小野岳(1383m) 福島県
うつくしま百名山 東北百名山
日程:2021年11月14日
天気:霧のち快晴
行程:観音堂登山口6:47→9:05山頂9:27→10:50水場→11:11大内登山口11:20→12:28小野入口→12:50観音堂登山口
■駐車場:(観音堂)10台(大内)20台
■登山ポスト:(観音堂)記帳式あり
■トイレ:なし(JR湯野上温泉駅にあり)
■行動時間:2時間15分+1時間15分+(車道)1時間30分
≪湯野上温泉から見る小野岳全景≫
こんばんは。ひつぞうです。落穂ひろいの旅の最終日は福島県の下郷町にある小野岳に登りました。当初は越後平野に面した某山を予定していましたが、どうにも天気が芳しくない。太平洋側であればそこそこ期待できるとの予報。思い切って場所を変えることにしたのです。
★ ★ ★
【小野岳(観音堂コース~大内コース)周回】
水平距離=12.7km(内6.7kmは車道歩き) 累積標高=950m
小野岳の存在は『東北百名山』(山と渓谷社)で知った。また福島テレビが開局35周年記念で選定した「うつくしま百名山」の一座としても知られる。この「うつくしま~」で紹介された山は、県境の幾つかの難峰を除けば、比較的穏やかで気軽に登れる山が多く、新緑の山開きシーズンともなれば多くのハイカーで賑わう。とりわけ小野岳が心惹くのはその山容である。会津若松と南会津を結ぶ国道118号を走ると、湯野上温泉郷に差し掛かるあたりで、巨大な山の塊りが圧し迫ってくる。麓からの標高差は1000㍍にも満たないが、山好きであれば思わず登ってみたくなるほど存在感に満ちている。僕もそんな虜になった一人だった。
残念だったが、下越の山は持ち越しにして、坂下の道の駅あいづで車中泊。ここは広くて新しい。早めに就寝して翌朝四時に出発した。五時前には現地についてしまったので、明るくなるのをJR湯野上温泉駅で待った。少し寝てしまったらしい。慌てて外を見ると、濃い霧の中で夜が明け始めていた…。待っていても仕方がない。五分と掛からない観音堂登山口まで移動。しかし、晴れる様子は一向にない。気温1℃のなかで気が乗らないまま準備を始めた。
「ヒツがノリノリの日に限って天気は二転三転だにゃあ」
雨男と云いたいらしい。
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登山口は御蔵入三十三番札所でもある小野観音堂の左脇から入山する。境内は通過しない。
おサルそっちじゃないよ。
「もぴゃ?」
随所に案内標識が設置してあり、登山道も整備が行き届いている。地元での人気の程が伺われた。
暫らく植林帯歩き。ぜんぜん霧が晴れない。晴天の予報はどこに行ってしまったのだ。
なにやら石碑が。
明治四十三年と彫られている。寄贈者は星㐂一氏。南会津から魚沼にかけて多い姓。
最初のうちは山腹を取り巻くように歩く。落葉で滑りやすい。少し青空が見えてきた。
ここから本格的にとりつく。仕事道はまだ水平に続いている。
(登った斜面を見おろす)
檜林を九十九折りに登っていく。けっこうきつい登りだ。小野岳にはこの観音堂コースと大内コースがある。かつて存在した沼尾コースは大川ダム建設によって集落が水没して廃道となっている。なお、観音堂コースは南向きで陽当たりがいい反面、夏季は樹林が生い茂り眺望はきかず、比較的単調でもある。一方の大内コースはやや変化があって、眺望ポイントもあるそうだ。
間もなく広葉樹林帯に入った。
まだまだ九十九折り。わずか二時間程度の登山だが、しっかり汗を搾られそうだ。
気がつけばガスは遥か麓にあった。もうこれだけ登ったのか。
おお~!青空だよ。山の神は裏切らなかった。
阿賀川の冷気が作りだしたのだろう。湯野上温泉郷のあたりは雲海の底になっていた。
少し雲が多いが、晩秋の会津らしくて好い風情だ。
二岐山、小白森、大白森、甲子旭岳が並ぶ。手前の又見山も存在感があるね。登れるんだろうか。
と、知らん顔で登るおサル。
勾配が緩んできた。
山頂周辺は斜度がなくなり、扁平になっていく。とともに深い千島笹に覆われて刈払いが無ければとても進めない藪に変化した。
でも大丈夫。きちんと整備されている。
(写真左が三角点に続く径。右が辿ってきた登山道)
最後にポンと広場に出ればそこが山頂広場の堂平だった。
二等三角点が蹲っている。
山頂の祠を挟んで記念撮影。小野岳山開き記念のプレートがあった。
「第52回(令和元年)で終わっているにゃ」
この二年はいろいろな行事がストップしたね。このプレートによって「うつくしま~」制定以前から福島の山開き行事が続いていたことを知った。
「なにかお得なのち?」
記念バッヂがもらえるんだよ。
この祠は心なき山師たちによって掘り起こされて放置されていたという。昭和24年頃というから伝説の域ではない。小野の集落に伝わる唄に「小野ヶ嶽の木の下に黄金千倍朱千倍」という意味の言葉があり、それを信じ込んで掘り返したのだそうだ。当然何もでてくる筈がなく、男たちはその後死に至った。撥が当たったのだろう。心傷めた地元の有志によって1990(平成2)年に復元されたのだそうだ。
「山には神様が宿っているにゃ」
まもなく男性がひとり追いついてきた。地元の方だろう。既に白く雪を戴いた山々を指呼し始めた。
樹林が成長して、昔の写真で見るほど眺望が優れる訳ではないが、落葉したこの時期ならでは条件で、真っ白な飯豊連峰を垣間見ることができた(矢印の下あたりね)。
東側には大戸岳が対峙している。これも芦ノ牧温泉や湯野上温泉から見上げると存在感がある。いつか登るつもり。
簡単な行動食でお腹を満たしてゆっくり下山することにした。
同じ道をピストンしても面白くない。大内コースで下山することにした。
すぐに眺望ポイントに。会津若松市内はまだ雲海の底。その先に磐梯山、安達太良山が見える。
この稜線の右はすっぱり切れ落ちているので要注意だ。小野岳は約2000万年ほど昔の古い火山岩質の山なのだが(下の写真で判るように)東側に大規模な山体崩壊の跡が見られる。登山道はこの崩壊地の縁についているわけだ。
(写真はネットより拝借しました)
そして、堆積した土石類によってできた堰止湖が沼尾沼である。山頂から僅かに見える程度で写真に収めきれなかったのは惜しかった。
そののち径は尾根伝いに変わり、小さなアップダウンを繰り返した。
稜線から北西の斜面に進路を変えると大内ダムが見えてくる。ダム建設は大内宿の在り方に強く影響している。その用地補償費で古い茅葺き屋根をトタン葺きに変えようとした時期もあったそうだ。しかし、1981年に歴史的建造物群に指定されて以降は地元も保存にシフト。現在でも人気の観光スポットとして定着している。
送電鉄塔を過ぎると巻き道に変わる。
所要時間の短い大内コースが一般的なのだろう。整備はより進んでいた。
ここで進路は右へ。立派な鉄塔巡視路が更に山腹を左に巻いていくので、初見だとそのままつられそうだが。
僕らは短調な植林帯をまっすぐに。
水場に到着。綺麗な水が溢れんばかり。
そして駐車場に。結構な広さなのに一台もない。途中で四人の男性とスライドしたのだが…。
クランク状にくだって一般道にタッチ。皆、この路肩に駐車していた。然程悪い道ではなかったけど。
ここから酔狂にも6.7kmの車道歩きでマイカー回収。距離から1.5時間と踏んだ。とは云っても登り降り合わせて3時間しか山歩きしていない。それくらい歩かないと運動にならない。
歩き始めて10分ほどで大内宿景観保存地区に。ここから湯野上温泉駅までのシャトルバスが30分間隔で出ている。「歩くのはイヤだなあ、でもピストンも詰んないなあ」という方にはお誂え向き。
「うちもそうすれば?」
昨晩めちゃ飲み食いしたじゃん。
「歩きゅ」
でも悪いことばかりではない。道沿いの景色を愉しむこともできる。この角度で見ると小野岳も圧迫感はないね。大内宿の人気は相変わらずで、駐車場待ちの車が長蛇の列をなしていた。ちょうど紅葉のハイシーズンだからね。
とはいいながら、歩道のない長いカーブ道は観光客の車がひっきりなしに通過する。あまりお勧めはできない。というか、おとなしくバス利用すべきだったか。
「そうだよ。ヒツのバカ」
又見山が見えてきた。想定通りの時間で戻れそうだ。
小野の集落へ。最後の登りが辛かったね。
坂道からの眺望がこの日一番だったのは皮肉なもの。最高のお天気になった。山あるある。
大戸岳も貫禄十分。どんな山も天気と季節。選んで登って損はない。
戻ってきた。屏風のような小野岳。写真では表現できないなあ。
いつものようにぽつねんと。折角の機会。観音堂を見学しよう。
立派な堂宇だね。ここは安産祈願の御堂なので、そこそこ往訪者がいるんだよ。
禅宗造りの拝殿。江戸時代の絵馬が掛かっている。
登っている間は山容はつかめないが、遠くから引いてみると個性が引き立つ。南会津にはこうした小ぶりながら山好きの心を惹くピークが多い。短時間ながら期待どおりの山だった。
結局、埼玉、栃木、新潟、福島と渡り歩いた旅になった。おかげで疲れが全く取れない。
(おわり)
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