名建築シリーズ4
秩父宮記念公園
℡)0550-82-5110
往訪日:2020年10月12日
所在地:静岡県御殿場市東田中1507-7
開館時間:9時~16時30分(第3月曜閉館)※HPで要確認
料金:(一般)300円、(小中学生)150円
アクセス:東名「御殿場IC」より1分
駐車場:有(200円)
※JAF優待あり
≪コルチカムと藁葺き屋根の母屋≫
こんばんは。秋の夜長に『岳人』バックナンバーを読んで、次の山への妄想に耽っているひつぞうです。
先週の旅の締めくくりに御殿場市の秩父宮記念公園を訪ねました。「スポーツの宮様」として親しまれた秩父宮雍仁(やすひと)親王ご夫妻の別邸が、勢津子妃殿下の御遺言によって平成15年4月に公園として整備公開されました。
★ ★ ★
この公園の存在を知ったのは穂高岳山荘の創設者である今井重太郎の主著『穂高に生きる』を読んだことに始まる。登山やスキーを殊のほか愛好された殿下は度々上高地を訪れた。気さくな人柄で広く国民に愛されたが、昭和二十七年に結核が悪化。惜しまれつつ薨去された。勢津子妃殿下との間には御子がなかった。それゆえか、お二人は仲睦まじく、戦時の苦難を乗り切り、そして、殿下の最晩年を静かに過ごされた。その舞台となった場所がこの邸宅だった。
最初に達筆で知られた弟君の故三笠宮親王の毫による銘板が迎えてくれる。更には手入れの行き届いた檜林が続き、静かな日蔭の道に、自分たちの砂利を踏むその音だけが響いた。
その広さ18,000坪。中央に茅葺きの母屋があり、周回して園内を散策することができる。
秩父宮記念公園は草花を愛した妃殿下の遺志を受け継いで、美しい草花が植えられている。そのため、季節の折々に園内の彩りが変わる。とりわけ春のしだれ桜は見事。秋の紅葉も捨てがたい。だが、今の季節はそのどちらでもなく、しかも平日。園内は閑散としていた。
「よいよ~い。静かで」
管理所で参観料を払って園内をめぐる。戦時中は殿下ご夫妻もかぼちゃや芋を手ずから栽培された。
中央の記念館から母屋内部が見学できる。
茅葺き屋根の母屋は1723年(享保八年)築造とされる御殿場の旧家宅を、明治の蔵相井上準之助が別荘として引き取ったものを宮家が購入した。その後、東向きの一部を洋間に改装。晩年の勢津子妃殿下の起居の利便性を考慮して新館を繋ぎ、今の形式に至ったそうだ。
ご存知のように雍仁親王殿下は大正天皇と藤原(九条)家からの最後の輿入れである節子妃殿下の第二皇子として生を受けた。つまり昭和天皇の弟君である。写真の笑顔にその人柄が現れている。
国内の山はもとよりマッターホルンにも登頂。登山はかなり本格派だった。中央左は槍ヶ岳。もちろん梯子や鎖など使わない。あくまでアルパインスタイル。そして中央下は志賀高原の岩菅山。地味な山にも積極的に登られていたことが判る。そして、いつも妃殿下と行動を共にしていた。こうした親しみやすい人柄と、夫婦の時間を大切にする姿に、僕はいたく感動し、尊敬の念を覚えるようになった。そんな偉大な人物が起居した場所の空気を感じてみたい。そう思うようになったのだ。
「語るにゃ。登山になると」
文武の両分野に趣味を持たれた点にも親近感をおぼえた。晩年は文筆活動と作陶にも力を注がれた。とりわけ陶芸は本格的で、邸内に窯を開いたほどだ。
この栗鼠をモチーフにした灰皿はプロの陶芸家によるレプリカ。下の殿下の実作と較べると、(当たり前だが)フォルムがシャープで迷いがなく洗練されている。
それに比して、この「栗鼠の置物」(昭和26年11月)は形を決めていくうえでの“迷い”というのか、試行錯誤の跡が見て取れる。亡くなる一年半前の作品だが、どことなくユーモラスな戯画化には、殿下の“やすらぎの境地”を感じるが、言い過ぎだろうか。
殿下はここから見る富士が好きだったという。
展示室の奥は妃殿下の寝室になっていた。
渡り廊下を通過すると母屋に繋がっていて、ロッジ風の応接室兼ダイニングになっていた。
留学と登山の体験がこうした美意識を生み出したのだろう。
壁には「yasuhito」の銘が打たれた牡鹿の剥製が飾られていた。これも当時のままなのだろう。
通路を挟んで、旧態の和室がつづく。主なき家屋を見ると、様々な在りし日の想像ができて愉しいが、人とはいずれこの世を去るべき運命に晒されているという摂理を突きつけられるようで、いつも哀しみを覚えてしまうのは、やはり僕がペシミスティックな人間だからだろう。
「おサルはただあるものを見るだけだにゃ」
その方が倖せかもね。
表に出て外の景色を眺めることにした。
紅葉の季節は素晴らしい映え方を見せる。
「よく残っているにゃ」
朝倉文夫の手による登山スタイルの秩父宮殿下のブロンズ像があった。朝倉は明治から戦後にかけて活躍した彫刻家で、代表作は東京近代美術館に所蔵されている「墓守」。早稲田大学の大隈重信像が一般には有名だろう。実在の人物を情感を交えつつ、写実的に彫り出す旨さが、この作品にも現れている。
母屋奥は手入れの行き届いた芝庭になっていて、勢津子妃殿下はこの東屋で知人や親戚をあつめて語らうことが好きだったそうだ。その殷賑はすでにない。ただ青い生命が永遠に繋がりゆくだけ。
「詩人だのう。ポエマーだのう」
おサル、詩人はポエットだよ。
更に奥には戦時中に利用された防空壕。これは殿下ご夫妻用で一般公開されていない。
隣りの高官用が公開されていた。
内部はこんな感じ。
「こんなところに閉じこもるなんておサルにはムリ」
おサル、狭いとこ駄目だもんね。
一周してきた。「宮菜」と名づけられた菜園は今でも現役で、収穫物は記念館左手のうぐいす亭で頂戴することができる。なお園内には保護目的で植えられた絶滅危惧種もたくさんあるので、山野の草花愛好家にも愉しめると思う。
※開花している花はHPで確認できます。
最後に殿下が作陶された三峰釜を見学。三峰は秩父の三峰(雲取山・白岩山・妙法ヶ岳)ではないんだよね。山に詳しい人は、三峰山前衛の霧藻ヶ峰が殿下と縁が深いことを知っているから早とちりしそうだけど(笑)。正解は富士山・愛鷹山・箱根山なんだって。
中央ヨーロッパ原産のコルチカムは別名イヌサフラン。春の芽をギョウジャニンニクと誤食した事故もあるそうだけど、トリカブト並みの猛毒って知ってた?
「やっぱり山菜は怖いにゃ」
だから山菜じゃないって。
ということでお暇することにした。
相変わらずどこにいっても騒がしい夫婦である。全然殿下ご夫妻のようにはなれそうにない。
「やっと行ってくれたようだね」
(おわり)
いつもご訪問ありがとうございます。