小泉武夫著『不味い!』を読む | ひつぞうとおサル妻の山旅日記

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ひつぞうです。
おサル妻との山旅を中心に日々の出来事を綴ってみます。

ひつぞうの偏愛的読書【26】

小泉武夫著『不味い!』(新潮社)

2003年

 

(画像はネットより拝借しました。ご容赦ください)

※繊細な方は画像に注意しながらお読みください。

 

こんばんは。ひつぞうです。蟄居生活を始めてはやひと月あまり。日々脳裏に浮かぶのは寿司、天ぷら、鰻の蒲焼きと、食べ物のマボロシばかり。唯でさえ運動不足なので、極力粗食に耐えるよう心掛けている。しかし我慢にも限界というものがある。だからだろうか。昨夜は全身カレーまみれになる夢を見た。

 

「病んでるにゃ」サル

 

ならば食べることがイヤになる本でも読むか。世間で云う処の逆療法を試みようというわけ。そこで手にしたのが、醸造学の権威でキワモノ喰いの達人小泉武夫先生の本書である。結構話題になったから覚えている方もいるのではないだろうか。

 

(醸造の神様。僕の心の師匠です)

 

★ ★ ★

 

今夜は粗筋めいたことは書かない。個人的なことで恐縮だが、二年前の冬に骨折して入院した。このことは折に触れて記しているので詳述しない。担ぎ込まれた晩。骨折した手首を切開してチタンの板を埋め込んでボルトで繋ぐと、熊のような風貌の医師は淡々と説明した。横ではおサルが恐怖のあまりのけ反っている。切られるのは僕なのだが。全身麻酔なので二泊入院してもらうことになると云った。

 

話は相変わらず長くなる。着替えと暇つぶし用の本を携えて向かった先は四人用の相部屋だった。カーテンの向こうには、すれっからしの爺さんが寝ていた。ことあるごとに看護師を呼び、我が儘を言っては、なにか喰いたいとこぼす。「飯が不味くて食えないんだよ!治る病気も治らねえよ」と喚き暴れる。面倒くさい爺さんは、腹の足しになるものを得られないと判ると、今度はカーテン越しに僕に絡んでくる。「なんだよ。スカしやがって。月給取りが」。サラリーマンが憎いらしい。

 

空腹とは恐ろしい。人間をかくもあさましい生き物に変えてしまう。ま、この爺さんの場合、どっちに転んでもこんな人生にしかならないと思うが。そんな由なし事を考えつつ、いや、待てよと思う。爺さんの心の叫びは決して誇張ではなく、ほんとに不味いのではないか。おサルが「お腹減ったらこれでアンパンお買いよ」と残していった千円札が、急に神々しく見えてくる(もちろん早速アンパンを買いに売店に走った)。

 

 

そして午後六時になった。慌ただしくカートを押す音が廊下に響き渡る。献立は患者の病状によって決まる。件の我が儘爺さんは、どうやら腎臓を病んでいるようで、塩分を極端に制限されているらしい。一口啜るなり「こんなの食えるかよ」と大声で叫び始めた。爺さん悪いね。オレ骨折だからと、受け取ったトレイを見て愕然とした。茶碗一杯の白米。切り身魚の餡掛け。冷たいインゲン。ワカメの酢の物。これだけだった…。因みに病院食は入院代とは別途徴収され、これは個人払いで、労災の対象にならない。

 

完食するのに三分と掛からなかった。なぜ折れた骨以外は健常な僕がこんなに慎ましやかな食事をしなくてはならないのか。しかもこれで1,800円。カネに拘っているのではない。都内でも1,000円払えばそこそこのランチが食える。費用対効果という意味で納得いかなかった。量の問題では(なくもないが)なく、その味が凄まじく不味かった…。

 

★ ★ ★

 

ようやく本書の話題にはいる。

 

先生も急性盲腸炎で入院されたおり、その病院食のまずさを身をもって経験された。そして同僚の教授にこっそり鰻重弁当を買ってこさせた。こういう時皆異口同音にこう言う。「食欲がわかないと体力も付かない」と。あの態度の悪い爺さんも同じことを言っていた。腹を空かせば大学教授も因業爺いも関係ないようだ。

 

しかし、味覚というものは、人それぞれであり、クサヤをオカズに飯何杯でもいけるという人もいれば、見ただけで吐きそうという人もいる。おサルの亡父は一度でいいからクサヤを食ってみたいというので、羽田空港で買って土産に渡したが、ひと口箸で突いたなり、そのまま尻込みしてしまった。

 

(最初に製造過程を見ると怯むね。たしかに)

 

本書で紹介されているもので、これは死ぬなアと感じたもの。それは中国は広西壮族自治区「蛇酒」である。先生は同地の村長の猛烈な歓待を受けて、この強い酒を浴びるように飲んだそうだ。そして意識を失い、灯りのない漆黒の闇に閉ざされた部屋で独り眼を覚まして、渇きをいやすため、ツボの中の液体をごくごく飲んだ。いや判る。飲み過ぎた直後は。

 

(まだね。商品としてわかる)

 

瞬間、先生はその異様な液体の正体に気づく。それは何年物か不明な、とにかく真っ黒な醤油のような蛇の古酒だった。猛烈なひねた臭気と脂の酸化した匂い。判りますね。爬虫類とか両生類の生の臭いはもうね、魚とは違った匂いだから。翌朝見た瓶の上には“蛇から融け出た鈍い黄褐色の脂が幾重にも浮かんでいた”。

 

「ゼツボーしただろうにゃ。せんせい」サル

 

僕も小学生の頃は何でも捕まえては食べたからね。ザリガニとかカエルとかいろいろ。昆虫食もね、ちょっと癖になる味らしいよ。先生のお薦めはタイのタガメのナンプラー。病みつきになる独特の味わいなんだとか。タガメを食うなんていうと香川照之さんが激怒しそうだけど、タイではれっきとした食材。カメムシと近縁だから、きっとパクチーみたいな香気があるのではないだろうか。

 

(揚げれば何でも旨いんだよ)

 

そういえば、僕の親父の若い頃は(食べ物が乏しい時代だったから)桑の実がご馳走だったそうだ。季節になれば口の縁を真っ黒にして食ったと聞いた。あるとき、桑の実にしては硬い何ものかが奥歯に当たった。思わず噛んだのが運の尽き。それはアオカメムシだった。

 

(カメで~す)

 

「ひいいいいい!」サル

 

ニ三日は青臭いカメムシ君の臭いが口腔に満ちて、何を食ってもカメムシの味がしたそうだ。虫を食うといえば、おサルが買ってきた枝豆を思い出すね。あれは晩夏だった。いつもの八百屋で買った枝つきの枝豆を茹でてくれたので、ビールのあてにテレビを観ていた。

 

あれ。なんか苦くない?

 

「ぜんぜん。旨いにゃ」サル

 

いや。苦いよ。古いんじゃない。

 

「嫌だったら喰わなきゃいいだよ!」サル

 

少し険悪になったから引き下がった。だけどやっぱり味が変だ。鞘ごと口に頬張っていたそれを改めて検分した。割ってみる。豆と一緒にアオムシ君が湯びきされていた。

 

また僕の昆虫食の歴史にひとつのエピソードが加わったのだった。

 

★ ★ ★

 

他にも面白いエピソードがたくさん。文字数の限りもあってすべて紹介できないけれど、久々に再読してやっぱり小泉先生は偉大な人だと思ったよ。

 

「食い意地でひつぞうに勝るひとはなかなかいないだよ」サル

 

(終わり)

 

たまにはこんな雑文もね。