ヒツジの街歩き「象の鼻テラス」で食とアートと建築美(横浜市) | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうとおサル妻の山旅日記

ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

象の鼻テラス

℡)045-661-0602

 

往訪日:2023年6月4日

所在地:横浜市中区海岸通1丁目

営業時間:(年中無休)10:00~18:00

料金:入場無料

アクセス:みなとみらい線・日本大通り駅(1番出口)から徒歩約3分

 

《新旧の名建築が集まる海岸通り》

 

ひつぞうです。シルクセンターで美しい絹織物に感動し、イモムシにゲンナリしたあと、海岸通りの《象の鼻テラス》に向かいました。江戸幕府が築造した東波止場(通称:象の鼻)に、開港150周年事業として2009(平成21)年に整備された象の鼻パークの飲食&アートスペースです。突堤の湾曲した構造が象の鼻のように見えることに由来します。そしてここはアトリエ系建築家・小泉雅生先生の設計による現代の名建築なんです。以下、街歩記です。

 

★ ★ ★

 

名建築をめぐるなら早朝がいい。

 

実はこの日、この場所を訪ねようと思いついたのは、日課のジョギングで偶々通り過ぎたからだった。

 

早朝、桜木町の駅前から、ランドマークタワーが見渡せる汽車道を抜けていった。白い華奢なトラス構造が美しい港一号、二号橋梁がアメリカからの輸入品とは知っていたが、中路式のガーダー橋である三号橋梁浦賀船渠(のちに住友重機械工業が吸収合併)製とは意外だった。新港中央広場を抜けると赤レンガ倉庫や横浜ベイブリッジが並ぶ馴染みの風景が広がっていった。

 

 

夏の草いきれが早朝の海辺を包んでいた。その芝生と同じ平面に、凝ったデザインの建物が見えた。

 

 

これはあの象の鼻テラスではないか。

 

象の鼻テラスは(僕らと同世代の)建築家、小泉雅生の作品だ。小泉先生は、プレファブによるシステム建築を開発した内田祥哉(うちだ・よしちか)の研究室出身(原広司、隈研吾両先生も同門)。更に付け加えれば、内田先生は東大安田講堂などを設計した黎明期の大家・内田祥三(よしかず)の子息。そんな偉大な系譜にあると考えると、今更ながらすごい。

 

「ヒツは権威に弱いからにゃー」サル

 

 

広場の方角からだと横浜税関神奈川県庁旧庁舎新庁舎も並んで見える。

 

 

そして開港時代を象徴する赤レンガ倉庫も。

 

 

「テラスに二頭のちびゾウが並んでいるにゃ」サル

 

ぺリコっていう彫刻作品だよ。

 

 

小舟泊まりの先に象の鼻が見える。ただ、この角度ではごく普通の堤防にしか見えない。関東大震災でその大半が海に沈んだが、公園の再整備で復元されたそうだ。

 

「イマイチ判らん」サル

 

(画像をお借りしました)

 

これでどう?

 

「確かにゾウの鼻だにゃ」サル

 

 

横浜臨港線プロムナード山下公園まで伸びている。かつて山下埠頭と結んだ旧国鉄・山下臨港線は、景観を損ねるという地元の大反対で高架構造になったが、その後のみなとみらい再開発で廃線。人道橋として再利用され、景観に優れたモニュメントになった。皮肉と言えば皮肉だけど。

 

「最近知ったんでしょ」サル

 

解説で読んだ。知らないことを識るって愉しい!

 

 

学校建築や福祉施設の作品が多い小泉先生だけに景観を損ねないバリアフリーな構造が特徴的だ。

 

「この先端から太平洋が望めるよ」サル

 

★ ★ ★

 

ここからは当日の昼以降の話。

 

ランチをいただきに象の鼻テラスを訪ねた。建物の内部は、昼時とあってお客で混みあっていた。ピラーを極力排除した空間は外部の景色と繋がっているように見えた。その嵌めこみのガラス窓には、谷川俊太郎の詩《〈象の鼻》での24の質問》が並び…

 

椿昇 《時をかける象(ペリー)》 2009年

 

手前にはマスコットの《時をかける象》がデンと構えていた。

 

 

天気がいいのでテラスでクラフトビールを飲みながら、ナンピザとサンドイッチを齧った。やや風が強くて押さえながらの食事だったが、どこまでも青い空が広がっていて気持ちがいい。そして、そぞろ歩きする家族連れやカップルで溢れていた。自由が戻ったと思った。この後もう一箇所立ち寄って帰ることにした。

 

「元気だのー」サル サルは足が痛い!

 

(つづく)

 

ご訪問ありがとうございます。