

 

シルク博物館へは外付けの階段で二階へ。

 

 

この日は企画展「絹を彩る鳥たち」が開催されていた。

 

「あれ?“絹を織る鳥”ってヒツ言ってたよにゃ?」サル

 

勘違いだったみたい(笑)。

 

「面白い生態が観察できると思ったのにー」サル なんだよー

 

 

どうです。坂倉作品の中では地味な部類だけど、建物の外側を囲むような太い柱と梁の構造が素晴らしいね。打ち放しコンクリートの外観は今ではありふれた意匠だけど、昭和30年代の日本では斬新だったはずだ。師匠のル・コルビュジエは1932年にスイス学生会館で採用している。

 

「周辺の新しい建物の中にあると普通に見えるけどにゃ」サル 知らんかった

 

そうだね。

 

 

床の波模様とか…

 

 

鉄格子の表現主義的なデザインに、坂倉が細部にそっと忍ばせた美を感じる。

 

「では入館するだよ」サル めっちゃ地味な感じがするにゃ

 

 

いきなり昭和テイスト(笑)。

 

「昭和というか、安かろう悪かろう時代のアジアンテイストだの」サル

 

館内は(接写以外は)撮影OKだよ。

 

 

 

=不思議ファーム=

 

まずはシルクに纏わる豆知識と、養蚕や機織りの解説コーナーから。

 

 

「いきなり気持ち悪いんだけど」サル

 

繭を作る蛾の仲間だね。

 

「山で見たことあるよ」サル 緑とかアミアミのやつとか

 

形に特徴があるウスタビガヤママユガの繭は、晩秋になると稀に見かけるね。

 

※以下閲覧注意!

 

 

「きゃ~~~!」サル

 

ウガンダやザイールに棲息するアフリカ産の蛾の仲間アナフェの繭だ。ソフトボール大の繭を破るとこんなに芋虫が詰まっている。きもちわるーい。集まってひとつの繭を作るって。

 

これに較べればお蚕様なんて可愛いものよ。

 

 

でも1齢幼虫は毛虫だからあんまり拡大したくないね。

 

「ムシはもういい!」サル

 

 

5齢幼虫になると蛹になるのは近い。(レプリカだと思ったら本物だった)

 

 

こういう成熟した幼虫を熟蚕(じゅくさん)と呼ぶそうだ。

 

 

熟蚕は人間が用意した回転蔟(かいてんまぶし)の中で二日かけて繭になる。繭糸腺と呼ばれる内分泌腺から生糸の原料を吐き出すんだね。

 

 

こんな感じだ。

 

 

こんなに種類があるとは知らなかったよ。

 

「色、形、大きさ、全部違う」サル

 

 

富岡製糸場で一度観たのでスルー。

 

 

実際に自分で糸を繰る方が面白い。煮沸した繭をブラシで解し、糸口を出して巻き取るんだね。

 

 

天然染料もこんなにあるんだね。

 

「梅やオニグルミでも染められるんだ」サル

 

おサルさ。下段の右から三番目にラックってあるでしょ。

 

「鮮やかな赤いヤツ?」サル

 

そうそう。これ原料なんだかわかる?

 

「え?ただの木の枝じゃね」サル

 

よく見ると判るけど、ラックカイガラムシという虫がビッシリこびりついているんだ。その分泌物で染めるんだよ。インドとか東南アジアではポピュラーだよ。

 

「どーして気持ち悪いものばかり教えたがる!」サル 

 

愉しーかなーと思って。

 

 

=しらべライブラリ=

 

 

展示室の天井がメチャ低いと思うのは僕だけ?

 

 

北関東、諏訪、福島など、全国から横浜に生糸を運んだんだね。日本版シルクロードだ。

 

 

ほら。左上の端にジャーディン・マセソン商会の建物が見えるよ。

 

※以下閲覧注意!

 

 

「またムシ~!」サル

 

まあ。蛾も幼虫も気持ち悪いっちゃ気持ち悪いね。でも世界中で動物性繊維として役に立ってきたのも事実だし。

 

 

シルクの生産量って、現在は圧倒的に中国なんだなあ。ついでインド。日本の産業構造大丈夫か。

 

では二階へ。

 

 

=シルクのあゆみ=

 

 

ここでは世界中の民族衣装が見学できる。手前はインドのサリー。

 

 

インドネシアの民族衣装。

 

 

「ベトナムのアオザイにゃ」サル

 

民族衣装ってぜんぶ絹織り物だったんだ。

 

 

ブータン国王夫妻が今上天皇皇后両陛下の結婚式に参席されたときに見たね。

 

 

これって本物…だろうね。18世紀フランスの宮廷衣装ローブ・ア・ラ・フランセーズ。張り出したペチコートと前身ごろのヴァトープリーツが印象的なロココスタイル。

 

「しゅてき~💕」サル

 

 

=企画展 絹を彩る鳥たち=

 

帷子 白麻地桐唐草に鳳凰模様摺匹田繍(江戸時代後期)

 

中国では吉祥とされる伝説の鳥、鳳凰は桐の樹下で暮らすという。なのでこうした組み合わせになるのかな。

 

木村雨山作 二曲屏風《楽園》 1933(昭和8)年

 

加賀友禅の傑作らしいよ。当時、加賀友禅は衰退の一途で、職人の多くは京都に出てしまった。だが、雨山は加賀に残って、大西金陽(染織)と和田雲嶂(南画)に教えを請い、伝統美を極めたそうだ。その結果、第15回帝展で特選を受賞。その道の大家となった。

 

 

織りも意匠も素晴らしい。鳳凰といえば飛翔する姿が多いが、これは不老不死の果実、蟠桃に止まる姿を描いている。クジャクとヤマドリからデザインを起こしたんだろう。

 

これも珍しい。

 

 

生糸メーカーの商標ラベルだ。

 

「片倉ってあの片倉館の?」サル

 

そうそう。当時は相当羽振りが良かったからね。

 

 

「鳥が多いにゃ」サル

 

飛翔するイメージが縁起がいいからかな。他にも魚や昆虫、花など、たくさんの図案があったそうだ。

 

最後に近代の作家の逸品で終わろう。

 

田島比呂子 訪問着《かつら》縮緬地友禅染(1994年) 

 

田島比呂子(1922‐2014)は人間国宝の友禅染織作家。ちなみに「ひろし」と読む。男性のアーティストだ。

 

 

織そのものも繊細だが、シジュウカラの絵柄が素晴らしいんだ。一羽として同じ形はなく、鳥が会話する生き物であることを細かいニュアンスで表現している。田島の考案した堤出し友禅という技法は、輪郭に糸目をつけずに蝋で染織する。カツラの枝や葉の版画のようなタッチは、この技法があって初めてなしえるそうだ。

 

「いいもの観た」サル

 

でしょ。

 

「でもフウチョウのダンスも観たかった」サル

 

 

観れんて。そんなの。ニューギニアにいかんと。

 

 

まだ一日は長い。現代の名建築でランチすることにした。

 

(つづく)

 

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